太田述正コラム#14153(2024.4.15)
<皆さんとディスカッション(続x5866)>

<IeqX5uGI>(「たった一人の反乱(避難所)」より)

 Amazon kindleでGHQに焚書された『日本国防思想史』が500円で売っとるよ。
 「・・昭和十六年の十二月八日の英米を相手とする東亜戦争において・・アメリカのグアム島は、もとより、マレー、ビルマを席捲し、更に南に伸びて、東印度諸島を支配し、濠洲を攻略し、印度を脅かすに至る大勢力をもつに至つた。・・
・・歴史の跡を辿つて見ると、我国の今日あるは少しも不思議ではなく、我々の祖先達が、屢々その胸の中に抱いた壮大なる思想であり、計劃であつた・・
倭寇の猛烈なる海洋征服の精神、豊臣秀吉の大雄図、また、幕末に於ける、国防論者達の、皇国絶対の信念と、その遠大なる海外遠征の精神、 明治天皇の聖徳、それが、今日に於て、開花しつゝある現象を目前に見るのである。」pp330-331
 島津斉昭コンセンサス的な事は、戦前から認知されてたようだ。
 戦後、忘れさられたのはGHQに焚書され、文系学者にも思想的に焚書されたからなのかもね。
 結構、典拠として一時史料からの引用が多いので、太田コラムにおすすめ。

⇒Thanks.(太田)

<太田>

 安倍問題/防衛費増。↓

 なし。

 ウクライナ問題。↓

 なし!

 ガザ戦争。↓

 <イランの「抑制され過ぎた」対イスラエル攻撃。
 (引用しなかったが、フランスは、戦闘機を飛ばしたが戦果ゼロだったみたいね。)↓>
 For the first time ever, Iran has carried out strikes against Israeli territory.・・・
 Interceptions lit up the night sky in several places across the country, while many drones and missiles were shot down by Israel’s allies before they reached Israeli territory.
 At least nine countries were involved in the military escalation – with projectiles fired from Iran, Iraq, Syria and Yemen and downed by Israel, the US, the UK and France as well as Jordan.
 Here’s what we know about the attack so far.
 Attack involved drones, cruise missiles and ballistic missiles
 Iran launched more than 300 drones and missiles towards Israel・・・
 The attack included 170 drones and 30 cruise missiles, none of which entered Israeli territory, and 110 ballistic missiles of which a small number reached Israel・・・. ・・・
 The shortest distance from Iran to Israel is about 1,000km (620 miles) across Iraq, Syria and Jordan.・・・
 Some 99% of the incoming barrage was intercepted either outside Israeli airspace or over the country itself・・・
https://www.bbc.com/news/world-middle-east-68811273
 <どっから飛び立ったんかしら。↓>
 「スナク首相「英軍機がイランの攻撃用無人機を多数撃墜した」・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%82%B9%E3%83%8A%E3%82%AF%E9%A6%96%E7%9B%B8-%E8%8B%B1%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E3%81%8C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%94%BB%E6%92%83%E7%94%A8%E7%84%A1%E4%BA%BA%E6%A9%9F%E3%82%92%E5%A4%9A%E6%95%B0%E6%92%83%E5%A2%9C%E3%81%97%E3%81%9F-%EF%BD%98%E3%81%B8%E6%8A%95%E7%A8%BF/ar-BB1lAQMQ?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=4eed9f45daff48b3b6e006a7c1b24280&ei=51
 <それにしても、ヨルダンがイスラエルに加担する形で「参戦」したとはね。↓>
 An Unexpected Player in Israel’s Defense: Jordan, Home to Many Palestinians
The Arab kingdom said it took military action to defend its territory against Iranian drone and missile strikes. Critics assailed the country as having helped defend Israel.・・・
https://www.nytimes.com/2024/04/14/world/middleeast/jordan-israel-iran-drones.html
 <唯一の犠牲者(重体)だったのは不法滞在者たるアラブ人少女だった。↓>
 ・・・While Israel suffered little in the way of significant damage overnight, this one family was dealt a devastating blow. Amina al-Hasoni, 7, was clinging to life — the sole serious casualty of the Iranian barrage. And were it not for systemic inequities in Israel, her relatives said, maybe she too could have been spared.
 There are roughly 300,000 Arab Bedouins in the Negev desert. About a quarter of them live in villages that are not recognized by Israeli officials. Without state recognition, those communities have long suffered from a lack of planning and basic services like running water, sewers and electricity. And few have access to bomb shelters, despite repeated requests to the state.
 The Hasoni family lives in one such community, sharing a hilltop in the Negev village of al-Fur’ah with a plot of disconnected houses. ・・・
https://www.nytimes.com/2024/04/14/world/middleeast/israel-iran-negev-bedouin.html
 <ヨユーのイスラエル。↓>
  Now it’s up to Israel: De-escalate or retaliate against Iran?・・・
https://www.washingtonpost.com/opinions/2024/04/14/iran-attack-israel-failed-deescalate-retaliate/
 <イランも攻撃してくれたし、これで、堂々とハマスにとどめをさせるな。↓>
 「ハマスが「停戦案拒否」恒久的な停戦とイスラエルのガザ完全撤退要求・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%81%8C-%E5%81%9C%E6%88%A6%E6%A1%88%E6%8B%92%E5%90%A6-%E6%81%92%E4%B9%85%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%81%9C%E6%88%A6%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%82%AC%E3%82%B6%E5%AE%8C%E5%85%A8%E6%92%A4%E9%80%80%E8%A6%81%E6%B1%82/ar-BB1lCJEt?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=f45cfda53eb2462985264f4c9791ecd8&ei=26

