太田述正コラム#2802(2008.9.20)
<フランスのベストセラー小説>(2008.11.7公開)
1 始めに
 『ハリネズミの優雅さ(L’elegance du herisson。英語版:THE ELEGANCE OF THE HEDGEHOG)』というフランスの小説がフランスで102週にわたってベストセラー・リスト入りし、これまでに120万部も売れています。
 著者はMuriel Barbery です。
 その簡単な紹介をした上で、比較文明論に及びたいと思います。
 (以下、
http://www.guardian.co.uk/books/2008/sep/11/fiction.publishing
(9月12日アクセス)、及び
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/09/11/AR2008091101955_pf.html
(9月14日アクセス)による。)
2 この小説の簡単な紹介
 テーマは美と芸術の本質と生と死の意味についてであり、主人公は、パリのアパルトマンの管理人である太っちょで醜い54歳のルネ・ミシェル(Renee Michel)夫人と、このアパルトマンに住む、13歳になったら自殺すると密かに決心している12歳の女の子パロマ・ジョセ(Paloma Josse)の二人です。
 ミシェル夫人はモーツアルトやパーセル(コラム#2789)の音楽が大好きで、初期マルクスを好むけれどフッサールの哲学を嫌い、映画「レッドオクトーバーを追え」を学校の教材にふさわしいと考え、同時に自宅で日本のお茶のお点前をやることを習わしにしている人物です。
 ミシェル夫人もパロマも極めて知的レベルが高く、それだけにアパルトマンの他の住人達から孤立しています。
 そんなところへ、オズ・カクロウという日本人の紳士がやってきてこのアパルトマンの空き部屋を買うのですが、彼はミシェル夫人とパロマがただ者ではないことを瞬時にして見抜きます。そして彼は、この二人がどんなプライベートな生活を送っているかを探るのですが、その結果こっけいな、あるいは悲しい出来事が次々に起こっていくのです。
 ミシェル夫人は、この小説の終わりの方で、「人間の熱望よ! われわれは欲望を絶つことができない。これは栄光に導くとともに破滅に導く。欲望よ! それはわれわれを運び去り十字架に架ける。毎日われわれを戦場へと運び、夕べにはわれわれはその戦いに敗北する」という結論に達します。
 これだけの紹介では十分イメージがつかめないことと思いますが、哲学的な小説だな、と思われたことでしょう。
 なお、日本への思い入れが強く感じられるのが興味深いところです。(最後のくだりだって仏教の「生は苦なり」そのものであり、日本と無縁ではありません。)
 これは、この小説に限ったことではありません。
 最近のベストセラーには、アメリー・ノソム(Amelie Nothomb)の 『Stupeur et tremblement (=恐怖と震え)』のような、日本で一年間働いた時のことを描いた自伝的小説や、同じ著者による、やはり日本を舞台にした自伝的小説である『Ni d’Eve ni d’Adam(=イブでもアダムでもなく)』があります。
3 フランス文学と英国
 どこの国のものであれ、英国人は翻訳小説を余り読みません。特にフランスの小説はほとんど売れたためしがありません。
 この本もそうなのですが、フランスの小説は哲学的ないし社会学的なものが多いところ、英国人はそんな難解でとっつきにくいものより筋(plot)のはっきりしたものを好むからです。
 この本も、英国の大手の出版社はことごとく敬遠し、フランス語からの翻訳物だけを扱うゲーリック・ブックス(Gallic Books)という小さな出版社が版権を取得しました。
 同じことは、犯罪小説等の大衆小説についても言えます。
 英国人の読者からすると、フランスの映画と同じくフランスの小説は、登場人物が著者の分身であることが多く、理知的(cerebral)かつ内省的(introspective)であり、微妙さ(subtlety)がウリだけど、要するにほとんど何も起こらないじゃないか、というわけです。
 とにかく、英国の読者は、物語の筋(storyline)がはっきりしていて、主人公に感情移入できるものでなければダメなのです。
 フランスの小説のように、読者に自分達の文化の前提について問いかけるようなものには拒絶反応を示す、ということです。
4 終わりに
 私はアングロサクソン文明と欧州文明は対蹠的な文明であると主張してきました。
 両文明は、方や帰納論の文明であり、方や演繹論の文明ですが、その違いは小説にまで現れているわけです。
 ドーバー海峡(English Channel)を隔てた隣国であるというのに、フランスは英国とまるで違う、というところが面白いと思いませんか。