太田述正コラム#2900(2008.11.8)
<19世紀末以降の日本史をどう見るか>
1 始めに
 これまで、19世紀末以降の日本史の個別イッシューはかなりコラムで取り上げて来たものの、その全体像を描いたことがありません。
 田母神騒動もこれあり、私が全体像を描くとしたらどういう感じのものになるか、取り急ぎメモってみました。
 なお、最近のもの以外は、過去コラムを典拠としてつけていません。
 関心のある方は、私の過去コラムにあたってください。
2 19世紀末以降の日本史
 (1)基本的スタンス
 歴史を語るにあたっては、それが事実を踏まえたものであるかどうかについて、慎重の上にも慎重を期すべきだ。
 それはそれとして、「正しい」歴史認識などありえない。各自の抱いている価値観に照らし、「もっともらしい」歴史認識であるか「もっともらしくない」歴史認識であるかどうかだけだ。
 歴史認識について語る際には、自分の価値観を明らかにすべきだ。
 私の価値観は、専制は悪で自由は善、しかしアナーキーは悪、機会の平等が追求されるべきで、無抵抗の人間を殺すことは極力避けなければならない、というシンプルなものだ。
 言うまでもなく、これはアングロサクソン的価値観だが、基本的に日本的価値観でもある。
 「侵略」とは何かとか、「侵略」は常に悪か、といった議論には私は関心がない。
 戦争(冷戦を含む)については、どちら側が、より上記価値観に則った言動を行っているかどうかを見極めた上で、評価を下すよう心がけている。
 これは歴史に対する価値観的アプローチだが、文明論的アプローチであると言ってもよかろう。
 近現代においては、世界は地域史を超えて共通の歴史を織りなすに至っている。日本は、この世界の近現代史の中心的なアクターではない。よって日本を中心とした日本近現代史を描くことは生産的ではない。
 (2)世界の近現代史は、自由主義のアングロサクソン文明と専制主義の欧州文明の抗争の歴史である。
 (3)ただし、米国はアングロサクソン文明を主、欧州文明を従とする、アングロサクソンのできそこない(bastard)である。
 (4)19世紀末から、この抗争は、アングロサクソンと(欧州文明のextensionとしての)ロシアの対峙・抗争へと収斂するに至り、この抗争は約100年続いた。(19世紀末に中央アジアで展開されたイギリス対ロシアのいわゆる Great Game は、その序章にあたる。)
   その後は、ロシアと支那の主客が逆転し、アングロサクソンと(欧州文明のextensionのextensionとしての)支那の対峙の時代となって現在に至っている。ただし、現在においても、ロシアは支那のジュニア・パートナーとして専制主義世界の中で重要な役割を演じている。 
 (5)アングロサクソン文明と世界で最も親和的な文明を持つ日本は、19世紀末から約100年間にわたって、一貫してアングロサクソン側に立ってロシアと対峙、抗争し、その後は支那と対峙し、現在に至っている。
 この19世紀末以降の日本史は、ロシアに対するところの第一期(1894~1924年)、第二期(1924~53年)、第三期(1953~91年)と、支那に対するところの第四期へと四期に区分できる。
 (6)第一期:日清戦争、日露戦争、シベリア出兵の時期。
 日本はそれぞれ英米から、好意的中立、諜報的・資金的支援、共同出兵、の形で支援を得ながらロシアと間接的、直接的に戦い、文明開化(実態はアングロサクソン化)を掲げて自らの勢力圏を拡大することで、ロシアの勢力圏拡大の阻止、減殺を図った。
 (周辺地域の植民地化は、必ずしも日本の望むところではなかったが、「15年」戦争の終焉((7)参照)まで続いた日本の植民地経営は、欧米列強の植民地経営と比べて、就中英国の植民地経営と比べてすら、成功したものだった。このことは、韓国と台湾の現況と欧米列強の旧植民地の現況を比較するまでもなく明らかだ。)
 この第一期の大部分の1902~23年、日本は英国と同盟関係にあった。
 なお、第一期の末期に、ロシアは共産主義の衣を纏うに至る(=ソ連)。
 (7)第二期:ロシア(ソ連)との対峙(1925年に治安維持法成立)から始まり、満州事変、日中戦争、大東亜戦争からなる「15年」戦争(家永三郎による命名)から朝鮮戦争までの拡大大東亜戦争(私の命名)の終戦に至る時期。
 「15年」戦争については、日本は、満州事変に関しては単独で、日中戦争に関しては米国の妨害に抗しながら、更に大東亜戦争に関しては英米と戦争をしながら、ロシアによるところの、(ファシストたる)中国国民党、(ロシアの傀儡たる)中国共産党を手先とした支那への間接侵略と戦った(コラム#2894)。
 大東亜戦争の最終場面でロシアが前面に出て日本に対して開戦したことを受け、日本は「15年」戦争での敗北を認め、支那と朝鮮半島北部はロシアの勢力圏に入った。
 朝鮮戦争については、日本を占領していた米国が、朝鮮半島におけるロシアによる間接侵略に直面し、日本のいわば代理として、英国等の協力を得ながら、この間接侵略と戦い、朝鮮半島南部へのロシアの勢力圏拡大阻止に成功した(コラム#2894)。
 なお、この時期を、日本はアングロサクソン流の自由民主主義国(吉野作造ばりに言えば立憲民本主義国)として迎えた(1925年に普通選挙法成立)。「15年」戦争の末期においても、日本で自由民主主義は機能していた。
 この戦争末期に(当時の米英同様、)日本で自由が大きく制限されていたからといって、日本が自由民主主義国であったことが否定されるものではない。。
