太田述正コラム#13382(2023.3.25)
<2023.3.25東京オフ会次第>(2023.6.20公開)

1 始めに

 1人の新規出席者を含め、(私以外に)5名出席。
 バーチャル出席はゼロだった。
 私が、実際に行った「講演」は、「講演」原稿とは構成がまるで異なり、第一部で、厩戸皇子、桓武天皇、日蓮、後宇多天皇、織田信長、豊臣秀吉、島津斉彬、杉山元、を取り上げる形で日本史を私の史観に基いて振り返った後、秀吉流日蓮主義/杉山構想の完遂について中共へのバトンタッチがなされたという話を毛沢東を取り上げて行なった上で、第二部で、西田幾多郎、筧克彦、上杉慎吉、徳富蘇峰、与謝野晶子、斎藤茂吉、高村光太郎、武者小路実篤、周作人、そして再び毛沢東を取り上げた。

2 オフ会次第(Oは私。特定のアルファベットが特定の出席者を指しているわけではない。)

A:太田さんは、どうして、思い立つとすぐ高価なドラム式洗濯・乾燥機を買おうという気になるほどカネを持っているのか。
 そもそも、この家、いくらで買ったのか。
 XXXX万円? エッそんなに高かったのか。
 しかも、ローンを組まずに? なおさら不思議だ。
O:だから、自由が奪われるところの、天下りなんてやる官僚はバカかキチガイだと私は言ってきたのだ。
 もちろん、専業主婦だった奥さんを引き続き養わなければならない上に、面倒を見なければならない、未成年の隠し子がいる、なんて場合は別だが・・。
 私は役所を飛び出した時点で1300万円くらいの年間給与をもらっていたし、私より所得は低かったけれど妻が共稼ぎだったので、自己都合退職して通常の退職金がもらえなかった(上、様々な事情で親からの遺産も殆どもらえなかった)けれど、何不自由なく生活できているのだから・・。
B:最近、洋書の書評だけ読んで書評を行うコラムがなくなったのはどうしてか。
O:関心が日本へ移ったことが一つだ。
 いや、一貫して日本への関心が私のコラムの背景にはあったのだけれども、最近は、もっぱら日本について書くようになったからだ、と、言うべきか。
 もう一つは、加齢に伴い、英語を読むのがしんどくなってきたことだ。
 (書評も一種の文学であり、ムツカシイ英語で書かれる場合が多い。)
 つい先だっても、prejudiceの綴りがすぐ出てこずに往生したばかり、という体たらくだ。
C:戦前における、日本人と支那人との交流の深さは驚くべきものだったのだな。
O:日本人の大部分は縄文人であったところ、対する支那人の大部分は堕落した縄文人・・阿Q・・であって、共に欧米の弥生人に悩まされていた、ということから、肝胆相照らした部分があったのだろう。
 支那においては、五胡十六国時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%83%A1%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3
が始まった時点で、本来の漢人時代は終わっており、それから先は、遊牧民によって漢人が支配されるという時代が続くことになり、その支配遊牧民は漢人化してしまうのだが、その頃には新たな遊牧民によって再び支配される、という形での王朝交代が繰り返さることになった。
 その間、ほぼ一貫して過酷な統治が行われ、ために、本来は縄文人的であった漢人は、過酷な統治から自分や家族や親族を守るために堕落した縄文人(=阿Q)化せざるをえなかった、と見てよいのではないか。
D:水田耕作を携えて日本に支那から渡来した人々が、日本列島原住民と戦った形跡がないのは、連中も縄文人的な人々だったからだというわけだな。
O:そうだ。
 そもそも、特定の時期に、大集団で支那から人々が渡来した、と、最近の学説では考えなくなっている。
 だから、渡来人を弥生人、日本列島原住民を縄文人、とした上で、弥生性、縄文性を私は論じて来たところ、そういう単純な話ではいけないわけだ。