太田述正コラム#2779(2008.9.9)
<皆さんとディスカッション(続x241)>
<Pixy>
≫ちなみに、クラーク教授が言う、「ロシアの介入」を「民族浄化行為とまで表現した」「西側のメディア」というのは寡聞にして知りません。典拠が明示されていないので私には反駁しようがないです。私は、クラーク教授がありもしない主張をでっち上げて論破した気になっている可能性もあると思っています。≪(コラム#2774。バグってハニー)
 うーん、Google のNews検索で「georgia russia ethnic cleansing」で検索すると、記事が沢山ヒットしますが、どうなんでしょう。
 厳密にいえば、西側メディア自体が「ロシアの介入」を「民族浄化行為とまで表現し」ているのではなく、グルジア側や西側政府高官のコメントの引用やICJ絡みでの双方のやりとりといった形式での表現になりますけどね。
<海驢>
≫・・・このピリング記者の意見にはみなさん食いついてますね≪(コラム#2776。バグってハニー)
 当方としては、FTのヨタ話は「またか」と思うだけで特段の興味はないのですが、よくよく読んでみるとこのピリング氏、FTの東京支局長なんですね。単なる外国駐在のサラリーマンに多くを期待するのは無理なのでしょうが、報道機関のそれなりの立場にある人物の割には日本の歴史・文化について見識不足であり、オールコック卿の頃からあまり変わらない英国人気質(他国の文化・文明を素直に認めない・見下す)も感じます。
 『国家の品格』のような流行本(底が浅く間違いも多い、勢いはよいので入門書としては価値があるかも?)をネタに選んでいるところからして、「お約束の日本人論」をこき下ろすためのセコイ意図がミエミエだと思うのは気のせいでしょうか? 渡部昇一氏や松原久子女史とでも対談してみよ、と言いたくなりますね。
≫藤原氏もピリング記者もそして私も角田教授の研究をちゃんと理解できてないと思いますけど、それはあまり重要ではなかろうかと。≪(同上)
 角田教授の研究を「ちゃんと理解」する必要はありませんが、「左脳で虫の音を聞く=虫の音を言葉として聞く」というプロットは、日本語を母語とする話者が「虫の音」に「もののあわれ」を感じるという点を理解するのに重要なのでは?
 そこには、秋の虫に(寂しげに呟いていると感じて)感情移入し、自然と一体化するという感性があるのであり、それが日本語に由来するならば、日本の「文化」として理解すべきもののはずです。
 このFT記者さんは、クサすのが目的で最初から理解する気もないようですが、理解していないからこそ「・・・日本人が聞き取るこの「音楽」は当然ながら、教養として教わり作られた感覚のはずだ・・・」とか、「ボールがクリケットバットあたる音は、イギリス人にとって「夏」と「村の緑地」を意味する音なのだ、ということと同じではないか?」などという間抜けな言説になるのでしょう。
※参考:FTと昼食を 「国家の品格」藤原正彦さんと─フィナンシャル・タイムズ(3)(フィナンシャル・タイムズ) – goo ニュース
http://news.goo.ne.jp/article/ft/nation/ft-20070323-03.html
≫藤原氏が言っているのは、日本人は自然の感受性に優れているから外国人と違って自然を愛でることができる、それどころか、そうすることができるような特別な仕組みが日本人の脳には備わっている、というような自己優越的ないやみ、もっと言えば趣味の悪い選民思想のようなことであって・・・≪(同上)
 一応『国家の品格』も読みましたが、内容は軽さのあまりすっかり忘れてしまいました。
 「自己優越的なイヤミ」「趣味の悪い選民思想」と聞くと、英国人(と一部の米国人)を思い浮かべてしまいますがね(さすが、日本人とアングロサクソンは親和性が高い?)。
≫だからピリング記者はひとことくささずにはいられなかったのではなかろうかと。我々イギリス人の自然に対する感受性だって決して日本人に劣らない、我々イギリス人にだって自然を愛でる習慣などいくらでもある。そんなことが言いたかったのではないでしょうかね。≪(同上)
 これは少々違うのではないか、と思う点が二つあります。
1)人の自慢話をいちいちクサすのは嫌韓厨と同レベル
 謙虚さと反省もなければ進歩は滞るけれども、そもそも自負心・自尊心がなければ民族は滅びるでしょう。日本人が「日本人最高!」というのは、普通の話であって、他国の人間に文句を言われる筋合いの話ではないはずです。
 慎みある人はそのような単細胞な表現は控え、謙虚に振る舞うべき、というのも正当な意見ではありますが、人の自慢話に一々異議を唱える(しかも間違っている)とは、韓国のナショナリズム高揚記事に逐一突っ込みを入れている嫌韓ネットイナゴと同類では?
2)「ボールがクリケットバットに当たる音」は自然ではない
 日本人が「もののあわれ」を感じる対象として挙げられているのは、「虫の音・桜の花」=自然物。一方、英国人側の例として挙げられているのは、「ボールがクリケットバットに当たる音・村の緑地」=人工物。それって「自然に対する感受性」と言うのですか?
