太田述正コラム#13436(2023.4.21)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その41)>(2023.7.17公開)

 「・・・1944年(昭和19)に入って戦局がいよいよ悪化するなか、海軍内部で東条政権打倒の耕作が密かに進行していた。
6月2日、海軍の重鎮3名が密会する。
 岡田啓介(元首相)・米内光政(元首相)・末次信正(元近衛内閣内相)である。
 かつてロンドン海軍軍縮条約を擁護した岡田と、厳しく批判した末次。
 また末次を予備役に編入した米内と、米内内閣の倒閣運動を進めた末次。
 3名は因縁の関係であった。
 だが海軍消滅、敗戦の危機を前にして、彼等は因縁を超えて「東条首相排除」と「嶋田繁太郎海相辞任」で合意し、団結を訳した。

⇒小山が何に拠ったのかは知りませんが、「海軍消滅・・・の危機を前にして」とはよく言ったものです。
 昭和戦前期の帝国海軍は、嶋田繁太郎ら、ごく一部の、杉山構想を開示された人々(コラム#省略)を除き、組織エゴの体現者ばかりだったわけです。(太田)

 海軍重鎮らの密会を差配したのは、高木惣吉海軍少将(海軍省教育局長)である。・・・
 高木は・・・神重徳大佐(教育局第一課長)・・・に、サイパン奪回作戦<(注129)>の樹立に向けた部内世論をつくるように要請し<てい>た<が、>・・・神<は>三上<に>東条首相の暗殺<を>・・・依頼<した>・・・と推定された。・・・

 (注129)「6月19日<からの>2日間<の>・・・マリアナ沖海戦・・・での敗北後、尚も日本軍上層部はサイパン島の奪還を検討し、第5艦隊などを輸送に使い、独立混成第58旅団を増援部隊として、逆上陸させることを計画しました。
 マリアナ沖海戦の生き残り空母や海上護衛総司令部の護衛空母などに基地航空隊からかき集めた戦闘機を搭載し、グァム基地も活用して制空権を一時的に奪取することや、水上艦艇を強行突入させることも検討されました。
 このサイパン島奪還作戦は、単に軍事的な意図からだけではなく、東條英機内閣の責任を追及する政治的な目的からも主張されていたのです。
 <しかし、>6月24日、大本営は奪還の見込み無しとしてサイパン島の放棄を決定。
 この時点での日本側兵力は、斎藤中将の指揮する第43師団が4000名、他部隊は2000名程度にまで減少していた。重装備は戦車が僅かに3両で、野砲は全損という状況。」
https://ameblo.jp/takuchan-sing/entry-11887996487.html

⇒「サイパン奪回作戦」などという戦術的にも戦略的にも無効なことに執着するところも、(「政治的」下心があったとはいえ、)当時の帝国海軍の無能さの顕れです。(太田)

 高木は右翼というものを、口では至純を言うが、カネがなければ動かないものと理解していた。

⇒ここも何に拠ったのかは知りませんが、現役海軍軍人が中心となった五・一五事件ですら、彼等は「カネがなければ動かな」かなかった、というか、動けなかった、ことを顧みない高木の発想に呆れてしまいます。
 況や、親方日の丸ではない民間の、しかも、収入のさしてない人々を動かそうとすれば、それが右翼だろうと左翼だろうとカネは必須であるというのに・・。(太田)

 海軍には機密費も少なく(事実、高木が終戦工作で手にした機密費は」わずか1000円<(注130)>であった)、計画の支援は難しい。

 (注130)「戦前の1000円≒現代の数千万円」
https://dic.pixiv.net/a/%E6%88%A6%E5%89%8D%E3%81%AE1000%E5%86%86%E2%89%92%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%8D%83%E4%B8%87%E5%86%86

⇒帝国陸軍とは大違いで、帝国海軍は、最後の最後まで、諜報/謀略工作の重要性に目覚めないままその歴史を閉じたわけです。(太田)

 暗に<神に>そう告げたのである。・・・
 <もっとも、>高木<自身、>内心では最後の手段として、神の計画はありではないかと次第に思えてきた。・・・
かつて五・一五事件の海軍側公判が行われたとき、高木は中佐で、横須賀鎮守府の人事部長であった<ところ、>・・・被告らが死刑にならないのはおかしいと<公>言<していたものだ>・・・が、いまや首相の暗殺を考え始めていた。
 それも犬養首相を撃った、三上卓の手を借りて。」(240~243)

⇒「政治的な目的を達成するために暴力および暴力による脅迫を用いることを言う・・・テロリズム(terrorism)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
を原理的に否定することは、謀略を外交や戦争の一環として、或いは代替物として用いることを否定するに等しく、そんなことすら最後まで十分には分からなかったような人間を、米内は、国家、もとい、帝国海軍、の生死がかかった局面で謀略活動の責任者として起用した(コラム#省略)と来ているのですから、何をかいわんやです。(太田)

(続く)