太田述正コラム#13480(2023.5.13)
<太田茂『新考・近衛文麿論』を読む(その21)>(2023.8.8公開)

 「近衛は、陸軍の統制派よりも皇道派の方に強い親近感を持っていた。・・・
 富田健治は・・・二・二六事件後、近衛が大命降下を固辞した当時の近衛の心境として、次のように近衛の述懐を記している。
 「皇道派は、……赤化防止、国体の護持を標榜し、日本主義又は日本精神の作興を中心とする反面、対外政策はソ連一本鎗で、支那に手をつけ、或いは南に向かって進むことには極度に反対意見を有している。この一派は満州事変にも反対だった。……二・二六事件で皇道派が一斉に葬られたことは、将来、南進論であり英米を敵視する統制派の抬頭ということになるおそれがある。このようにいわゆる対英米自重派、対支自重派たる皇道派が二・二六事件の結果、ほとんど全員一掃せられ、勢いの赴くところ今後の動向についても寒心に堪えぬものがあるので、自分は組閣の大命は拝したけれど、以上のような理由でこれに対する自信なしと西園寺公に語り、表向きは病気を理由として拝辞した次第である。
 しかし、園公の見方は皇道派の方が危険であって、対外的にも対内的にも尤も危険な皇道派が一掃せられ、せっかく粛軍の実も結ばれようというのにと、極めて私の考えに不満の様子であった……」
 富田は、当時、近衛が語ったこの見識なり見通しが正鵠なものであったことはその後の歴史的事実がこれを明らかに示しているとする。

⇒皇道派は陸軍内の横井小楠コンセンサスのみ信奉者、統制派は陸軍内の島津斉彬コンセンサス信奉者(/秀吉流日蓮主義信奉者)、と言って概ねよいところ、後者の方が、アジア主義度が強いと同時に、国内(昭和天皇、世論)についても国外(支那、インド、欧米、ソ)についてもより的確な理解をしていた、と言ってよいと思います。
 西園寺が不満だったのは、近衛が、アジア主義の総本山と言うべき(彼の父親の近衛篤麿が作ったところの)東亜同文会の会長に牧野伸顕に替わって就任することになっていた・・調べがつきませんでしたが、文麿が会長に就任したのは二・二六事件が起った1936年
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E5%90%8C%E6%96%87%E4%BC%9A
であるところ、就任したのは同事件の後ではないでしょうか・・にもかかわらず、志が低くてアジア解放に冷淡だったり、不勉強で蒋介石政権の阿Q性を深刻視していなかったり、だったからでしょう。
 近衛には、杉山構想は開示できない、との自分達の判断に間違いはなかったとも改めて思ったでしょうね。
そんな近衛を、西園寺と牧野・・そしてもちろん杉山元・・が、あえて東亜同文会会長に据えたのは、近衛に更なる箔付けを施すことによって、それまで以上に近衛が首相になることを期待する世論を掻き立てて近衛を逃げられなくするとともに、近衛が首相になってからアジア主義的国策を推進せざるを得なくするため、であったのではないでしょうか。太田)

 <しかし、その後、>・・・皇道派の思想に親和性を有していたはず<な>の<に、>近衛<は>、自ら「東亜新秩序声明」を打ち出し、その「新秩序」が膨張して、「大東亜共栄圏構想」にまで発展し、それは必然的に南進策を包含するものとな<ってしま>った。・・・
 <実際、>田中新一・・・によれば、・・・「・・・<1941年時点で、>杉山参謀総長は・・・『近衛も松岡も支那事変には飽きてしまっている……今のままでは解決なんて望みはない。南方に足をおろすこと、事変を解決する道はそれだけだ。支那に向けてある力を南方に移すべきだ』と・・・嘆じて語っていた・・・<ところ、>これは大東亜共栄圏構想絶体観である」と<戦後に>回想し<ている>。
 <(ちなみに、>田中新一は、その後、日米開戦をめぐって、早期開戦を主張し、これに反対する<軍務局長の>武藤章と激論にな<っている。)>・・・
 遠くたどれば、近衛の若いころの「英米本位の平和主義を排す」の論文に流れる、欧米に対抗するアジアの連帯の思想が、<近衛をして、支那事変に飽きさせ、南進に踏み切らせ>たといえるのではないだろうか。」(136~137)

⇒西園寺/牧野/杉山の近衛文麿に係る仕込みが、見事なまでに実を結んだ、というわけです。
 なお、私は、「英米本位の平和主義を排す」はゴーストラーターが書いたのではないかと勘繰っている(コラム#12833)くらいであって、近衛は「思想」と呼べるほどのものなど持ち合わせてはいなかった、と見ています。
 もう一点、武藤章には杉山構想が開示されなかった(前述)一方で、田中新一には開示されていたと私は見ている(コラム#12974)ところ、ここでも、田中は、(死人に口なしの)杉山にあえて杉山構想の一端を語らせることでもって我々に注意喚起してくれている(コラム#12983)、ということのようですね。(太田)

(続く)