 この例から「イギリス人の自然に対する感受性だって決して日本人に劣らない」とか、「イギリス人にだって自然を愛でる習慣などいくらでもある」ということは全く導けない気がしますけど。
 このようなヨタ話をFTなんぞが「お約束の「日本人論」」と言って流すから、「(日本人論)は、当たり前ですが、欧米の人々には大変不評です(コラム#2767)」なんて状態になるのでしょうね。毎日新聞英語版Webサイト「WaiWai」(コラム#2638)と同レベルかもしれません。
 「公正な報道」を期待して英米メディアを通読しているお人好しの日本人にも悪影響が及ぶのでしょうから、まったく迷惑な話です。
 しかし、このFTのヨタ話にも、唯一真っ当なことが書いてあるところを見つけました。
<以下、引用:上述「FTと昼食を」より>
・・・確かに日本人は、あらゆるものを美しくすることにかけて天才的だ。しかし自然の美しさについては、そうでもない。20世紀後半に日本人は国の自然景観をずたずたにしてしまった。
<引用終わり>
 「日本人は国の自然景観をずたずたにしてしまった」というのは、日本人がしっかりと認識し、着実に改善するための手を打っていくべきことだと思います。少なくとも、幕末・明治初期まではそうではなかった(資料:『シュリーマン旅行記清国・日本』H.シュリーマン(講談社学術文庫)、『英国人写真家の見た明治日本―この世の楽園・日本』ハーバート・G. ポンティング(講談社学術文庫)、『新編 日本の面影』ラフカディオ・ハーン (角川ソフィア文庫) など多数)。
 ま、そこ(自然の破壊)に至った根本原因は、ペリー来航に始まる列強の植民地化圧力と英国の支援を受けた薩長の軍事クーデター(一般的には明治維新)、それに引き続く「カミ殺し」と極端な西洋化、大東亜戦争敗戦のGHQによる日本弱体化工作など、いろいろな所に求められるわけですが。
<太田>
 おみごとなピリング批判ですが、彼は、ニューヨークタイムスのNorimitu Onishi(大西哲光)特派員なんぞよりは比較にならないくらい上等な記者だと思うので、私としては、少しくらいのことには目をつぶってあげたいところですね。
<海驢>
先日(8月29日)に投稿した「プーチン首相「グルジア紛争を起こしたのは米国」AFPBB News
http://www.afpbb.com/article/politics/2512274/3273021
」のCNNインタビュー詳細(日本語訳)が米国在住の方のブログで紹介されていました。 ちょっとばかり長いようですが、ご参考まで。
1)プーチン首相、CNNのインタビューに答える~その1 – ままくんカフェ – 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200809010000/
2)プーチン首相、CNNのインタビューに答える~その2 – ままくんカフェ – 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200809010001/
3)プーチン首相、CNNのインタビューに答える~その3 – ままくんカフェ – 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200809020000/
4)プーチン首相、CNNのインタビューに答える~その4 – ままくんカフェ – 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200809020002/
5)プーチン首相、CNNのインタビューに答える~その5 – ままくんカフェ – 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200809030001/
6)プーチン首相、CNNのインタビューに答える~その6(最終回) – ままくんカフェ – 楽天ブログ(Blog)
http://plaza.rakuten.co.jp/mamakuncafe/diary/200809060000/
<MS>
 海驢様、シリーズ「日韓の反目と安全保障」へのコメントありがとうございます。
 おほめの言葉をいただき、うれしい限りです。
 でも、「緻密な」のは私ではなくビクター・チャ教授ですから、
 そもそも私のコラムといってよいのかどうか。。。
 紹介した私がいうのもなんですが、疑似同盟理論を日米韓に適応することに関しては、太田さんのおっしゃるとおり、日本が米国の属国という地位で、米国中心の日米韓の安全保障体制にビルトインされていることを考えると、かなり無理があるような気がします。
 しかし、一口に属国といってもいろいろあるのではないでしょうか?
 私は残念ながら、日本は属国としてもできそこないだと思います。
 仮に日本がまともな属国であれば、外交交渉もすべて米国にやってもらうか、徹底してその指示どおり動けばよいのであり、そうすれば、日本と韓国との軋轢もそもそもおこらず、話は単純になります。
 つまり、三国間関係でなく、超大国(米国)と中程度の国(韓国)の二国間の理論に帰着できるわけです。
 しかし、実際には属国が、自分より安全保障上も経済上も不利な立場の独立国相手に、経済力のみをてこに外交交渉をしようとするのが話を混乱させているのでしょう。
 このような観点からすると、例えば74年の木村外相の発言など属国民の分をわきまえないもので、「日本政府高官がいつも口にする嫌がらせの最たるもの」という韓国側の受け取り方は非常に的確なものだと思います。
 このような日本側の実質をともなわず、かつ、戦略性のない発言に、韓国側もいちいちつきあってしまうので、日韓関係はこじれ、また、予測も難しいのではないかと思います。
 したがって、日韓関係の変遷は体系化するにはあまりにも雑多すぎるのであり、むしろ疑似同盟理論は他の普通の国に適応されるべきものかもしれません。
 (もっともそういう国には既に確立した理論があるのかもしれませんが。)
 しかし、疑似同盟理論をぬきにしても、チャの著作は注釈だけで80ページもあり、その膨大な事実の羅列を読んでいるだけでも、かなり面白いものでした。
 チャに関しては、この半年ほど毎月一回のペースで朝鮮日報英語版に寄稿しているようですので、もし興味があればどうぞ。
<太田>
 属国(保護国)は植民地でも本国の一部でもないのですから、外交・安全保障の基本以外の、いわばどうでもよい事柄については言動の自由があります。
 (他方、韓国は独立国ですから、国益判断に基づく完全な言動の自由があります。)
 私は、日本は戦後一貫して、「まとも」過ぎるくらい「まとも」な米国の属国だったと思っています。
 ですから、これまで日本政府の言動で日韓間に軋轢が生じたことがあったとすれば、それは韓国側がどうでもよいことに過剰反応したことによる、と考えている次第です。
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太田述正コラム#2780(2008.9.9)
<拡大する男女の性差>
→非公開。