太田述正コラム#2932(2008.11.24)
<皆さんとディスカッション(続x316)>
<SK>
 太田様、ご回答有り難うございます。
 国籍法の改正に関してなにも発言がなくご存知じゃないのかなと思いメールを出しました。杞憂でした。申し訳有りません。
 コラム#2920の遠江人さんの発言及びそれに対する回答、コラム#2930などにもありますが、太田さんの予想通りにやはり麻生内閣は駄目でした。
 発足当時は私は不覚にもちょっとは期待しておりました。
 今ではすっかり政権交代派です。早めに自民党が壊滅する事を祈っております。
 しかし、どうやったら、太田さんのに認識(判断)に至れるのでしょうか?
 判断の甘さを認識しました。
 メールマガジンの記事を読む暇がなくようやく追いつきました。
 コラム#2900「19世紀末以降の日本史をどう見るか」、コラム#2910の植田さん対する回答にも有りますが、戦前から戦中、戦後の世(政治・経済・軍事・国際情勢など)の流れを今まで良く言われる軍部の独走に依らない解説が欲しかったのですが、書いて頂き有り難うございます。もっと肉付けして出版とか言う話が有れば嬉しいです。
 コラムの内容に概ね同意です。参考文献(書籍)などが有りましたら教えて頂けないでしょうか。
 メールマガジン読者の反応も鈍いように思いますが、ニーズが無いのかな?
<植田信>(http://www.uedam.com/kakootahome.html
 ・・・太田述正氏のタカジン・テレビ出演番組を見ました。昨年10月28日のものです。
 いやあ、面白かったです。
 サンドウィッチマンのコントよりも、ずっと面白かったです。
 太田氏と、他の番組ゲストたちのやりとり。
 こんな絶妙な漫才は、近年、見たことがありません。
 で、番組の中で、太田氏が自衛隊の成り立ちを説明しているところがありました。
 「朝鮮戦争の時、アメリカ軍は自衛隊をつくってアメリカの武器を持たせた。それがその後、そのまま今になっているだけ。もちろん武器は新しくなり、それにつれて高価になっていますが。」
 後で思ったのですが、自衛隊は、俗に言う「私生児」であるなあ、と。
 別の父親の精子によって生まれたので、自分の子供とは認知されない立場にいる、と。
 こういう自衛隊は、どうしたらいいのさ、です。
 それでいて国家予算から支給される額が5兆円。
 この5兆円が談合に使われていると昨年は守屋問題が発生しました。
 で、太田氏が言うには、自衛隊は憲法で禁じられた存在。
 その組織に政府は5兆円をくれる。
 だったら、その5兆円をどう使おうと、自衛隊の勝手でしょ。
 守屋問題など、問題ではない、と。
 ペリー・グッド。
 そうです、守屋問題をなんだかんだと言うなら、戦後を通しての自衛隊の位置づけを国民がはっきりさせてからにせよ、と。
 憲法9条を厳密に守って、自衛隊を無にするのか。そうすれば、予算はゼロだから、談合の起こりようがなくなる。
 あるいは、憲法9条を改正して、自衛隊を自分の子供と認知してやるか。この場合は、予算の承認から、使用の内訳、官僚と民間業者の接待など、金銭の動きを透明にする、と。
 今の、アメリカ父親の私生児のままの自衛隊では、何を言ってもばかばかしいだけ。
 日本人は、自衛隊というアメリカ軍に貢(みつぐ)だけである。
 太田氏の発言をちょっと過剰に表現してみましたが、だいたいこんな感じでした。
 これを漫才と言わずして、何という。
 それ以上に、シェイクスピア劇です。
 道化だけが、王の前で真実を口にできる、と。
 (誤解のないように、追加。現在の日本で道化になれるのは、太田氏のような東大卒の人だけです。この人たちは、その学歴によって、日本的な偏差値問題に対して、一切のコンプレックスから除外されているためです。)
 昨年の太田氏のテレビ出演は、近年、私が見た最高のエンターテイメントでした。
 <次いで、最近>太田氏が出演された桜サイトを見ました。
 3時間。しっかりと見ました。
 自衛隊・防衛省関係者ばかりの内輪の集まりでした。
 一人、ジャーナリストが混じっていました。
 さて、感想は、というと、たっぷりと勉強をさせてもらった、という気分です。
 太田氏の言う戦後の「吉田体制」の中で、その存在を公認されていない集団は、戦後という時代をいかに生きてきたか。