 それでは、その他の国内記事の紹介です。↓

 ・・・。↓

 「・・・大谷はこれを拒否し、代理人のネズ・バレロ氏を会議室に呼んだ。バレロ氏は別の通訳者も含め数人の関係者を集めた。この会合には水原容疑者の妻も参加したという。・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%E4%BC%9A%E5%90%88%E3%81%AB%E3%81%AF%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E6%B0%8F%E3%81%AE%E5%A6%BB%E3%82%82%E5%8F%82%E5%8A%A0%E3%81%97%E3%81%9F-%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E4%B8%80%E5%B9%B3%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%85-%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E3%81%A8%E3%81%AE%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%A4%9C%E3%81%AE%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E3%81%8C%E6%98%8E%E3%82%89%E3%81%8B%E3%81%AB-%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%AE%A4%E3%81%A7%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E3%81%AB%E5%8F%A3%E8%A3%8F%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B%E6%89%93%E8%A8%BA%E3%82%82%E6%8B%92%E5%90%A6-%E4%BB%A3%E7%90%86%E4%BA%BA%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E5%A6%BB%E4%BA%A4%E3%81%88%E4%BF%AE%E7%BE%85%E5%A0%B4%E3%81%AB-%E7%B1%B3%E5%A0%B1%E9%81%93/ar-BB1lALP6?ocid=hpmsn&cvid=c5054e3baf3846b5b452d74783e47b2a&ei=89

 いやはや。↓

 「〈純金茶わん・窃盗〉「中学の頃は不登校」「大学に行きたくても金がない」逮捕された男の父親が独白60分。彼女も友達もナシ、親子二人“最底辺の生活”「金が貯まったら1度でいいから新幹線に乗りたいって…」・・・」
https://news.livedoor.com/article/detail/26228529/

 まるでちゃうっての。
 「日本が戦争に「勝っ」た理由は、・・・海軍指揮官にこそ大きな問題があったけれど、陸軍指揮官の質が卓越していた」からだ。↓

 「日本が戦争に敗れた理由は、兵器の性能や、兵力の差だけではない。指揮官の質にも大きな問題があった。・・・」
 日本軍の指揮官は、戦闘の「公式」が通用する範囲、すなわち艦長や連隊長・大隊長レベルでは有能たり得た。しかし、より創造性と柔軟な思考を必要とする戦略・戦争指導の責任を負うや、愚行に向かうということがしばしばあったのだ。むろん、彼らの個人的な資質の問題もあっただろう。けれども、かかる日本軍のコマンド・カルチャーも深刻な影響をおよぼしていたのではないだろうか・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/af7597f4e1e1d000bc989955d4dafe059875b986

 明治天皇の心中は多分違うんだろうが、太田コラム的には天皇の言った通りであり、日本の実質的な元首の座を日蓮主義者の慶喜から非日蓮主義者の天皇が「とってしまった」んだよな。
 そんなん本来ありえないんだよ。だって、明治政府は日蓮主義者の政府だったんだから・・。↓

