太田述正コラム#13424(2023.4.15)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その35)>(2023.7.11公開)

 「・・・論告分の作成に関与した寺島健前軍務局長が、9月15日付で練習艦隊司令長官に転任したばかりにもかかわらず、10月2日に更迭された(軍令部出仕)。
 寺島の更迭は新聞や議会でも話題となり、木戸は「五・一五事件の犠牲とな」ったとの評判を聞きつけている。<(注118)>

 (注118)「1933年(昭和8年)1月、伏見宮海軍軍令部長、大角岑生海相、閑院宮参謀総長、荒木貞夫陸相の四者は「兵力量の決定に就て」という名の文書に署名を行う。この文書には兵力量は「参謀総長、軍令部長が立案する」と記され<ていた。>・・・
 こうして海軍の伝統であった海軍省の軍令部に対する優位は崩れた。この妥結に対し海相経験者の斎藤実首相、海軍軍令部長経験者の鈴木貫太郎侍従長は不満を表明した。大角海相の上奏を受けた昭和天皇は海軍省の所掌事項への軍令部の過度の介入を懸念し、大角からその回避ができるかを書類で提出させている。
 寺島はこの妥結後に原田熊雄に対し、加藤寛治、金子堅太郎、大角、伏見宮の動きなどの裏面事情を語り、改定を食い止めようとした旨を語っている。・・・
 事は満州事変に際し、日米戦争を招く危険を考慮して陸軍の動きに反対した谷口尚真、ロンドン会議において軍縮条約賛成派であった山梨勝之進、左近司政三、堀悌吉ら条約派将官の予備役編入と同じ動きであり、いわゆる大角人事の一環である。寺島の離現役は国会でも問題になり、一連の人事に不審を抱いた中澤佑は、山梨勝之進に事情を聴いている。山梨は大角海相に対する伏見宮と東郷平八郎の圧力を挙げ、「東郷さんの晩節のために惜しむ」と語った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E5%81%A5
「寺島健<は、>・・・軍令部の権限拡大に反対して予備役に編入される。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AF%BA%E5%B3%B6%E5%81%A5-1093088

⇒「注118」から分かるように、寺島のウィキペディアもコトバンクも、寺島の予備役編入と五・一五事件との関わりに触れてはいません。
 小山がそう判断した根拠を木戸(木戸幸一日記?)以外に明らかにすべきでした。(太田)

 この間、10月12日に原田は近衛文麿からの情報で、荒木貞夫陸相が「陛下の思召によって」恩赦か大赦の詔勅を仰ぐ提案を、斎藤実に行ったことを知った。
 のちに大洗の護国堂裏に記念館を建設する田中光顕(元宮相)も、大赦による被告の減刑を訴えている。
 ・・・恩赦自体は実現した。
 ただ被告の量刑について決定的に重要だったのは、あくまで海軍部内の意思決定であり、部外の支援は間接的な影響にとどまったと考えられる。
 11月9日、横須賀鎮守府で注目の海軍側判決が下された。
 ・・・量刑は、古賀清志・三上卓に禁固15年。黒岩勇に同13年。中村義雄・山岸宏・村山格之は同10年。伊東亀城・大庭春雄・林正義は2年、塚野道雄は1年の禁固刑で、非実行組には執行猶予が付された・・・
 <また、>「反乱罪の首魁は死刑」との海軍刑法第20条1項を回避するため、反乱の首魁はあくまで戦死した藤井斉に擬し、被告の全員を同上第2項「謀議に参与し、又は群衆の指揮を為したる者」と認定したうえで、情状酌量を行ったのである。

⇒藤井が首魁であったことは事実である以上、「海軍刑法第20条1項を回避するため」はないでしょう。(太田) 

 被告側は即日上告権を放棄、検察も上告を断念して刑は確定した。・・・
1933年9月26日、東京地裁で民間側被告の公判が開始。
 神垣秀六裁判長のもと、23回にもわたる審理を経て、10月21日に結審した。
 被告20名、弁護士総勢58名にわたる大裁判である。・・・
 1934年2月3日、東京地裁大法廷で・・・判決が言い渡された。・・・
 同一事件として比較した場合に、軍側と民間側の量刑格差は際立つ。・・・
 <しかし、>一時期あれだけ沸騰した国民世論・・・の関心は、・・・著しく薄ら<いていた。>・・・ 
 皇太子生誕の祝賀ムードのなか、死刑判決が出なかったことや、在郷軍人系統の諸団体が活動を控えたこともあるだろう・・・が、それにしても不可思議である。」(214、217~219)

⇒ここで小山が、「軍法会議では軍刑法の叛乱罪を適用しているのに対し、通常裁判所は叛乱罪に相当する刑法の内乱罪を適用せず、殺人等の罪によって求刑している。この罪状の相違が、結果的には民間側の重い科刑に繋がるのである」
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200803/05.pdf
という事実に言及していないのは片手落ちでしょう。(太田)

(続く)