太田述正コラム#2922(2008.11.19)
<皆さんとディスカッション(続x311)>
<一読者>
 遠江人さんへ。
 貴方は、自分で書いていること(コラム#2920)の意味が解っているのかいな?
 矢鱈に長い文字の羅列ではないの?
 文字明瞭 意味不明 竹下の親戚では?
と思ってしまう。
<太田>
 というメールをいただいたと思ったら、下掲の投稿がありました。
<VincentVega>
 遠江人さんによる説明はわかり易いですね。
 チャンネル桜で太田さん以外の出演者全員が田母神さんを擁護していた理由について自分なりに納得できました。
 ただこの説明を読んで、保守派知識人というのはピンからキリまで純粋で騙されやすくて頭はそんなに良くない人たちで占められているかのような印象を持っちゃいましたが。
 実際はそれだけでは無いんでしょうけど。
<太田>
 お二方のどちらの印象の方が正しいのか?
 もちろん、VincentVegaさんの方です。
 遠江人さんの文章をむつかしく思われる方がおられるであろうことは想像できますが、内容が結構高度なので、分かり易く書くことには限界がある、ということだろうと思います。
 保守派知識人についてのご講評については、傲慢と言われることを覚悟の上であえて申し上げれば、それは、私には故丸山眞男を筆頭とする戦後進歩派知識人についてもあてはまるご講評のように感じられます。
 属国では知識人は払底するということなのだろう、と私は考えている次第です。
 「牛は8000年前に家畜化されたが、その結果、防衛本能が低下し、脳のシワが少なくなり、また一年中発情するようになったという。」(拙著『防衛庁再生宣言』48頁)
 さて、この「ディスカッション」でも以前言及されたことのある伊東乾氏が、「なぜ文民統制は繁栄を導くのか? 自由と民主主義の有り難さを考える」と題するコラムを書いておられます。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081117/177427/。11月19日アクセス
 この伊東氏も、こと広義の安全保障がらみの話になると、突然大きなクエスチョンマークがつく、日本の知識人の典型でしょう。
 国権が集中し、それが武断に走る最大のマイナスは、しばしば実体経済の成長を阻害することでしょう。・・・英国では早い時点から「国権へのブレーキ」=「武力への抑制」が利いていたことが資本主義 の成長を助け、英国は統率の取れた武力を背景に世界帝国の建設に成功します。・・・ 社会は様々に動いており、新しい動向が新たな繁栄を生み出す端緒になり得ます。大きく端折って言うなら、それを縦横に生かせる社会体制を英国は「武断政治」から「文民統制」に移行することで実現したわけです。 市場の動向を「神の見えざる手」にゆだねるアダム・スミス以来の自由経済も、その経済システム全体を数理モデルで考え、政策の介入を考えるジョン・メイナード・ケインズも、いずれも文民統制の利いた英国生まれであるのは偶然ではありません。 さらにその英国から飛び出して、米国で実力をつけた共和派が、「王の支配」からの独立を宣言して出来たのが「アメリカ合衆国」に他なりません。(伊東)
→イギリスは議会主権(King in Parliament)の国であり、議会は「国権へのブレーキ」などではありません。また、イギリスにおいては、武力行使による利得こそ、元来国の最大の存在目的なのであって「武力への抑制」もまた存在しません。従って、「武断政治」から「文民統制」への移行など起こり得ようはずがありませんでした。経済学の生誕と「文民統制」とは何の関係もないのであって、経済学がイギリスと合邦したスコットランドにおいて生まれたのは、イギリス的生活様式(English way of life)たる資本主義を緊密な隣人の目で素描しただけのことです。アメリカ合衆国の独立は、イギリス議会に代表者を送っていない北米植民地がイギリス軍の北米駐留経費の一部負担を求められたことに反発したのが原因であり、英国王と対立したわけではありません。(太田)
 武力によって国内を抑えつける軍事独裁の状態は、国の経済が順調に発展するものと見なされません。一人前の国として世界から認められる目安は「憲法」と「議会=選挙」です。(伊東)
→「武力によって国内を押さえつける軍事独裁」の共産主義バージョンのスターリン時代のソ連も、ファシズム・バージョンのトウ小平以降の中共も、「国の経済が順調に発展」しました。中共については、その経済が今後とも順調に発展するものと見なすのがどちらかと言えば通説でしょう。イギリスには憲法はないが、世界から一人前の国として認められています。他方、シンバブエには、「憲法」も「議会=選挙」もあるが、一人前の国としては認められていません。(太田)