 太田氏のタカジン番組での発言から<は、>「自衛隊・防衛省は私生児である」という印象を受けましたが、今回は、「この人たちは隠れキリシタンだ」というものでした。
 戦後の日本を隠れキリシタンとして生きてきた人たち、それが自衛隊であり、防衛省職員である、と。
 もし戦後の日本が「普通の」国であれば、誰もがその存在を誇りに思うはずの国家の安全保障集団が、戦後の日本では「私生児」であり、「隠れキリシタン」でした。
 したがって、麻生政権は、ここから政府の公式見解と異なる田母神論文などが出てきたら、たちどころに、そんなものはなかったことにしてしまったわけです。
 その存在を認知することが、すでに犯罪に該当するためです。
 したがって、今月11日の、参院外交委員会での田母神氏の参考人質疑に、テレビカメラが入りませんでした。
 国民は犯罪者を見てはならない、と。
 では、どうしたらいいか。
 簡単な話、自衛隊の存在を憲法で公認すればいい、これだけです。
 新しく作る必要もなし、自衛隊を維持する予算だって太田氏の計算では現在の5兆円よりもずっと少なくてすみます。
 さらに現在、現実に日本列島に攻撃をしかけてくる敵はいない、と。
 そこで疑問は、戦後の日本人は、なぜそれ(公認)ができなかったのか、です。
 東京裁判のせいか、
 井沢元彦氏が言う「言霊主義」のせいか、
 国民の人口の90%が、武士以外の身分の子供たちのせいか、
 自国よりもアメリカを、国連を、国際社会を信用しているためか、
 中国政府の恫喝を恐れているためか、
 メディアが自己検閲をしているため、今もアメリカ占領軍の亡霊に洗脳されているためか。
 はたまた、そんなこと、どうでもいいか。
 司会の水島氏によれば、今の日本には中国政府がGHQになっている、とのことです。
 中国の目が怖いので、麻生政権は、田母神氏をさっさと退職させてしまった、と。
 というわけで、現代日本は、アメリカにペコペコし、中国にペコペコし、という、まるで主語のない国家になっている、とのことです。
 確かに。
 しかし、これは、太田氏の持論で行けば、中国のせいでもないし、アメリカのせいでもありません。日本人自身のせいです。
 日本人が「吉田ドクトリン」を護持していることから起こる、必然的結果です。
 そこで、なぜ戦後の日本人は自衛隊を公認できないのか。
 答えが、太田氏のコラム#2914にありました。
 ・・・栗栖氏<いわく、> 「自衛隊の守るものは国民の生命、財産ではない。・・・自衛 隊は国の独立と平和を守るのである。・・・この場合の国とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された 国が、天皇制を中心とする一体感を共有する民族家族意識である。決して個々の国民を意味しない」・・・
 アメリカ占領軍は、これをポッキリと折ったわけです。
 それが昭和天皇の人間宣言であり、憲法での国民主権の意味です。
 戦後の日本人は、占領軍による心理改造の洗礼を受けたので、栗栖氏の定義に拒否反応を示します。
 それで当然です。
 そんな定義で国防を担当するなら、私だって、自衛隊の公認は、真っ平ごめんです。
 必要なのは、自然理性による、国民の生命と財産の安全保障をするための警察であり、国軍です。
 自然理性によれば、国民の一人一人の生命と財産を守るのが最優先です。
 政府は、そのために樹立されます。
→断じて違います。
 「国民の生命と財産」を守るのは警察であり、軍隊ではありません。
 軍隊は、国家の内外政策遂行の最終的な手段であり、軍隊それ自身に存在目的などありません。すなわち、一般に、
 「軍隊とは国(nation)から武力行使・・通常兵器の使用を含む・・によってその国家(country)を現実のまたは感知された諸脅威と戦う形で防衛する(もしくは他の諸国を攻撃する)ことを認められている組織である。(A military is an organization authorized by its nation to use force, usually including use of weapons, in defending its country (or by attacking other countries) by combating actual or perceived threats.)
