太田述正コラム#2762(2008.8.31)
<グルジア「戦争」後の最悪シナリオ>
1 始めに
 グルジア「戦争」でのロシアの醜態をからかったコラムを#2761(未公開)で書いたばかりですが、嗤ってばかりはおられません。
 今度は、グルジア「戦争」後の最悪シナリオを描いてみましょう。
2 ファシズムの脅威の復活?
 「・・・信用収縮(credit crunch)と石油の高価格は米国と西欧から現金を枯渇させた。このことが中国のように資本を貯め込んだ国々やロシアのように輸出できるエネルギーを持っている国々に優位を与えている。共産主義が崩壊してからというもの、初めて専制的諸国の金融力が自由民主主義諸国の富と同等の影響力を世界経済の方向付けに持つこととなったのだ。・・・
 <イスラム過激派が唯一の敵として残った>という見解は民主主義に対抗するイデオロギーとしてナショナリズムが復活したことを勘定に入れていなかった。ロシアと中国の両国において、専制的体制が、その新しい富んだエリート達に対し、自由の代わりに経済的安定性と世界的名誉(global prestige)を選択するよう説得することに成功したのだ。
・・・<これは、>ナショナリスト的資本主義の挑戦<なのだ。>・・・
 冷戦終焉後、共産主義諸社会は欧米のレトリックによってではなく、彼らが資本主義と競争できないという経済的現実によって変革すべきであると説得された。しかし、中国とロシアは、爾来、専制的ナショナリズムが政治的自由主義と競い合うことができるという結論を下したのだ。・・・」(
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/aug/31/russia.georgia1
(8月31日アクセス)による。
 これは私に言わせれば、欧州文明由来のファシズムが支那とロシアにおいて復活したということであり、この二つのファシズムが手を携えるようなことになれば、(ロシア単独ではその「脅威」は取るに足らない(コラム#2761)としても、)その脅威は、イスラム過激派の脅威の比ではない、ということなのです。
 もちろん、支那と(支那の儒教的伝統のようなものを持たず、自分が欧米の一員でありたいという強い潜在的願望を抱いているところの)ロシアが真の意味で手を携える可能性は低いと考えられるわけですが、最悪のシナリオとしては、考えておく必要があるということです。
 (以上は、
http://www.ft.com/cms/s/0/42dc1b9c-75c5-11dd-99ce-0000779fd18c.html?nclick_check=1
(8月30日アクセス)を参考にした。)
3 欧米が反省すべき点?
 いくらロシアが度し難いとは言っても、もう少し欧米諸国、就中米国が対ロシア政策に配意すべきだったのではないか、という議論が米英で起きています。
 まず、経済面では、1992年にロシアが三桁のインフレに襲われ、経済が崩壊しつつあった際、ドルの緊急融資や、債務の利息支払いの延期、債務免除等の援助をG-7は行うべきであったのに行わなかったというのが第一点です。
 米国に悪意があったとまでは言えないとしても、当時のロシアの経済崩壊は、戦争や自然災害抜きで起こったものとしては史上最悪のものであり、ロシアでは、数千万人が貧困ラインを割り込み、男性の平均寿命は54.5歳から57歳に下がってしまいます。
 また、政治面では、NATOはもともとソ連の欧州攻撃を防止するために1949年に創設されたのですから、ソ連が1991年に崩壊していた時に、NATOを存続させる正当な理由は失われたとも言えるというのに、米国はNATOを存続させただけでなく、それをロシアのすぐそばまで拡大して行きました。ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト諸国(ラトビア、リトアニア、エストニア)、ブルガリア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアと。
 NATOに加盟すると兵器体系の水準を上げなければならず、新規需要が生ずるところから、これら諸国に対する軍事援助込みでNATOに加盟させるべく、米国政府に対し、米軍事産業がロビイスト活動を盛んに行ってきた、という事実はあります。
 (以上、
http://newsweek.washingtonpost.com/postglobal/needtoknow/2008/08/the_conflict_we_chose.html
(8月31日アクセス)による。)
3 終わりに
 最悪シナリオを描くのも、反省するのも必要なことではありますが、私自身は、こんな最悪シナリオは実現しないだろうと思っていますし、対ロシア政策がどうであれ、ロシアのロシア回帰は避けられなかっただろうと考えています。
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太田述正コラム#2763(2008.8.31)
<米国人による感覚的イギリス論>
→非公開