 日本は、「15年」戦争を、自由に表明された国民的コンセンサスに基づいて戦った。
 なお、(10)参照。
 (8)第三期:米国がロシアと対峙したことに伴い、日本もロシアと対峙した時期。
 第三期以降は核時代でもある。
 この第三期の間、1960年代には支那がロシアの勢力圏から離脱した。
 1991年にロシアは共産主義の衣を脱ぎ捨てるとともに領土と勢力圏を再び大幅に失い(=ソ連の崩壊)、もはやアングロサクソンと対峙できる存在ではなくなり、ここに第三期は終焉を迎える。
 この期において、日本は、一貫して米国と「同盟」関係・・実態は、日本側の意思に基づく宗主国米国との属国(保護国)関係・・を維持した。これに対し米国は、一貫して日本の「独立」を求め続けた。
 (9)第四期:ロシアの勢力圏の縮小に伴い、ロシアと支那の国力が主客逆転し、支那がメインとなってアングロサクソンと対峙するようになったことに伴い、日本も支那と対峙するようになった時期。
 混乱期を経てファシスト国家へと変貌を遂げたロシアは、共産主義を標榜したままファシスト国家へと変貌を遂げた支那に再接近し、支那のジュニアパートナーとなって現在に至っている。(この関係をいわば公式のものとしたのが、2001年の上海協力機構設立だ。)
 日本は、引き続き米国と「同盟」関係を維持しているところ、米国は、これまた引き続き日本の「独立」を求めている。
 (10)第一~第四期を通じて、日本のスタンスには一貫してぶれがない。他方英米、とりわけ米国は、第二期の「15年」戦争において、ロシア側に立つ、という逸脱行動をとった。
 これは、当時の米国の、第一に、(欧州文明から引き継いだ)病理的な対有色人種差別意識に基づく東アジア黄色人種に対する牧民意識、第二に、(欧州文明に由来するところの)共産主義/ファシズムに対する甘い認識、第三に、世界の覇権国で(地盤沈下しつつ)あった英国に対する近親憎悪的嫉視、東アジアの覇権国であった(興隆する)日本に対する人種差別的敵意、がしからしめたもの。
 (第二期において、米国が世界中で(やはり欧州文明由来の)ナショナリズムを推進、支援したのは、それが英日両帝国の解体にも資するイデオロギーだったから。)
 英国がこの米国の逸脱行動を黙認したり逸脱行動に同調したりせざるをえなかったのは、自国の裏庭である欧州において、その覇権国になろうとと目論む専制国家ないしファシスト国家たるドイツの挑戦に、第一期の終わりと第二期の途中で2度にわたり直面したため、米国から、やむなく資金的・軍事的支援を得る必要があったため。なお、緊急避難的に英国は、両大戦において、敵の敵である専制国家/共産主義国家ロシアと共に戦った。(これは日本が、「15年」戦争末期において、緊急避難的に敵の敵であるファシスト国家ドイツと共に戦ったことと好一対。)
 この米国の逸脱行動により、支那及び朝鮮半島北部にまでロシア勢力圏が広がった。その結果、独裁者毛沢東の下で支那は累次にわたり、総計何千万人にも上る餓死者、虐殺者を出し、朝鮮半島では朝鮮戦争が起き、その後もその北部は金独裁王朝の恐怖政治の下にあるが、それらすべてに米国は大きな責任がある。
 (ベトナム戦争は、共産主義を掲げたベトナム・ナショナリズムの興隆をロシア勢力圏の拡大と米国が誤認したためにエスカレートしたもの。まさに共産主義の「悪」に目覚めた米国が、羮に懲りて膾を吹いたというところか。)
 
 (11)米国は、第二期の末期にファシズムに対する甘い認識を改め、第三期に入る頃から、共産主義に対する甘い認識も改め、1960年代の公民権法の成立から、今年のオバマの大統領選出へと有色人種差別意識をも相当程度克服し、今や単独覇権の追求を止める兆しすら見える等、急速に自らを純粋なアングロサクソンへと脱皮させつつある。
 (12)日本自身も、「15年」戦争の際の軍の統制の乱れ(将校の下克上、兵士の無規律)、兵士の人命の軽視(餓死戦病死兵士の続出、玉砕の多発)と、それにより支那一般住民に不必要に多数の犠牲者を出したことを厳しく反省するとともに、米国による日本の都市無差別爆撃、就中原爆投下、ソ連による満州居留民に対する暴虐行為やシベリア抑留を強く批判し続けるべきだろう。
 その上で日本は、米国に対し、上記逸脱行為が、米国の第一の原罪たる有色人種差別と並ぶ第二の原罪であること粘り強く説明してその反省を促すべきだろう。
 私は日本が、米国からの「独立」を達成し、日本による説得によって逸脱行為を反省し、改心して純粋なアングロサクソンとなった米国と(現行の安保条約を廃棄した上で)双務的な同盟条約を締結し、他のアングロサクソン諸国等とも手を携えて世界の平和と安定、そして繁栄に尽力する日が一日も早く来て欲しいと願っている。
3 終わりにに代えて
<太田>
 19世紀末以降の日本史の個別イッシューについても、その全体像(史観)についても、日本人が書いたもの、日本語で書かれたもので、私の参考になったものはほとんどありません。
 これまで手がかりにしたのは、もっぱら英語で書かれたものです。
 これは、日本の人文社会科学の遅れを物語って余りあるものがあります。
 私は個別イッシューについて掘り下げた研究を行ったわけではなく、また、全体像を提示するだけの能力があるわけでもありません。
 しかし、仕方なく自ら、これまで個別イッシューについて論じてきました。
 これに加えて今回は、いささか生煮えではあるけれど、初めて全体像についてメモをまとめてみた次第です。
 どしどし、ご意見、ご叱正をお寄せください。
<雅>
 アフリカは国か大陸か、米副大統領候補のペイリン氏、知らなかった!?
