太田述正コラム#2734(2008.8.17)
<皆さんとディスカッション(続x224)>
<Pixy>
>私としては、分離独立しようとしている側に対し、母国側が非人道的行為をどれだけやったか、そしてその母国側と分離独立しようとしている側の相互の相対的自由・民主主義度が、分離独立しようとしている側をわれわれが支持、支援すべきか否かのメルクマールだと思っています。(コラム#2730。太田)
 一般的にはそのように判断せざるを得ない面もあるかもしれません。
 ただ、グルジアの方がロシアよりは相対的に自由・民主主義度でマシだからと言って、何かコトが起きた場合に、グルジア側の言い分を信用し、ロシアの言い分には耳を傾けない米・英の姿勢はいかがなものでしょうか。
 より成熟した民主主義国家となるようにグルジアを支援するということと、個々の問題において都合の悪い事実には目をつぶりグルジアに一方的に肩入れする、というのは別物だと思うんですけど。
 今回の紛争については、グルジアではなく「非自由・民主主義的なロシア」側の声明、行動の方が説得力があるように感じます。
>グルジア軍によるティンヴァリへの大攻勢の際、南オセチアの一般住民2,000人が殺されたとのロシア側の発表は著しい誇張であった可能性が高い(#2730。大田)
Russians losing propaganda war
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7562611.stm
Human Rights Watch concluded after an on-the-ground inspection: “Witness accounts and the timing of the damage would point to Georgian fire accounting for much of the damage described [in Tskhinvali].”
Georgia, meanwhile, was comparing this to Prague in 1968 and Budapest in 1956. Even the massacre at Srebrenica was recalled.
 プロパガンダ戦はグルジアの勝利という上記BBC記事、面白かったです。
 ブッシュも、プラハの春の時とは時代が違って云々と言ってた気がしますが、グルジア側はカラジッチ逮捕で最近クローズアップされた、スレブレニツァの虐殺などのタイムリーなネタを引き合いに出したりして、グルジア=被害者のイメージを喧伝して回ってます。
<SATO>
 –三浦半島行きですか–
太田さん、三浦半島に出かけられたなら、太田さんの許容性を見込んで、素晴らしいアニメを紹介します。「ヨコハマ買い出し紀行」というマンガ-アニメですが、彼(作者)が、どれほど、その場所を愛しているか、ということが本当に了解できます。
 海の匂いから、地上の匂いの違いまで、いかに人間が繊細に弁別しうるのかという、良いお手本です。
 その上で、人間が、いかに地球を愛しうるのかという、もっとも根源的な問題にまで敷衍していくことが、このアニメに込められた作者の願いでもあるでしょう。
 是非一度、鉄腕アトムに感激したことがあるなら、ご覧下さい。
 ついでに紹介してしまいますが、押井守さんのアニメもご覧になって下さい。彼のさまよっている迷宮の意味を、私たちは言語に-思想として-表現すべき時を迎えているのだと思います。彼が無意識に突きつけている問題は、世界史的な問いであると、私は理解しています。
 アングロ・アメリカン的なものが、いかに世界を支配しようとする意志の衝動に駆られているかを問い直す重荷を、私たちは背負っているのではないでしょうか。
 いささか、突飛な申し出をしてしまった気もしますが、太田さんの基本的な度量は、理解していただけると、勝手に考えています。
<太田>
 「ヨコハマ買い出し紀行」については、全く知りませんでした。
 さっそく、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B3%E3%83%8F%E3%83%9E%E8%B2%B7%E3%81%84%E5%87%BA%E3%81%97%E7%B4%80%E8%A1%8C
を斜め読みしてみました。
 実に詳細な記述であり、ほとんど作品を何本か鑑賞したのに匹敵すると思われる感銘を覚えました。
 そこに出てくる地名の中に、私がかつて車でよく出かけた場所や現在住んでいる場所の付近や私の役所時代と関わりの深い場所等が登場したせいもあったと思います。
 私も随分長く生きてきたな、とちょっぴり感慨にふけった次第です。
 押井守については、彼の作品であるアニメ映画「イノセンス」についてのTV予告編を目にした程度ですが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E4%BA%95%E5%AE%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9
を斜め読みしてみました。
 彼は、ほとんど私と同世代の人間なのですね。
 残念ながら、詳細ではあったものの、ウィキの記述だけでは、押井の世界の具体的なイメージが湧きませんでした。
 私は20代でフィクションを鑑賞するのを止めてしまったことを今、激しく後悔しています。
 映画にはたまに行くのですが、歴史や文明論への関心から見に行くというセコイ鑑賞の仕方をしてきました。
 後悔しているのなら、さぞかしフィクション鑑賞三昧の生活を今しているのだろうって?
 そんな時間の余裕はありません。
 昨年春から現在にかけて、私は、なまなかなフィクションの域をはるかに超える・・皆さんの想像を絶する・・体験に晒され続けていることもあり、コラムを書き散らしつつ生きていくだけで手一杯なのが現実なのです。
 話が変わりますが、このところ、パソコンで作業をしながら、ユーチューブの音楽を聴くのが習慣になっています。
 時々掘り出し物にぶちあたるのですが、今再度聞いている、編曲が素晴らしい「シェルブールの雨傘」をご紹介しておきます。
http://jp.youtube.com/watch?v=L51Dm2EnXgk&feature=related
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太田述正コラム#2735(2008.8.17)
<サルコジ批判(その3)>
→非公開