太田述正コラム#2605(2008.6.12)
<ネオ儒教論の展開(その1)>(2008.8.7公開)
1 始めに
 中共当局がマルクス主義に代わって構築しようとしている新しいイデオロギーをネオ儒教と名付けた(コラム#995、997、1210、2425)のは、ひょっとして私が世界中で初めてなのではないかと思いますが、今度’China’s New Confucianism’という本を上梓したダニエル・ベル(Daniel A Bell)(注1) がどんなことを言っているかをご紹介しましょう。
 (注1)『イデオロギーの終焉(The End of Ideology)』(1960年)の著者のダニエル・ベルとは別人。
 (以下、特に断っていない限り、上記の本の書評である
http://www.atimes.com/atimes/China/JF07Ad03.html
(6月7日アクセス)、及び
http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/chinas-new-confucianism-by-daniel-a-bell-841037.html?service=Print
ベル自身のコラムである
http://www.nytimes.com/2008/05/21/opinion/21bell.html?n=Top/Reference/Times%20Topics/Subjects/E/Education%20and%20Schools&pagewanted=print
http://www.dissentmagazine.org/article/?article=767
(以上、いずれも6月12日アクセス)による。)
2 ダニエル・ベルの所論
 (1)共産主義の死
 中共当局は、公式には共産主義を捨ててはいない。
 しかし中国共産党は、もはや階級闘争や金持ちへの憎しみや私有財産に対する反対を強調することはない。資本家だって今では共産党の党員になれるし、法制度もゆっくりとではあれ、次第に資本主義諸国のそれと近似しつつある。
 もっともこれは、中国共産党の共産主義理解が深まったからだと言えないこともない。
 資本主義段階を飛び越えて共産主義社会が到来することはありえない、というわけだ。
 それにしても、中共で、将来到来するはずの共産主義社会について議論されることが全くと言ってようほどないのは不思議と言えば不思議だ。
 (私の親戚でも何でもないもう一人の)ダニエル・ベルは「イデオロギーの終焉」を唱えたが、これは、あらゆるイデオロギーが終焉を迎えたということを主張したものではなく、米国において共産主義が終焉を迎えたと主張したに過ぎないのだが、まさにこのような意味において、中共でも共産主義は終焉を迎えたのだ。
 それにしても、到来するかどうか誰にも分からない共産主義社会が到来するまでの間、中共の政治制度はどうあるべきなのか。
 ここで、議論は三つに分かれる。
 第一は、欧米流の自由民主主義の採用だ。
 第二は、自由社会主義の採用だ。
 そして、第三が、新儒教主義の採用、ということになる。
 第一については説明を要しない。
 中共当局は1988年に農村部に選挙制度を導入し始め、現在では約70万の村で選挙が行われている。これは、13億人の総人口の75%に選挙制度が普及している勘定だ。
 これがやがて都市にも普及し、普及度は100%に達するだろう、また、中央にも選挙制度が導入されるだろうと思われていたのだが、どうやらそうはならないようだ。
 次に第二についてだが、自由社会主義を推奨している代表格が清華大学のCui Zhiyuan教授だ。
 同教授は、1994年に労資協同を唱え、ボトムアップで自然発生した株式共同組合制度(=shareholding-cooperative system =SCS)の普及を提案した。この提案は中共当局によって採用され、農村地帯に普及した。これを全国に普及すべきだ、というのが自由社会主義だ。
 
 (2)新儒教主義
 そこでいよいよ新儒教主義についてだ。
 そもそも、かりそめにも共産主義が一時的とはいえ、支那で大衆の間に浸透したのはどうしてなのだろうか。
 それは、物質的に充たされることの追求や世俗主義といった共産主義の側面が伝統的な儒教的な物の考え方と合致したからだ。
 だからこそ、儒教的な物の考え方と背馳するところの、文化大革命の際の家族的紐帯を断ち切って国家に尽くすべきであるとする考え方は定着しなかったのだ(注2)。
 (注2)中共でカラオケ・バーが瞬く間に普及したのは、孔子が音楽大好き人間であったことを思い起こせば当然だということになる。また、カラオケ・バーのホステスが売春をするとすれば、それもまた、「私は肉体美よりも徳の方が価値が高いとする者に会ったためしがない」との孔子の言にかなっている。
 すべてが始まったのは、胡錦涛主席が2005年2月に「孔子は「調和を追求すべきだ」とおっしゃった」と述べた時だ。一ヶ月後に胡錦涛は、党の幹部達に「調和的社会(harmonious society)」を建設せよと指示した(注3)。
 (注3)胡錦涛が、事実上リー・クワンユー率いる政党による独裁支配下にあるシンガポールの(やはり支那思想の系譜をひく)法家(的)主義・・厳罰主義と野党勢力の容赦ない弾圧からなる・・を採用しなかったことを頭に入れて置こう。ちなみに、リーが法家主義を採用したのは、彼が儒教教育を余り受けていなかったことと、弁護士教育を受けたことによると考えられる。
 つまり、中共当局は新儒教主義を採用したわけだ。
 新儒教主義の理論家の代表格がJiang Qingだ。
 彼は、中国共産党は、共産主義文献を捨て去り、儒教文献を採用すべきだと主張している。
 Jiangの主張には真に瞠目すべきものがある。
(続く)