太田述正コラム#13773(2023.10.7)
<皆さんとディスカッション(続x5675)>

<太田>

 安倍問題/防衛費増。↓

 なし。

 ウクライナ問題。↓

 <やれることはそれくらい。↓>
 「ロシア軍がザポリージャ戦線に追加要塞、「ぬかるみ期」控え徹底抗戦か・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/932e574ba87e05c1d50a658b1623fed5a69b6722
 <フムフム。↓>
 「ウクライナ軍の「吸血鬼」ドローン、その必殺兵器は対戦車地雷・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c85185401c50de97adfdfaa09ded0182aaabea56

 それでは、その他の国内記事の紹介です。↓

 引き続き、竜王戦の2日目をたまにチラ見鑑賞中だが、昨日、本日、と、将棋AIに非ディープラーニング型とディープラーニングがあって、Abemaのが、藤井七冠の推しで前者から後者へと変更されたというのだが、双方での評価値の違いが大きく出る場合もあるらしい。
 私のディスカッションにせよ、有料読者向けコラムにせよ、ディープラーニング型の生成AIが書けるようになるのもそう先ではない気がしてきた。

 面白い。↓

 <理解に苦しむべきは、そこじゃあなくって、なぜ軍事的には負けるに決まってる対米英戦を日本が始めたか、だよ。↓>
 「・・・第二次世界大戦でいくら考えても理解に苦しむのは、なぜ日本がもっと早く降伏しなかったのかということである。・・・
 <当時の国力に見合った持ち合わせのヒト、カネ、モノしか使えなかったことを責めても仕方ないよ。いずれにせよ、「戦争犯罪者」はないだろう。↓>
 戦没兵士の60%以上は、補給をまったく考慮しない大本営の無謀な作戦によって殺害された。ナチス・ドイツはユダヤ人を「大量虐殺」したが、当時の日本の戦争犯罪者は、日本人を「大量虐殺」したのである。
 <日本の対米英戦開戦理由が分かってさえいれば、戦争目的が達成されるまで戦うのは当たり前だし、実際そうだったことが分かるのだが・・。↓>
 しかも、戦没者の大多数は、戦争末期に集中している。もし日本がもっと早く降伏していれば、多くの「餓死」は防げたし、アメリカは原爆を投下できなかっただろう。・・・
 <後は、ともかく、面白い。↓>
 「・・・ソ連は、第二次大戦で最も多くの犠牲者を出した。国家は疲弊し、とても新たな戦争に突入する余裕はないはずである。そこで生じたのが、アメリカだけが原爆を保有している間に、ソ連に「予防戦争」を仕掛けるべきだという強硬な意見だった。一般に「予防戦争」とは、潜在敵国が将来、自国を侵略する機会を「予防」するために、機先を制して潜在敵国に戦争を仕掛けることを意味する。自国が戦力的・時期的に有利な間に、進んで先制攻撃すべきだという考え方である。第二次大戦が終結したばかりの1945年10月、ソ連に対して「予防戦争」を実行すべきだと正式に表明したのは、驚くべきことに、後に「核廃絶」を主張するようになるイギリスの哲学者バートランド・ラッセルだった。ラッセルによれば、終戦後に設立された「国際連合」のような緩い機関では、とても将来の世界平和を保障できない。彼は、連合国が民主的な「世界政府」を樹立し、そこにソ連の加盟を要求するべきだと提案した。共産党による一党独裁政権の頂点に立ち、恐怖政治でソ連を支配するヨシフ・スターリンが、そんな要求に応じるはずがない。そこで、その拒絶を「開戦の理由」にして「正当な戦争」に踏み込めばよいというのが、ラッセルの主張だった。ラッセルは、1948年5月には、次のように述べている。「ヨーロッパがソ連に侵略されると、被害は甚大であり、仮にその地を取り返したとしても、決して元の状態に戻すことはできないだろう。知識人は、北東シベリアか白海沿岸の強制収容所に送られ、過酷な環境で大多数は死亡し、生き残った人間がいても、もはや人間性を失った動物にすぎなくなるだろう(ポーランドの知識人がソ連に何をされたか、思い起こしてほしい)・・・
 ちょうどこの時期に、ジャーナリストのクレイ・ブレアがノイマンにインタビューした貴重な記事がある。ノイマンは、ラッセルとまったく同じ論法で「一刻も早く世界政府を樹立すべきですが、ソ連の共産主義が世界の半分を支配している限り、それは不可能です。したがって、予防戦争をすることは理にかなっているのです」と冷静に答えている。さらにノイマンは、「ソ連を攻撃すべきか否かは、もはや問題ではありません。問題は、いつ攻撃するか、ということです」と主張し、「明日爆撃すると言うなら、なぜ今日ではないのかと私は言いたい!今日の5時に攻撃すると言うなら、なぜ1時にしないのかと私は言いたい!」と述べたという。このインタビュー記事によって、ノイマンは「マッド・サイエンティスト」の代表とみなされるようになった。スタンリー・キューブリック監督の風刺映画『博士の異常な愛情』は、この発言のノイマンをモデルに「ストレンジラブ博士」を生み出したわけである。・・・
 実は、ソ連は、何も「マンハッタン計画」と同じようにゼロから原爆を開発する必要はなく、その出来上がりの情報だけを入手すればよかったからである。1950年1月27日、アメリカの原爆情報をソ連に流していた物理学者クラウス・フックスが、イギリスで逮捕された。この時点で、彼は、イギリスの原子力開発を極秘任務とするハーウェル原子力研究所所長にまで昇りつめていた。」
https://news.yahoo.co.jp/articles/349617bccd555bdf5b391aae9f4c6a9c4ca1dbe6

