太田述正コラム#14052(2024.2.24)
<岡本隆司『物語 江南の歴史–もうひとつの中国史』を読む(その8)>(2024.5.21公開)

 「大土地所有者でありながら、そのまま武断的自立的な領主になってしまうのではなく、地域社会の支持を集めることで名望・勢威を築いたのが、中国の豪族の特質である。・・・」(49)

⇒これは、秦帝国、つまりは、秦を始めとする戦国時代の諸国で、多かれ少なかれ、中央政府以外の(狩猟採集/農耕遊牧目的のものを除く)武器所有を禁じていたことが漢時代以降も踏襲された(注12)からではないか、と、私は見ています。
 なお、唐代に、はた、のぼり類が禁止されたのは興味深いですね。(太田)

 (注12)「唐代では弓箭・刀・楯・短矛が民用武具として私有が認められた一方で、矛・矟、甲・弩、旌旗・幡幟・儀仗が軍用武具として私有が禁じられ、特に甲と弩の私有は厳罰であった<。>・・・
 安史の乱以後、・・・戦乱は戦場に遺棄された武器の直接獲得を一般農民に可能にさせた<。>・・・
 唐宋代の禁武政策は、平時には民用武具による自衛活動を認め、動乱期には国家管理の軍用武具を貸与することで一時的にその自衛力を強化させるという柔軟性を兼ね備えていた<。>・・・
 <すなわち>、唐宋代では重兵器の私有を厳禁としつつ軽兵器の私有を容認することで、民衆から反乱に繋がる軍事力を奪う一方、民衆に自衛のための適度な自衛力を保持させるという、限定的で柔軟な禁武政策が実施されていた<。>・・・
 元<は、>唐宋よりも総じてより厳しい禁武政策を布いていた・・・。
 他方、唐宋では弩の私有は鎧に次ぐ重罪であったものの、元では槍・刀・弓箭の私有と同罪とされ、量刑が緩和されている。これは唐宋代では弩は主に歩兵の主力兵器として活躍したものの、元代では弓矢を駆使する騎兵が主要な兵種となったため、相対的に軍隊での重要性が低下したためであろう。・・・
 元の禁武政策は民間人、特に漢民族に対する徹底した武装解除を目指すものであった<。>・・・
 明代では火器や防具を除いた、ほぼすべての武器が解禁となった<。>・・・
 明代では兵卒の給与が滞ることが状態化しており、十分な給与を受けられない軍士は装備を質入れや売却せざるを得なかった<。>・・・
 清代ではその禁武政策もおおむね明代から引き継いだものであり、明清代を通じて、冷兵器の私有が合法化され、それらを扱う市場が成立する条件も整っていた<。>・・・
 清朝においても・・・困窮した旗人は、武器を質に入れたりしていた<。>」
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjuw6r79omEAxWq2jQHHcfTA0QQFnoECAgQAQ&url=https%3A%2F%2Fu-aizu.repo.nii.ac.jp%2Frecord%2F182%2Ffiles%2F%25E4%25BC%259D%25E7%25B5%25B1%25E4%25B8%25AD%25E5%259B%25BD%25E3%2581%25AB%25E3%2581%258A%25E3%2581%2591%25E3%2582%258B%25E7%25A6%2581%25E6%25AD%25A6%25E6%2594%25BF%25E7%25AD%2596%25E3%2581%25A8%25E6%25B0%2591%25E9%2596%2593%25E6%25AD%25A6%25E8%25A1%2593%25E3%2581%25AE%25E6%25B3%2595%25E7%259A%2584%25E5%259F%25BA%25E7%259B%25A4.pdf&usg=AOvVaw1HwvgN_TEMAnnV0I-oZx2G&opi=89978449
 矟(さく)=長柄のほこ
https://kanji.jitenon.jp/kanjiv/10624.html
 甲(こう)=よろい。転じて、兜(かぶと)。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%B2-48403
 旌旗(せいき)=はた。のぼり
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%97%8C%E6%97%97/
 幡(はた)=旗=旌
https://kotobank.jp/word/%E6%97%97%E3%83%BB%E5%B9%A1%E3%83%BB%E6%97%8C-358702
 幟(のぼり)=細長い布の端につけた輪にさおを通し、立てて標識とするもの。
https://kotobank.jp/word/%E5%B9%9F-112446

(続く)