 江戸時代の日本は「法治国家」ではありませんでした。 なぜか? 国家権力自身を縛る基本法典・・・憲法・・・がなかったからです。・・・幕府の武断政治には・・・三権分立もありませんでした。(伊東)
→イギリスは議会主権であり、三権は分立していませんよ。(太田)
 1929年、米国の大恐慌すら「フーバーモラトリアム」では乗り切れませんでした。(伊東)
→「ニューディール」でも乗り切れず、第二次世界大戦が始まってようやく乗り切ることができたことをご存じないようですね。(太田)
 大日本帝国憲法が曖昧にしていた「天皇による 軍部統帥権の独立性」がネックとなって、1929年の世界恐慌以後、日本は軍部の独走を抑える「文民統制」が利かなくなりました。結果、満州事変以後の戦乱に突入、実体経済は崩壊状態に陥りました。日本がナニ国家だったか、といった解釈・評価の別によらず、経済諸指標は明確な事実を伝えます。最も切り詰め て言うなら、1930~40年代、日本には国家経営に大きく失敗した時期が存在する。これは否定しようのない事実です。(伊東)
→大日本帝国憲法は規範性を持っていませんでした。だからこそ、この憲法の下で戦前の日本は立憲君主国から「自由民主主義」国へと変貌をとげることができたのです。また、軍部の下克上は、直接民主制、すなわち究極の「文民統制」によって引き起こされた一時的病理現象です。更に、満州事変以後、日本経済は高度成長期に入り(拙著『防衛庁再生宣言』235頁)、敗戦を経て、この高度成長が1980年代まで続いたのです。話は逆です! また、日本が敗戦の憂き目を見たのは、図体のでかい子供といった趣のあった米国が東アジアを引っかき回したためです。(太田)
 軍事大国は必ず衰亡する。(伊東)
→大国は必ず衰亡する、という命題と同じ、ほとんど無意味な指摘です。(太田)
 武力は大きな力ですが、今日の世界で国際紛争を解決する唯一手段にも、最終手段にもならないのは、ベトナムからアフガン、イラクまで、目の前で起きたことを見れば明らかです。 (伊東)
→「警察力は大きな力ですが、今日の社会で犯罪をなくす唯一手段にも、最終手段にもならない・・・」と同じ、これまたほとんど無意味な指摘です。(太田)
 ついでに、伊東氏のコラムの中で言及し、高く評価されている石破前防衛大臣のブログ
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html
についてもコメントを加えておきましょう。
 渡部昇一氏<等の>民族派<や民族派に影響を受けていると思われる>田母神氏<らの>主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させるための具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です。「東京裁判は誤りだ!国際法でもそう認められている!」確かに事後法で裁くことは誤りですが、では今から「やりなおし」ができるのか。賠償も一からやり直すのか。(石破)
→問題のすりかえってやつですな。(太田)
 「日本は侵略国家ではない!」それは違うでしょう。西欧列強も侵略国家ではありましたが、だからといって日本は違う、との論拠にはなりません。「遅れて来た侵略国家」というべきでしょう。
→ソ連は、当時「現在進行形の侵略国家」でした。原爆投下で降伏しなかった日本が、ソ連が参戦した途端に降伏したことの意味が全く分かっていないと見えます。(太田)
 「集団的自衛権を行使すべし!」現内閣でこの方針を具体化するスケジュールはありませんが、ではどうこれを実現するか。法体系も全面的に変わりますし、日米同盟も本質的に変化しますが、そのとき日本はどうなるのか。威勢のいいことばかり言っていても、物事は前には進みません。(石破)
→自民党の党是を実現するつもりなどさらさらないことを胸を張ってお述べになるのですから、鉄面皮としか形容のしようがありませんね。(太田)
 (なお、石破氏の結論部分は正しいので引用しておきます。
 「この一件で「だから自衛官は駄目なのだ、制服と文官の混合組織を作り、自衛官を政策に関与させるなどという石破前大臣の防衛省改革案は誤りだ」との意見が高まることが予想されますが、それはむしろ逆なのだと思います。」)
 伊東氏も石破氏も、田母神氏をあげつらうことができるほどの、広義の安全保障上の識見はお持ちでない、とお見受けしました。
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太田述正コラム#2923(2008.11.19)
<文藝春秋社と私>
→非公開