http://sankei.jp.msn.com/world/america/081107/amr0811071144018-n1.htm
 一応、「ある意味」大切で、ちょっと見ただけでは発見しにくく「マスコミが大々的に報道しなさそうな」大切なニュースかと思い投稿します。
<VincentVega>
 『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』を出版したばかりの町山さんのブログでも関連記事が取り上げられていました。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20081108
<太田>
 「米国民の知的劣化」を取り上げた(コラム#2890、2892(未公開))ばかりですが、少しも驚くべきことではありません。
 
<こととい>
 オバマの勝利演説を見る限りでは、彼もブッシュと同様の歴史認識を持っていると思われますがいかがでしょうか。
(11/4)オバマ氏の勝利演説(全文)
http://www.nikkei.co.jp/senkyo/us2008/news/20081105u0bb5000_05.html
”爆弾が(真珠)湾に落ち、圧政が世界を脅迫した時、彼女は偉大な世代が立ち上がり、民主主義を救うのを目撃した。イエス・ウィー・キャン。 ”
<太田>
 よく見つけましたね。
 演説を聴いてみたら、確かに、”Bombs fell on our harbour, a terror threatened the world. She was there to witness a generation rise to greatness, the democracy was saved. Yes we can.” と言ってますね(
http://jp.youtube.com/watch?v=bR88Ncsq6GM
 「第二次世界大戦では」、と言うところを、「爆弾が港に落ち」とみんながイメージできる言葉で置き換えた、ということであってそう気にすることはないでしょう。
 (急に思ったけれど、何で日本では「Pearl Harbour(真珠港)」を「真珠湾」って訳してきたんでしょうね。)
 とにかく、ブッシュやペイリンを含む米国の白人達は、先ほど申し上げたように無知な上に、55%対43%でマケインに投票した方が多かった(コラム#2899(未公開))、という異常な国でオバマは大統領に当選したのですから、彼らの逆鱗に触れないように、オバマは細心の注意を払わなきゃならないわけですよ。
 そういう目で見守ってあげましょう。
<遠江人>
 –ホシュやネトウヨの人々について–
日本のいわゆる保守派と言われる人々に功績と言えるものがあるとすれば、それは(日本の)左翼に対する批判(そのイデオロギーや欺瞞性等々の批判)を行い、それにある程度成功した、ということでしょうか。このことには、ある程度の意味があったと思います。
しかしながら、日本の保守派には、ほとんどそれだけしか価値のあることはできませんでした。それだけのことならいいのですが、問題なのは、「保守の左翼批判」=「ファーストインパクト」に感銘を受けて感化されすぎてしまった人々は、もはや保守思想の虜になってしまったことです。
日本の保守派の人々の語る世界情勢や他国理解など、デタラメばかりの、ほとんど擬似的なものでしかないところ、悲しいかな、それが日本の保守かぶれ達には(リアルな世界を理解する能力も意欲も無いことから)リアルっぽく聞こえてしまうのでしょう。
その結果、左翼を論破し(まぁこれはある程度そうだとしても)、厳しい世界の現実(笑)を知る者となった、とイタイ勘違いをして、そのような洗礼を受けた人々(笑)はまるで選民の如く振舞うのですね。左翼論破の原初体験(笑)が忘れられないのでしょう。まさに宗教ですね。
更に悪いことに、このような人々は、それがアイデンティティに直結してしまっていることが往々にしてあるため、保守思想の否定は認めるわけにはいかないのではないでしょうか。なので話が通じない人がよくいるのではないかと。
<太田>
 まあ、米国の白人連中よりは物わかりがいいのではないでしょうか。
 何たって、「ホシュやネトウヨ」の人々で原理主義的キリスト教徒の人、要するに神がかりの人はほとんどいないでしょうからね。
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太田述正コラム#2901(2008.11.8)
<オバマが尊敬するリンカーン>
→非公開