http://en.wikipedia.org/wiki/Military
とされているところです。
 ではこの場合、守られるべき国家とは何なのでしょうか。それは、その国家が体現している価値観・・文明と言ってもよい・・なのです。
 例えば、南北戦争を純粋な内戦ととらえるべきか、2国間の戦争的なものととらえるべきかはともかくとして、リンカーンは、米国の建国理念(アングロサクソン的理念)を守るために、奴隷制撤廃を目指して北軍を指揮して戦い、60万人の人命とおびただしい財産を灰燼に帰して戦争に勝利し、奴隷制撤廃を実現したのです。(コラム#省略)
 私は、1982年防衛白書で、自衛隊が守るべきものが「国民の生命・財産」ではなく、「自由民主主義」、とりわけ「自由主義」であることを示唆すべく、記述に腐心したところです。その上で、「日本=自由主義陣営の一員」論を展開した次第です。(太田)
 <戦前の日本の指導層は、>国家とは、即、天皇です<という認識です>。
 だから、天皇を守ることが国民を守ることである、と発想されます。
→そう、天皇は、戦前の日本が達成した「自由民主主義」の象徴でした。そういう意味では、戦前の日本の指導層の認識は間違っていません。(太田)
 事実はどうなったか、といえば、この国家の定義(誰を守るのか)がはっきりしないために、ポツダム宣言を受諾するかどうかでもめ、もめている間に原爆が2発投下されました。
→そうではなく、価値観(文明)を共有する米国(と英国)に対しては、仮に占領されたとしても価値観を根底的に蹂躙される虞がないだけに降伏する決心がつかなかったけれど、ロシア(ソ連)という価値観(文明)を異にする国が参戦し、ロシアに日本の全部または一部が奪取される虞が出てきたために、ついに日本は降伏を決心するに至った、ということなのです。(太田)
・・・
 <さて、>太田氏が田母神論文の史観を批判するにあたって、「自分の史観が出ていない」と指摘しました。
 それに対して、「では、太田さんはどう考えているのですか?」との問いが出ました。
 太田氏が持論を口にします、
 「私は、近・現代史ということであれば、アングロ・サクソンや、ロシアが中心になって世界は動いていたのであって、日本はその周辺にいたと見ます。」
 それを耳にした、太田氏の隣にいた早大卒・自衛隊出身で、現在は評論家のかたが、「そんなの無意味、無意味」と発言されました。この場で太田氏の史観を論じるのは無意味、ということでした。
 この評論家の方の発言は、その通りだろうと私は思います。
 とはいえ、これは、太田氏の史観論が無意味ということではなく、場所が違うだろう、ということです。
 史観論を論じるには、相手が違いすぎる、と。
 太田氏が史観論を論じるにふさわしい相手は、西尾幹二氏や、中西輝政氏あたりです。
 昨日私が拝見した集まりでは、場違いです。
 無意味というより、せっかくの太田氏の熱意が無駄です。
 私が見る限り、「論文インパクト」の集まりは、田母神論文を弁護しよう、という人たちの集まりでした。
 この論文を、文明論とか、歴史観の問題として扱うと、批評の基準が高すぎることになります。そして、昨日の集まりでは、実際にそうなりました。
 そこで、仮想実験です。
 太田氏が西尾・中西氏たちと歴史観を論じるとなると、どうなるか。
 この両氏は、それぞれに文明論を出しています。西尾氏は『国民の歴史』、中西氏は『国民の文明史』。
 で、両者が対談しました。これも本になっています。『日本文明の主張』。
 この中で西尾氏が言うには、「なぜ日本の歴史学者は、西洋の歴史学者のように、自分中心史観を打ち出せないか」、と。
 これに太田氏のアングロサクソン中心史観を対比すれば、両者の論争は非常に面白くなるだろう、と予想されます。
 ・・・たとえば、縄文時代の評価です。
 西尾氏によれば、日本人の精神の原形は縄文時代にあります。
 で、太田氏は、縄文と弥生の対立図式を使って、日本史を説いています。
 この対立図式は、中西輝政氏の日本史観に似ています。・・・
 というわけで、史観問題については、桜サイトでの論議は、場違いでした。
 しかし、これは田母神論文の内容をどう評価するか、という問題から出てきたもので、これ自体は当然の討論課題でした。
