太田述正コラム#2934(2008.11.25)
<皆さんとディスカッション(続x317)>
<ファン>
 中山氏が「たかじんの~」に出演してたよ。来週は、田母神さんが出演するらしいよ!
<太田>
 日教組がお嫌いらしい中山議員に、品行方正な日教組像
 「・・・日教組は政府(文部科学省)が定めた教育政策に反対する権限がない。つまり法的には反対できないということだ。政府の政策に反対意思がある場合は対話で解決し、意見をまとめるのが重要とみている・・・教師が理念教育を学生に強要するのは望ましくない。学校教育は国の税金で運営されているものだが、教師が父兄や地域社会と協議せずに自身の主観 を独断的に教えるのは問題だ。世界にはさまざまな主義と理念がある。学生が考え方を選択するのは自由だが、教師がそれを注入してはならないとみている・・・」(中村譲日教組中央執行委員長の韓国での発言)
http://www.chosunonline.com/article/20081123000035
(11月24日アクセス)
をプレゼントしておきましょう。
 さて、本日は、投稿が少ないので、軽く4つの記事の紹介でしのぐことにしましょう。
 「・・・古代の国づくりの知識は、遣隋使や遣唐使を通じて中国からもたらされたというイメージが強いが、中国とは国の規模も違い、そのまま導入するのは難しかったはずだ。百済はいち早く中国の制度や文化を取り入れ、当時の日本とも親しい関係にあった。今回見つかった木簡は、国の根幹にかかわる財政制度が百済から導入されたことを物語る。」
http://www.asahi.com/culture/update/1125/TKY200811240189.html
(11月25日アクセス。以下同じ)
 8世紀頃までは、日本列島と朝鮮半島南部は単一文化圏を構成していた、というのが私の高校時代から一貫した考えです。
 11月10日に亡くなられた、世界的数学者の伊藤清氏についての大きな記事がニューヨークタイムスに載っていました。
http://www.nytimes.com/2008/11/24/business/24ito.html?pagewanted=print
 ご冥福をお祈りします。
 「1949年8月2日、共産党が北京で権力を掌握する直前、米国は、尊敬されていた宣教師にして教育者にして外交官であった駐支那大使のジョン・レイトン・スチュアート(John Leighton Stuart)を本国に召還した。
 2ヶ月後に支那の権力を掌握することになる共産党の指導者の毛沢東は、ただちにスチュアートを失敗した米帝国主義の象徴として非難した。スチュアートの出発は米国と支那の外交関係の四分の一世紀にわたっての中断をもたらすことになる。
 スチュアートは1962年にワシントンで亡くなった。1876年に宣教師の両親の下に生まれ、そこにおいて著名なる大学を創設することに協力したけれどももはや歓迎されざる人物となったところの、支那にいつの日か自分の遺骸を埋葬して欲しいという遺言を彼は残していた。・・・
 この問題を解決するのに何十年もかかった。というのは、毛沢東が1949年8月18日に、「レイトン・スチュアートよさらば」と題する小論を書き、その中でスチュアートを、「米国の侵略の完全な敗北の象徴」と呼び、米国が、その指導者である蒋介石とともに1949年に台湾に逃亡したところの、共産党と戦った中国国民党を支援したことを叱ったからだ。・・・
 スチュアートは漢口(Hangzhou)で生まれ、流ちょうな支那語を身につけた。彼は11歳の時に彼の両親とともに米国に移り住み、ユニオン・神学校(Union Theological Seminary)で学位を取得し、1904年に支那に戻った。
 それからの45年間、彼は宣教師兼教育者として漢口、北京、そして南京で働いた。彼は、タイム誌とライフ誌の創設者であるヘンリー・ルース(Henry Luce)等の金持ちの米国人から資金を集めて、1919年に、キリスト教の機関にしてその牧歌的なキャンパスが現在北京大学の一部となっているところの、燕京(Yenching)大学を創設し、その学長を勤めた。
 歴史家達は、スチュアートは支那に諸改革を促すとともに、日本の支那北部、そしてそれに続く東部の占領に対する抗議を主導した。彼のこのスタンスのため、日本人達は真珠湾の後、彼を投獄し、彼は1945年まで解放されなかった。
 その一年後、彼は当時共産党と内戦を戦っていた国民党を支援していたワシントンによって駐支那大使に任命された。
 <このたび、ようやくスチュアートの遺志がかなえられることになった。>
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2008/11/25/2003429514
 まさに当時の米国市民も米国政府も、有色人種差別意識の下、有色人種の中で貧しく「虐げられ」ていてキリスト教徒たる蒋介石夫妻に率いられていた国民党、腐敗しきったファシスト政党であった国民党をあげて支援し、反共にして反容共ファシストであった日本に敵対したことを思い起こさせます。
 その意図せざる結果として、支那にソ連の傀儡たる共産党政権が樹立されてしまったというわけです。
 そう考えると、晩年に日本の支那介入に感謝の意を表した毛沢東が、スチュアートの名誉回復をしなかったのは、片手落ちの感なきにしもあらずですね。
 最後に、日本ではめずらしい、中身のある書評です。
 『自負と偏見のイギリス文化──J・オースティンの世界 』 新井潤美著、岩波新書、700円
 評者は、本著を読むまで小説、映画ともに大ヒットした『ブリジット・ジョーンズの日記 』が18世紀のイギリスで活躍したジェイン・オースティンの代表作『自負と偏見 』の翻案とはついぞ知らなかった。・・・
 著者は、日本でいまひとつオースティン<(コラム#2867)>の名が通っていないのを、〈現実に即して、あくまで「日常」を描く手法を「大衆小説的」とみなし、「文学的ではないと批判する」〉態度に求めている。
 〈愚痴とおしゃべりを、皮肉なユーモアで淡々とかわしていく〉といったストーリーは、人間の実相に迫るような文学然とした風味を好む人にとり、おかしみはあっても抑揚がなく、ふまじめに感じられるようだ。・・・)・・・
 オースティン・・・を取り巻く「現実」がどういうものであったかといえば、時は放蕩と放埒が許されたジョージ四世の在位期。貴族が愛人を伴って社交界に出入りしても非難されることがなかった。その後のヴィクトリア朝の禁欲的な社会とは大違いである。・・・
 著者は〈自分の姿を笑う余裕があるという「自負」、そして自分が愚かであり、馬鹿げたことだと判断した事柄を容赦なく笑う「偏見」〉がオースティンの小説の醍醐味であり、イギリス人特有の文化だという。・・・
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081121/177990/
 とにかく、私はイギリスが好きなのです。
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太田述正コラム#2935(2008.11.25)
<自省する米国(その1)>
→非公開