 日・文カルト問題。↓

 <連日、日本呼ばわりが続いている。↓>
 「サッカー:韓国、今日「運命のライバル」日本と決勝…最近の対戦成績は劣勢・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/10/07/2023100780008.html
 「サッカー女子:日本、準々決勝で韓国を破った北朝鮮に4-1の大勝…初の連覇達成=杭州アジア大会・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/10/07/2023100780004.html
 「ハンドボール女子韓国、8度目の優勝を小柄な日本代表GK馬場敦子に阻まれる 杭州アジア大会–決勝で日本に完敗…アジア大会決勝での敗戦は初・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/10/06/2023100680019.html
 「ホッケー女子韓国代表、日本に勝って決勝進出 杭州アジア大会・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2023/10/06/2023100680011.html
 「<杭州アジア競技大会>韓国男子サッカー・野球、きょう決勝…日本・台湾に勝利して連覇狙う・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/309876
 「<杭州アジア競技大会>韓国男子バスケ、日本は破ったが…「最終7位」歴代最悪の成績・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/309875
 <この記事はOK。↓>
 「「東京五輪汚職」に…日本「札幌冬季五輪の招致を断念」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/309872
 <ご苦労さん。↓>
 「韓国海洋水産部、ロンドン条約総会で「日本汚染水の放出、国際基準を満たしていると報告された」・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/309865
 <文カルトによる負の遺産。↓>
 「韓国政府、親日派・李海昇子孫土地没収訴訟で最終敗訴・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/309864
 <ムリムリ。中韓関係は中共が規定するのよね。↓>
 「韓日米で協力強化も、韓中関係も発展させるべき・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/309867

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 <健闘を祝す。↓>
 「<女子バスケ>日本に「絶殺」で優勝、中国が沸き立つ―杭州アジア大会・・・中国メディアの記事やSNS・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b921653-s25-c50-d0052.html
 <日中交流人士モノ。↓>
 「日中関係「寒流」の中に一抹の温かさ、張雨霏と池江璃花子の物語・・・華字メディアの日本華僑報・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b921588-s25-c50-d0052.html
 <ご愛顧に深謝。↓>
 「中国各地の街頭大型ビジョンに「名探偵コナン」が出現!・・・中国のSNS・微博(ウェイボー)・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b921639-s25-c30-d0203.html
 「ノーベル賞と並走すること17年、それでも本が一番売れるのは村上春樹氏・・・中国メディアの時代週報・・・」

https://www.recordchina.co.jp/b921646-s25-c30-d0193.html

一人題名のない音楽会です。
 結果的に、ラフマニノフとリストのピアノ曲という組み合わせになりました。

Rachmaninoff Études-Tableaux(音の絵)(注a), Op. 39 ピアノ:Evgeny Kissin 24.24分
https://www.youtube.com/watch?v=LMRplemqFBw

