太田述正コラム#13892(2023.12.6)
<母のことなど(その1)>(2024.3.1公開)

1 始めに

 頭を使うコラムは暫くお休みにさせていただいていますが、頭を余り使わない表記コラムを、私の備忘録を兼ねて書くことにしました。

2 母のことなど

ことの発端は、Lineで従姉から私の父母の誕生日を問い合わせてきたことです。
 (私は平素Lineを使わないので、彼女は、自分のスマホから私のPC宛にLineを見てくれメールをよこすのが常です。)
 ハタと困りました。
 何せ、自分の誕生日を父母に祝ってもらったことこそあれ、父や母の誕生日のことなど話題になったことすらなく、私は全く記憶していなかったからです。
 覚えていたのは二人がそれぞれ亡くなった時の年齢くらいです。
 (それも、母については、1歳間違えて記憶していました。)
 既に二人とも亡くなって久しく、どこかに記してあるはずだと思えどもそのどこかが思い出せず、私は一人っ子なので聞くことができる兄弟姉妹はいないし、父母の兄弟姉妹は亡くなっているか長年にわたって私とは没交渉である、ときていてお手上げです。
 しばらく猶予をもらい、翌日、クローゼットにしまい込んであった仏壇を開けて位牌をのぞき込んだら、没年月日と享年は書いてあったけれど、生年月日は書いてありませんでした。
 で、ネットで調べたら、戸籍謄本には書いてあるということなので、マイナンバーカードを持っていればコンビニや区の出張所で他市町村・・私の場合は実家があった豊島区・・の戸籍謄本類がもらえるという認識だったので、数日中に区の出張所で戸籍謄本をもらって父母の生年月日を確認することにしました。
 (コンビニに行くのは、衆人環視の下で長時間機器に向かわなければならないことが想定され、敬遠しました。)
 こうして数日経過した時、念のため、ネットで調べたら、区役所や区の出張所で他市町村の戸籍謄本類をもらえるようになるのは来年3月であるというではありませんか。
 その時、ある事情から手を伸ばしたところにいつも置いてある、(今は亡き古い手帳の別冊であったところの)ヨレヨレの住所録、を、たまたま手に取ったら、何とその表紙に父母の生年月日が書いてあったので、なーんだ、てなもんで、既に呆れかえっていた件の従姉にやっと教えることができた次第です。
 以上から得られた父母の情報は以下の通りです。

 父:大正5年(1916年)8月11日生まれ、平成10年(1998年)2月10日死亡(81歳)
 母:大正6年(1917年)3月6日生まれ、昭和58年(1983年)11月1日死亡(66歳)

 さて、ここからが本題です。
 父のことは、当コラムで何回か触れたことがありますが、母についてはほとんどなかったと思うので、母について少しご紹介することにしました。
 母は、男5人、女4人の計9人の兄弟姉妹の女性の末っ子として、四日市で青果店を営んでいた石垣家に生まれ、春子と名付けられました。

(続く)