太田述正コラム#14028(2024.2.12)
<映画評論115:孫子兵法(その14)>(2024.5.9公開)

「孫子 兵法」にようやく、呉軍と越軍の水軍の戦いが登場してほっとしましたが、このあたりで、「始皇帝 天下統一」と「孫子 兵法」に共に登場する、日本では余りお目にかからない武器をいくつか紹介しておきます。↓

 弩(ど。クロスボウ):「<支那>における最初の文献的証拠は『孫子』である。紀元前5世紀に始まる・・・戦国時代には斉の孫臏が戦闘で弩兵を運用している記述があり、既にこの頃には主力の飛び道具として使われていた。・・・
 誰が用いても威力が変わらず短時間の訓練で一定の命中精度が得られる弩は、歩兵を短時間で弓兵に変えることができるなど戦力増強に有効な武器であった。また農兵等の戦闘技術を持たない人材を大量に動員する必要があった社会(<支那>・<欧州>)では重宝された。・・・
 弩の長所はその飛距離と貫通力であるが、弱点は連射が利かないと言う点である。その弱点を克服するために<作られたのが>・・・戦国時代(紀元前5 – 3世紀)には既に存在して<いた>・・・連弩<は、>・・・18本の矢を装填し、2本同時に発射可能なものが楚人の墓地から発掘されている。・・・
 古代ローマではバリスタと呼ばれる、同じく土台とハンドルの付いた固定式の大型の弩が普及していたが、ローマの崩壊期から中世にかけて姿を消した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A9

⇒弩は、古代において、支那の独壇場であったということになりそうです。(太田)

 投石機(カタパルト):「石などを投擲して敵の人馬もしくは城などの建築物を標的とし射出攻撃する兵器(攻城兵器)である。・・・
 古代<支那>では遅くとも紀元前5世紀初頭には使われはじめていた。欧州(シチリア)ではバリスタ式の物が紀元前4世紀初頭に開発され、古代ギリシャでもアレクサンドロス大王の東征において使用されて<いる。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%88_(%E6%8A%95%E7%9F%B3%E6%A9%9F)

⇒これも、春秋戦国時代の支那が一番乗りなんですねえ。(太田)

 
 攻城塔(ベルフリー):「知られている中で最古の攻城塔の投入は、アッシュールナツィルパル2世(在位:紀元前883年 – 859年)率いる新アッシリア帝国の陸軍が、紀元前9世紀に用いた例である。・・・
 古代中国の、運搬可能な攻城塔に関する最古の引用の一つは・・・伍子胥(紀元前526年から紀元前484年)が、呉王闔閭(在位、紀元前514年から紀元前496年)に<語った際のものである。>・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BB%E5%9F%8E%E5%A1%94
 
⇒これは、オリエントの方がほんの少し支那よりも早かったようですが・・。(太田)

 戦車(チャリオット):「古代オリエント世界ではシュメール、ヒッタイト、アッシリア、古代エジプト、ローマ、ペルシア、古代<支那>、古代インドなどで使用された。・・・
 シュメールにおいて、もっとも初期の記録は紀元前2500年頃の物である。・・・
 <支那>では春秋時代までは戦車が主流であったが、都市国家から領域国家の時代に移行する戦国時代ころより歩兵戦が主流となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88

⇒これは、オリエントの方が支那よりも遥かに早い時期から用いていました。

(続く)