 「・・・明治30(1897)年、静岡から東京へ居を移した慶喜は、周囲の説得もあり、翌年遂(つい)に明治天皇と美子(はるこ)皇后に拝謁します。酒席で天皇と杯を交わし、懐旧談に花を咲かせた慶喜。天皇も「慶喜の天下をとってしまったが、これで俺も罪滅ぼしができた」と周囲に語ったともいい、約30年ぶりの和解が実現したのです。
 それから15年後、慶喜は天皇の後を追うように亡くなりました。「ともすれば都を夢にみ(見)つるかな そむ(背)きしほどの心なれども」。生前の詠歌からも、「朝敵」となった過去、そして父祖や一門への罪責感を抱えながら明治を生きた「最後の将軍」の心が偲(しの)ばれます。・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E3%81%AE%E8%82%96%E5%83%8F-30-%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E6%85%B6%E5%96%9C-%E5%89%8D%E7%B7%A8-%E6%96%B0%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%81%9F-%E5%B0%86%E8%BB%8D/ar-BB1lzKEB?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=a673e953d29e4b4c8d282181dd4134ba&ei=26

 何度でも言うが、こういう話は、道長のやってたことの、ほんの一面に過ぎないんだからね。↓

 「・・・道長からすれば、自分より前を走っていた兄の道隆と道兼、そして甥の伊周が勝手に転んで、気づけば先頭を走っていた……。長保元(999)年、12歳になった彰子が入内したのは、まさにそんな状態のときだった。・・・
 とはいえ、まだまだ先はわからない。彰子の入内とちょうど同時期に、中宮の定子が、長保元(999)年11月7日に、一条天皇の第一皇子となる敦康親王を出産する。天皇は大喜びしたというが、道長はその日の日記で「彰子に女御宣旨が下った」と娘のことを書くだけで、第一皇子の誕生については触れていない。
 目まぐるしく変わる政局のなか、道長が放った次の一手――。それが、「定子を皇后とし、彰子を中宮にする」という、亡き兄の道隆をも上回る強引な人事だった。・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E8%87%AA%E6%BB%85-%E7%B5%B6%E9%A0%82%E6%9C%9F%E3%81%A7%E3%82%82%E9%81%93%E9%95%B7%E3%81%AE%E4%B8%8D%E5%AE%89%E5%B0%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84%E8%A8%B3-%E5%A8%98%E3%81%AE%E5%BD%B0%E5%AD%90%E3%82%82%E5%85%A5%E5%86%85%E3%81%99%E3%82%8B%E4%B8%AD-%E9%81%93%E9%95%B7%E3%81%AF%E6%AC%A1%E3%81%AE%E4%B8%80%E6%89%8B%E3%82%92%E6%A8%A1%E7%B4%A2/ar-BB1lzRjm?ocid=hpmsn&cvid=90282edd217a43059921f6c261155b40&ei=10