 歴史観問題を別にして、3時間の討論を見て思うに、出席者たちの発言に、私は大いに共感できました。
 戦後の「吉田体制」のなかで、ぼちぼち田母神論文が出てきてもいいだろう、と私も思います。そして、現実に出てきました。
 この論文は、時代に対する強烈な「インパクト」です。
 番組の最後のほうで太田氏が、「田母神論文で共感できるのは、日本は属国であると言っている点だ。これは、自衛隊や防衛省にいたわれわれしかわからないことだから、われわれがどんどん言っていくしかない」と述べています。
 いや、日本が属国であることは、普通の日本人にもわかります。
 自衛隊や防衛省の人たちは、それを日常の業務を通して実感してしまう、という非情な場所に置かれている、という特殊性があります。
 で、今、話題にしたいことは、属国であることの実例です。
 誰もが知っている例、として。
 日本国憲法は誰が作ったのか、です。
 歴史を振り返れば、養老律令、大宝律令は不比等主導でした。ま、不比等でなくても、日本人が創作しました。いや、これから研究が進めば、当時の唐のスパイが創作陣の中に入り込んでいた、なんていう研究論文が今後出てこないとも限りません。
 明治憲法は、伊藤博文でした。中西氏によれば、明治憲法の本当の創作者は、西洋の挑戦である、ということです。これはその通りです。伊藤博文は、それに応戦しただけでした。
 さて、日本国憲法はどうか。
 といえば、今では誰もが知っているように、アメリカ占領軍です。
 戦後の日本人が誰もがその中で暮らしているこの国の最高法規が、外国人の手によって作られたものであり、それが作られ、制定されて以来、一行も変えられていないという事実、これを日本属国と言わずして、何という、です。戦後日本人の知の属国化、です。
 この点をもう少し。
 西部邁氏が次のように「反米」言論を展開します。「反米」というか、「自虐言論」です。
 「アメリカの〈核の傘〉の下に日本はいつづけたのですし、新首相のアメリカ詣では相変わらず続けられていました。大衆文化の中心をなす映画も音楽もアメリカから流れてきました。そして何にもまして重要なのは、日本の知識人の(大学における)ステータスはアメリカでPH.D(博士号)を取得したかどうかにかかっていたのです。」『無念の戦後史』P.229
 なぜ戦後の日本の大学人がアメリカの知を権威にしてしまったか。
 といえば、憲法を見るだけでわかります。
 日本人の知が、それを一行も変えられないではないか、と。
・・・
 <さて、>太田述正氏の次の説(コラム#2910)をどう見るか。
 「「政党内閣制がとられなくなったのは、世界恐慌や支那情勢の悪化をうけて、日本で挙国一致内閣が生まれたということであって、この体制が結果として「15年」戦争が終了する1945年まで続いたということに過ぎない、と考えるべきなのであって、軍部の下克上事件たる1931年の満州事変や1932年の5.15事件・・いずれも強く非難すべき出来事・・が起きた背景もまた同様であるところ、この事変や事件が政党内閣制(大正デモクラシー)の終焉をもたらしたというとらえ方は間違いである、というのが私の見解なのです。」
 これは実に興味深い説です。
 で、あれこれと考えた結果、この説に最も関係がある問題は、シビリアン・コントロールだろうと思います。
 戦後の日本人は今も軍隊を憲法において公認していませんが、その理由の一つが、ここにあるだろう、と私は思います。
 日本軍の戦争は犯罪だった、と<したのは>・・・東京裁判<でしたが、これ>などは、アメリカ占領軍のプロパガンダです。
 ただ、戦後の日本が自国の軍隊の保有を禁止しており、他国の軍隊に国家安全保障を任せている以上、そんなことは口が裂けても言えない、というのが、現状です。
 自民党政権は、本当は、結党時点のポリシーに立ち戻りたいのでしょうが、そうはできない、というのが、太田氏が言う安全保障のアメリカ「丸投げ」です。吉田体制です。
 他国の軍隊に自国を守ってもらっている以上、隣人諸国に謝罪を繰り返し、東京裁判の判決を今も引きずるしかありません。
 だったら、さっさと日本人は日本人の軍隊を公認すればよいものを、と思うのですが、ここに立ちふさがるのが、戦後日本人の昭和日本軍への不信です。
