太田述正コラム#2788(2008.9.13)
<マケインの逆襲(続)>(2008.11.3公開)
1 始めに
 ペイリン共和党副大統領候補が、TV単独インタビューに応じたところ、ブッシュ・ドクトリンについて問われて、それが何のことだか分からなかったらしいことが話題になっています。
2 問答のあらまし
 インタビューワーが、ペイリンに「あなたはブッシュ・ドクトリンに同意するのか」と聞いたところ、ペイリンは、「何が聞きたいの(In what respect?)」と問い返したので、思わせぶりに躊躇した挙げ句、このインタビューワーは「われわれが予見的自衛の権利(the right of anticipatory self-defense)を持っている」というドクトリンのことだと説明した、というのがこの話題になっている問答のあらましです。
3 一体何がブッシュ・ドクトリンか
 しかし、この点では必ずしもペイリンの無知を嗤うわけにはいきません。
 正直言って、私だって急に同じような質問をされたとすれば、答えに窮したかもしれません。
 ピューリッツァ賞受賞の米評論家、クラウトハマー(Charles Krauthammer)は、ワシントンポスト掲載のコラムで次のように指摘しました。
 米国で、ドクトリンの名に値するのはモンロー・ドクトリンとトルーマン・ドクトリンくらいのものであり、ブッシュ政権にそんな明確なものはない。
 私が、ブッシュ・ドクトリンという言葉を最初に用いた人間であることは確かだ。
 1999年3月にブッシュ政権がABM条約から一方的に脱退し、かつ京都議定書に加盟することを拒否したこと等をとらえて、私は、それを新米国的ユニラテラリズム(New American Unilateralism)なるブッシュ・ドクトリンであると評した。
 ところがその後の2001年9月、9.11同時多発テロが起こった。
 その9日後の議会の上下合同会議の場でブッシュは、「テロリストを匿ったり支援したりする国は米国の敵であるとみなす、すなわち、米国に味方しない国は敵対するものとみなす(With Us or Against Us)」という趣旨の演説を行いました。これが、いわば第二のブッシュ・ドクトリンとなった。
 次に2002年6月、対イラク戦争を念頭に置いて、ブッシュは先制戦争(preemptive war=Pre-emption) のドクトリンを打ち出した。
 上記インタビューワーが持ち出したのは、このいわば第三のブッシュ・ドクトリンだ。
 しかし、強いて言えば、次の第四のものこそ、最もドクトリンの名にふさわしいと言えよう。
 それは、ブッシュが2005年1月の2回目の大統領就任演説で打ち出したものであり、米国の対外政策の基本は自由民主主義の全世界への普及にあるという、いわゆるfreedom agenda だ。
 これはウィルソン大統領の14カ条、1947年のトルーマン・ドクトリン、そしてケネディ大統領の就任演説の系譜に連なるものだ。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/09/12/AR2008091202457_pf.html
(9月13日アクセス。以下同じ)による。ただし、下掲のスレート誌の記事も加味した。)
 米スレート誌のコラムニストのジェイコブ・ワイスバーグ(Jacob Weisberg)は、かねてより、上述の四つのブッシュ「ドクトリン」の四つ目を民主主義と自由主義に分け、2003年11月のブッシュの「中東に民主主義を」演説をいわば第四のブッシュ・ドクトリン、2005年1月の「世界中に自由主義を」演説をいわば第五のブッシュ・ドクトリンとしています。
 そして、この第五のブッシュ「ドクトリン」に至っては、チェイニー副大統領さえ「見果てぬ夢(pipe dream)」と形容した代物であり、2006年11月以降、ブッシュ政権はその対外政策を定義する試みを一切放棄してしまっている(absence of any functioning doctrine at all)のであって、これがいわば第六のブッシュ・ドクトリンであると指摘しています。
 (以上、
http://www.slate.com/id/2200090/
による。ただし、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/blog/2008/09/12/BL2008091201471_pf.html
で補足した。)
 いや、六つではなく、以上に更に、国連が機能しないときには米国は自由意志連合(coalition of the willing)に拠るとの宣言を加えて七つブッシュ・ドクトリンがあるという主張もあります。ブッシュ政権の国家安全保障会議のスタッフであったピーター・フィーバー(Peter D. Feaver)の主張です。
 
 それはともかくとして、クラウトハマーと違って第三のブッシュ・ドクトリンこそ、最も重要であり、ブッシュ政権のお歴々自身そう思っていると指摘するのが、カーター政権とクリントン政権で要職を務めたリチャード・ホルブルック(Richard C. Holbrooke)です。つまり、上記インタビューワーの認識は正しいというわけです。
 現在のブッシュ大統領の報道官のダナ・ペリノ(Dana Perino)女史は、インタビューに答えて、「ブッシュドクトリンは、テロリストの脅威に対処するための全般的戦略の三つの要素を叙述するために一般に用いられているとし、その三つの要素とは、米国はテロの実行犯と連中を支援し匿う者とを区別しない、われわれは重大な脅威が完全に現実化する前にこれと対決するとともにテロリスト達を米国内に招じ入れないないために連中と外国で戦う、われわれは人間の自由という希望に満ちた代替案を普及させることでテロリスト達の憎むべきイデオロギーと対決する、だ」と述べたところです。(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/09/12/AR2008091203324_pf.html)。
4 終わりに
 今までのところ、ペイリン共和党副大統領候補は、決定的な失態を演じることなく乗り切ってきていますが、ベテランの上院議員で外交安保問題に滅法詳しい民主党副大統領候補のバイデンとの一対一の討論が予定されていること等から、11月上旬の大統領選までの間には、彼女が醜態を晒す場面が必ず出てくるものと私は希望的観測をしています。