太田述正コラム#2372(2008.2.18)
<日本論記事抄・後編(その3)>(2008.8.31公開)
 実は、ピリングが記事の中で慶応大学の欧州経済論の学者のSahoko Kaji(鍛冶か梶か。彼女をご存じの方はご教示願いたい)氏の次のような言葉を紹介しています。
 「欧米的な意味において日本を「理解」することなど不可能だ。日本には絶対的なものが存在しないからだ。欧米人が日本や日本人について喧々諤々定義しようとしているのを見ると気の毒になる。中には客人や外国人のためによかれと思って欧米的概念を用いて日本を「説明」する日本人までいる。しかし、そんなことは無意味なのだ。日本では、一つのことが他のことにつなぎ目なしに混ざり合っている。大事なことは、誰も(少なくとも日本人は誰も)どこで線引きをするかに思い悩むことはないという点だ。・・私は欧米人との間では物事を定義し、輪郭を示すことなくして会話を交わすことはできない。しかし、その私は間違いなく日本人なのだ。というのは、私は、この日本と呼ばれているところの定義不可能な代物を定義しようと試み続ける欧米人に距離を置いて瞠目しているからだ。どうしてあなた方はそんなことを思い煩うのか。どうせできやしないのに・・。少なくとも私はそんなことをやろうとするつもりはない。」
 このKaji氏の言によってピリングは、人間みな同じという自分の信念がぐらつき始めていることを示唆しているのですが、私自身は、欧米的概念を用いて日本を「説明」することは完全に可能だと思っています。
 日本社会を理解するのが困難なように見えるのは、日本人が狩猟採集経済時代(縄文時代)の人類のメンタリティーを残しつつポスト農業革命(弥生時代)の人類のメンタリティーも身につけているという、複合的な存在だからなのです。
 私見では、狩猟採集経済時代の人類のメンタリティーとは感性の重視であり、自然との共生であり、人間(じんかん)主義であるのに対し、ポスト農業革命の人類のメンタリティーとは、論理の重視であり、自然の征服であり、集団主義です。
 日本の歴史は、この二つのメンタリティーのどちらが集合体としての日本人において優位となるかで弥生モードと縄文モードの時代が交互に訪れる歴史なのです。 
 つまり日本は不断に変化しているわけであり、その結果、日本なるものを定義するのが不可能のように見えてしまう、ということなのです。
 ちなみに、ポスト農業革命のメンタリティーだけを身につけているところの(日本以外の)大部分の人類の歴史は、人口増と天災・戦乱・疾病等による破局(人口激減)の繰り返しというサイクルを描いてきたところです。
 実は、世界には日本と並んでもう一つユニークな、従ってやはり理解することが容易ではない社会があります。
 それがポスト・ポスト農業革命のメンタリティーを身につけているとでも形容すべきアングロサクソン社会です。
 アングロサクソンは、論理と同時に経験をも重視し、自然を征服するというよりは制御しようとし、集団主義ならぬ個人主義を旨としています。だからこそ、アングロサクソン社会は人口増と破局のサイクルの歴史とは無縁だったのです。
 個人主義を旨とするアングロサクソン社会は、最初から資本主義社会であり、近代社会でした。
 更に申し上げれば、人類の近代史は、近代社会たるアングロサクソン社会と他のもろもろの社会との邂逅の歴史であり、他のもろもろの社会がアングロサクソンの影響を受けて変容を続けた歴史なのです。
 しかし、これからの(日本以外の)人類は、日本と邂逅し、日本の影響を受けて変容しなければならない、と私は信じています。
 なぜなら人類は史上初めて、自然にこれ以上負荷をかけられない時代に突入しつつあるからです。
 自然との共生と人間主義をベースとする日本、それと同時に、ポスト農業革命だけを身につけた社会やアングロサクソン社会と論理的な対話が可能な日本は、今まさにこの新しい時代の先導役を果たすことが期待されているのです。
(完)