→戦後日本人の昭和日本軍への不信とは、実は、戦後日本人の自分達の祖先、ひいてはその子孫たる自分達自身への不信なのです。更に端的に言えば、民主主義下の自らのカバナンスに対する不信なのです。問題は、不信の根拠となっている歴史観が間違っていることです。(太田)
 そうは言ったって、日本軍を公認しようものなら、また、軍部は独走して、日本を無用な戦争に巻き込むに違いない、と。
 ところが、太田氏の説は、昭和日本軍の独走というのは、違う、と述べています。
 私はそのように理解しました。
 この発想は興味深いです。
 で、昭和日本軍の独走問題をどう見るか、となります。
 独走したのか、しなかったのか。
 そうすると、ここに出てくるのが、シビリアン・コントロールです。
 ・・・桜サイトの<上述>の番組でも、シビリアン・コントロールが大いに話題になっていました。
→番組の中でも示唆したように、シビリアン・コントロールという言葉をせめてシビル・ミリタリー・リレーションズという言葉によって置き換えるべきです。
 そうすれば、シビル・ミリタリー・リレーションズのあり方はケースバイケースだということが少しは実感できることでしょう。(参照『防衛庁再生宣言』第6章)
 
 さてそこで、話を進めるために、戦前・戦中の日本の政府と軍部の関係は、シビリアン・コントロールになっていたか、と疑問を出してみましょう。
 答えは、いや、ミリタリー・コントロールだろう、と私は思います。ミリタリー・コントロールというのか、何というのか、私にはわかりませんが、ーミリタリアン・コントロールとでも言うのでしょうかー、シビリアン・コントロールではなかった、と。
 制度がそうなっていました。
 例の、悪名高い、内閣閣僚に入閣する陸軍・海軍の軍人の現役制です。
 それによって時の政権を軍部が左右する、と。
 政権を軍部の思い通りに操作する制度的工夫でした。
→果たしてそうでしょうか。
 筒井清忠氏は、著書『昭和十年代の陸軍と政治―軍部大臣現役武官制の虚像と実像』において、
 「1936(昭和11)年、20数年ぶりに復活した軍部大臣現役武官制は現役軍人のみが陸軍大臣、海軍大臣に就任しうるという制度である。この制度の復活により、軍部は内閣の生殺与奪の権を握り、その後の政治を支配したというのが従来は昭和史の定説となってきた。しかし、この制度で陸軍が暴走し、日本は戦争への道を歩んだという歴史認識は果たして本当に正しいのだろうか。本書は、陸相のポストをめぐって陸軍と首相及び天皇が対立した全事例を精査し、昭和史の常識を覆」されたようですよ。
http://www.amazon.co.jp/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%8D%81%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%A8%E6%94%BF%E6%B2%BB%E2%80%95%E8%BB%8D%E9%83%A8%E5%A4%A7%E8%87%A3%E7%8F%BE%E5%BD%B9%E6%AD%A6%E5%AE%98%E5%88%B6%E3%81%AE%E8%99%9A%E5%83%8F%E3%81%A8%E5%AE%9F%E5%83%8F-%E7%AD%92%E4%BA%95-%E6%B8%85%E5%BF%A0/dp/4000234439
(太田)
 原点は、維新の志士にして、明治の元勲・山県有朋です。
 明治天皇の詔勅によって日本に議会制度が誕生するとわかった山県は、軍部を時の政権から超越させねばならないと考えました。この考えを具体化したのが、軍人の現役制でした。
→しかし、これまた大正デモクラシー下の1913年に軍部大臣現役武官制は一旦廃止されているわけであり、仮に「15年戦争」が日本の敗戦で終わらなかったら、その後再び軍部大臣現役武官制は廃止されていた可能性が高いと思います。そして、やがては首相による閣僚罷免権も運用上確立することになったことでしょう。(太田)
 とりあえず、これだけにします。
 この問題は、根深いです。
 たとえば、軍人以外に、日本史において、実際に対外関係を処理できる人材がいたのか、という問題があります。