 打算ともののあはれと・・。↓

 「・・・<藤原>宣孝も生年は明確ではないのだが、寛和元年(985)には30歳をすぎていたのだから、<紫式部への>求婚時には40代も半ば近かったはずである。むろん、初婚ではない。この時点ですでに3人の女性に子供を産ませており、紫式部と同時に近江の女にも求愛していたという。・・・
 宣孝は有能な官人であり、雅な面も持っていた。・・・公事を丁寧に記録した日記も残している。その一方では、派手で明朗闊達、悪く言えば放埓な性格でもあったようである。派手な服装で金峯山詣を行なったことが<あ>・・・る・・・。
 それにしても、そんな「放埓」な人物がなぜ紫式部に目をつけたのだろうか。・・・多くの研究者が指摘するように、何人かの女性と浮名を流した宣孝も熟年に達するなかで、精神性を加味した大人の女性を必要としたのだろうか・・・。
 そして、紫式部は求婚を受け入れた。
 ところで、宣孝は京都から求婚したのだが、じつは、紫式部はこのとき、都から遠い北国である越前(福井県)にいた。そのことも、この結婚を解くカギになる。
 その2年前の長徳2年(996)秋、父の為時は、花山天皇の出家にともなって官職を失って以後、ほぼ10年ぶりに任官し、越前守として赴任することになったのである。その際、妻をともなわなかったので、当面、父の世話をする必要があったのだろう。紫式部も同道した。
 そこに、前年には筑前守(筑前は福岡県北西部)の任期を終えて京都に戻っていた宣孝から、求婚の書状が届いた。それを受け入れた紫式部は、長徳3年(997)の年末か同4年(998)の春に、父を越前に残してひとりで帰京し、同4年の冬に宣孝と結婚した。
 ・・・都から遠い北国の地にあった式部にとって、宣孝の存在は心理的な“化学反応”をもたらしたようだ・・・。
 ・・・紫式部にはその後の一年ほどの越前滞在で、その風物を詠んだ歌はない。国内のあちこちに出かけることは、ほとんどなかったのであろう。・・・豊かな大国であるとはいっても、やはり都人には北陸の気候は堪えたのであろう・・・。それゆえ、都にいる宣孝の求めに応じる気になったのかもしれない。
 では、なぜ宣孝が紫式部に求婚したか、である。・・・精神性を加味した大人の女性を必要とした・・・という面もあるかもしれないが、それだけではなかろう。
 ・・・ここまで婚期が遅れたのは、なにも紫式部の内省的な性格や結婚観や性的嗜好によるものではない。紫式部の適齢期に為時が無官であったためである。当時は男性が婿として妻の実家に入る結婚形態であったから、政治的にはもちろん、経済的にも後見の期待はできない為時の婿になろうなどという男は、現れるはずがないのであった。紫式部としても、装束や食事や牛車の用意もできない我が家に婿を迎える気にはなれなかったであろう・・・。
 紫式部より20歳前後も年長で、すでに百戦錬磨の宣孝の場合、婿入りする家の政治的および経済的貢献をさほど必要としなかったかもしれない。とはいっても、父親が無官で困窮しているあいだは、その娘に求婚する気にはならなかっただろう。
 10年にわたって無官のままだった為時が、越前の国司に任命された。しかも、当時は日本の国々は面積や人口、政治力、経済力などによって、大国、上国、中国、下国の4等級に分けられており、越前は大国だった。
 大国の国司の娘になったこと。これこそが、紫式部がようやく結婚にたどり着けた最大の理由だろう。ここまで結婚できなかったのは、ひとえに父が長く無官だったからであ<る。>」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E9%81%93%E9%95%B7%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%80%9D%E3%81%84%E3%82%92%E6%96%AD%E3%81%A1%E5%88%87%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84-%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8%E3%81%8C%E5%A9%9A%E6%9C%9F%E3%82%92%E9%80%83%E3%81%97%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%81%9F%E6%9C%AC%E5%BD%93%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1/ar-BB1lAiQ1?ocid=hpmsn&cvid=9da2214f9a594a7a8f802366875bfd32&ei=12

 その後で弥生人が渡来してきたってことは変わらないわけね。↓

 「・・・日本列島にホモ・サピエンスが最初に進出したのは、約4万年前の後期旧石器時代。旧石器時代の遺跡は日本国内に1万箇所ほど知られていますが、人骨は琉球列島を除いてほとんど見つかっておらず、旧石器時代人の実像についてはあまりわかっていません。
 日本列島への流入のルートとして考えられるのは主に3つ。朝鮮半島から対馬を経由してくるルート、台湾から琉球列島を渡るルート、シベリアから北海道を通るルートです。
 この時期は最終氷期に当たるため、現在より海水面が低く、本州や九州、四国、沖縄には船で渡ってきたものと考えられます。
 <これま>では、縄文人は均一な集団と考えられてきましたが、ミトコンドリアDNAの解析によると、旧石器時代にさまざまな地域から入ってきた集団で形成され、遺伝的特徴が異なる集団が居住していたようです。・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%A8%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA%E3%81%A7%E5%88%86%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84-%E7%A5%96%E5%85%88%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4-%E3%81%A9%E3%81%86%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6%E3%81%B8%E3%82%84%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F/ar-BB1lAqrY?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=1cba278bfa5842f199f74ecf4562bef8&ei=21