(注a)’The collection op. cit. 39, was composed from 1916 to 1917. Contrary to popular belief, Rachmaninov was interested in the music of his time; Influenced by Scriabin and Prokofiev, this second opus marks a break in Rachmaninoff’s compositional style. Indeed, he was deeply affected by the deaths of Scriabin, his teacher Sergei Taneyev and his father the following year. In addition, 1917 was a great year of unrest in Russia, which led the composer to flee his native country and take refuge in the United States. Thus, this second notebook of Études-Tableaux is much darker and more tragic. The magical and idyllic world of the former is thus abandoned and replaced by a profoundly dramatic atmosphere. This second collection of Études-Tableaux was premiered on 21 February 1917 by the composer himself. It was published on October 9, 1920・・・.・・・
 The composer Ottorino Respighi made an orchestral arrangement of five of the etude paintings, which compelled Rachmaninov to reveal to him what inspired him to compose them:
The Sea and the Seagulls (Op. 39 No. 2)
The Fair (Op. 33 No. 6)
Funeral March (Op. 39 No. 7)
Little Red Riding Hood (Op. 39 No. 6)
March (Op. 39 No. 9)’
https://fr.wikipedia.org/wiki/%C3%89tudes-Tableaux (仏語を英語にGoogle翻訳)

Liszt Réminiscences de Don Juan, S.418(注b) ピアノ:岡田将(注c) 16.13分
https://www.youtube.com/watch?v=JI6JfJXcUjU

(注b)「「ドン・ジョヴァンニ」の回想・・・は、・・・モーツァルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』からいくつかの旋律を抜き出し、再構成したパラフレーズ作品である。・・・
 難曲としても知られており、フェルッチョ・ブゾーニは「ピアニズムの頂点をなすものとして、象徴的な意味を持つ」・・・と述べている。また、アレクサンドル・スクリャービンは本曲と《イスラメイ》を練習中に右手を故障している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%80%8C%E3%83%89%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3
(注c)おかだまさる(1974年~)。「1988年・・・全日本学生音楽コンクール全国大会の中学校の部において、第1位を受賞。1992年 – 第61回日本音楽コンクール第1位、野村賞、E・ナカミチ賞を受賞。1993年 – 桐朋女子高等学校音楽科卒業(共学)。オーストリア国立ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院に留学。1995年 – ベルリン芸術大学留学。1997年 – アルトゥール・シュナーベルコンクール第1位及びスタインウェイ賞を受賞(於ベルリン)。1999年 – 第5回リスト国際ピアノコンクールて日本人初の優勝(於オランダ)。」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%B0%86

<太田>

 名称変更したはずなのに、「ツイッター」から、下掲のメールが届いた。
 スパムかしら?↓

 ・・・お寄せいただいた申し立ての内容を確認した結果、お客様のアカウントの凍結を解除することにいたしました。
 ご利用のアカウントは、Twitterルール違反を理由に凍結されました。Twitterポリシーでは、スパム、偽物、アカウントへの作為的な反応、アカウントとの作為的なエンゲージメントを明確に禁止しています。禁止事項には、アカウントへの反応の販売や購入、誇張の試みも含まれます。また、フォロワーやリツイートを増やすとうたうサードパーティーアプリの使用や、エンゲージメントやフォローの交換グループ(「デック」ともいいます)への参加も該当します。
 今後Twitterルールへの違反が発見された場合には、アカウントが永久に凍結される可能性があります。お客様が、そしてお客様のアカウントにアクセスする全ユーザーが、Twitterルールに従っていることをあらためてご確認ください。・・・

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太田述正コラム#13774(2023.10.7)
<渡邊義浩『漢帝国–400年の興亡』を読む(その3)>

→非公開