 山県有朋が、心底、心配した問題です。
 徳川時代に育った山県にとっては、武士が統治階級になるのは当たり前でした。
 明治になり、武士の身分を引き継いだのは日本軍です。身分というか、武力を扱う職業人です。
 しかし、山県の信念は継続しました。と、私は考えます。一般平民が軍事に口をはさむなど、とんでもない、と。
 いや、山県の本音は、長州以外の者を軍部のトップに就けるな、だったかもしれません。ここから軍部内の分裂が起きました。
→私は、戦前のエリート教育がミリタリー(陸士海兵)とシビル(旧制高校)に分裂し、ミリタリーの方ではシビル教育が行われず、シビルの方ではミリタリー教育が行われなかったこと、すなわち、当時の日本がイギリスのパブリックスクール的なエリート教育機関をつくらなかったことが一番問題であったと考えています。(コラム#省略)(太田)
 話を戻すと、従来の日本に、シビリアン・コントロールという発想があったか。
 少なくとも、山県有朋にはなかった、と言えるでしょう。
 戦前の軍部が独走する形になったのは、それまでの日本の統治の形式から見て、必然だったと私は思います。政府はそれを追認するだけでした。
 ここに、戦後の日本人はシビリアン・コントロールという発想を導入しました。
 これをどう消化するか。
 これは、戦後の日本人がデモクラシーをいかに使いこなすか、という実践的課題であるとも言えます。
 まだ軍隊を公認できないのは、デモクラシーの運営に失敗しているからだ、となるでしょう。
→大正期以来の経験を経て、日本のデモクラシーはほぼ成熟したと私は考えていますが、戦前における問題・・シビルとミリタリー双方に通じているエリートが存在しない・・は続いています。(太田)
<VincentVega>
≫圧倒的多数の日本国民の(呆れかえるほかない)外国人排斥感情≪(コラム#2930。太田)
というのは事実と一致しているのでしょうか?
 外国人排斥感情が強い人の傾向として、ネットなどでやたら声を大にして騒ぐ人が多いため、目立って見えているだけという可能性はないのでしょうか。
 自分の周りをみてもそんなに外国人に悪感情を持っている日本国民ばかりとは思えないもので。
 (そういう知り合いも居ない事はないけれど…)
<太田>
 私は、「外国人排斥感情」を「大量移民受け入れ反対感情」と同じ意味で用いたつもりです。
 ま、このあたり、本来は世論調査を踏まえて議論すべきでしょうね。
<さるべーじ>
 <太田さんと>同じ職場だった人がこういうことを言っていますね。
講演:元防衛庁幹部、小池・新潟県加茂市長「平和憲法こそ国を守る」--金沢 /石川
http://mainichi.jp/area/ishikawa/news/20081123ddlk17040371000c.html
<太田>
 やれやれ、小池清彦さん、そんな主張をされているのですか。
 私が防衛庁に入った1970年代には、(他省庁出身者を含め、)防衛庁キャリアは、吉田ドクトリン墨守派と打破派に分かれていた、と『防衛庁再生宣言』(はじめに4頁)と記したところですが、この両派とも、政府の憲法解釈や防衛政策がインチキである、という認識を共有していました。
 小池さんと共著を出しておられる、警察庁出身で防衛庁で官房長等を歴任された竹岡勝美氏の方は、どちらかというと非武装論に近い、まさに吉田ドクトリン墨守派であると承知していますが、小池さんは、政府の憲法解釈や防衛政策の「正しさ」を信じ込んでおられるようであり、
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1303/13030203takeoka-katsumi.html
野中元自民党幹事長らの確信犯的な自民党「ハト」派と同じ見解を抱いておられているようですね。
 小池さんは、退官後、新潟県加茂市長を長く勤められており、天下りをされていないからこそ、自由な発言ができるわけですが、自由に発言される内容がこんな愚にも付かないものじゃしょうがないですね。
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太田述正コラム#2933(2008.11.24)
<現在の金融危機と大恐慌の比較>
→非公開