 日・文カルト問題。↓

 <前宗主国首脳動向を気にし過ぎ。↓>
 「バイデンに会いに行った岸田首相、トランプにもウインク?…米国の日本の工場を視察・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/317398
 <IT分野での日本の話を取り上げることを許す。↓>
 「2022年末に生成型人工知能(AI)チャットボット「チャットGPT」を公開し、AI業界をリードしている米オープンAIが月内にも東京に事務所を設ける。日本経済新聞が1日報じた。英ロンドン、アイルランド・ダブリンに昨年事務所を開いたのに続く3カ所目で、アジアで初の拠点となる。・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/04/09/2024040980161.html
 「製造業を固守してITで出遅れた日本、デジタルスタートアップ誘致に10兆円 ・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/04/09/2024040980163.html
 <片面的日韓交流人士モノ。↓>
 「<大リーグ>通訳リスク解消の大谷、最多本塁打に挑戦・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/317389
 <日韓交流人士モノ。↓>
 「韓国の現代百貨店 パルコでKファッション発信へ・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20240414000400882?section=economy/index
 <野蛮人め。↓>
 「日本のセクシー女優ら出演のアダルトフェス、水原・坡州で拒否され漢江船上で強硬開催か…ソウル市「電力供給を止める」・・・」
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/04/15/2024041580009.html
 <アカン、やっぱ、文カルト健在。↓>
 「・・・韓国・SBSによると、著書「帝国の慰安婦」で旧日本軍慰安婦被害者の名誉を傷つけたとして名誉毀損罪に問われた朴裕河(パク・ユハ)世宗大学教授の差し戻し審が行われ、ソウル高裁は無罪を言い渡した。・・・
 この記事に、韓国のネットユーザーからは「法が無罪だと言えば悪人ではない、ということではない」「法の前に常識が優先されるべき。常識的に考えて、こんなことがありえるのか?」「こんな人間に学生たちを教える資格などない」「大統領が親日だからな」「これではまるで日帝植民地だ」「親日派がうようよしている司法府」「親日の判事は掃除すべき」「国がおかしくなっていっている」など、怒りの声が殺到している。」
https://www.recordchina.co.jp/b931812-s39-c30-d0195.html
 <遺憾ながら正論。↓>
 「大阪万博まであと1年、ピンチの日本に韓国ネット「今どき万博なんて」「釜山の誘致失敗は幸い」・・・韓国メディア・韓国経済・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b931813-s39-c30-d0195.html

 ノーベル賞かイグノーベル賞か。↓

 「虫が光に集まる理由がついに判明!惹きつけられているのではなく閉じ込められていた・・・
 虫は光に背を向けて、光に対して垂直な方向に飛行していることがわかりました。なぜ虫は光を背に受けて飛行するのでしょうか。太陽や月などの自然界の光は、基本的には虫の頭上にあり、それに背を向けることで正しい飛行姿勢を保つことができるからです。専門的には「背光反射」と呼ばれる虫の本能です。背中に光を受けながら飛ぶことで、自分が地面に対してまっすぐ平行に飛んでいることを認識しているのです。・・・」
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E8%99%AB%E3%81%8C%E5%85%89%E3%81%AB%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%8B%E7%90%86%E7%94%B1%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%AB%E5%88%A4%E6%98%8E-%E6%83%B9%E3%81%8D%E3%81%A4%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%8F%E9%96%89%E3%81%98%E8%BE%BC%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F/ar-BB1lzVT4?ocid=msedgntp&pc=U531&cvid=988d014a9df54e4da000b5377598c154&ei=30

 ムチャクチャやがな。↓

 「・・・後漢の188年の中国の推定人口が6000万人なのに対し、三国時代の221年には1400万人まで激減しているのです。
 <支那で古文書は殆ど失われたんじゃなかったん?↓>
 そんな昔の人口がなぜ分かるのか? と思う人もいるかも知れませんが、中国では地理や官制、軍の編制など多岐に渉る記録が残されており、この記録の中には、各郡県や州の戸数などを記録したものもあるため、これにもとづいて当時の人口を推定することができるのです。・・・
 その原因として挙げられるのは、相次ぐ戦乱です。・・・
 さらに三国時代に相次いで起こった天災も人口減の理由となっています。・・・
 三国時代に減少した中国の人口は、唐の時代になるまで元の人口に回復することはありませんでした。・・・
・」
https://nazology.net/archives/146980

 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓

 なし。

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太田述正コラム#14154(2024.4.15)
<加地伸行『儒教とは何か』を読む(その9)>

→非公開