太田述正コラム#2999(2008.12.28)
<皆さんとディスカッション(続x350)>
<コバ>
 太田総理、太田さんの出番が短かったのが残念! もっと発言していたのでしょうが…。
 NHKの日曜討論などでじっくり討論をやっていただきたいです。
<太田>
 NHKの大河ドラマのどれを見てもお気づきのように、たとえ戦国時代であっても、登場する主人公ないし準主人公の女性は、必ず、戦いにはやる男性をいさめ、平和を説く役割を負わされています。
 いつも私はそういう場面で吹き出しているのですが、武将たる男性がそれをやると余りに不自然だから、女性にこの役割を振っているわけです。
 NHKは、まさに吉田ドクトリンを墨守してきた、戦後日本「右」「左」癒着権力の、国内向け広報センター(イデオロギー注入センター)として機能してきたのです。
 国営放送だから当たり前だ、と言ってしまえばおしまいですが・・。
 (なお、NHKを英国の「国営放送」BBCと比べると、ファイナンシャルタイムスと日本経済新聞並のクオリティーの差があります。)
 NHKが防衛省不祥事、ひいては官僚不祥事についてすら、日曜討論やクローズアップ現代等で私をとりあげないのは、私の危険性を十分認識しているからでしょうね。 
 こういう「正しい」認識ができるのは、国営放送としての「自覚」がある上に、民放と比べて、NHKは営利を追求する必要がないし、管理者や記者がより「優秀」だからです。
<NT>
 またおじゃまします。
 このブログはレベルが高いので、薄識の愚生には参加しにくいのですが、そのくせちょっとちょっかいを出してしまいます。破棄してもらって構いません。
 昔(35~6年程前)読んだ本で、ある日本人が戦後の世情と道徳の乱れを嘆いたところ、心配しなくても、3世代経れば日本は元の日本に戻ると云った人がいました。
 本の名前は、うろ覚えですが、「同文同種の間違い?」それを云った著者も不確かですが、「盛イクド」だった?。(台湾人か?清朝高官の末裔?)
 3世代とは、1世代20年として、60年、或いは、1世代30年として、90年。
 (たしか、リンカーンのゲチスバーグ演説に20年4世との表現があったように思う)
 もし、この定義、或いは予言が正しければ、そろそろ、日本はその世代に入ったのか、入りつつあるのではないでしょうか、近頃の日本の動き情勢は、例えば、「東国原知事、」「橋下知事」この「太田述正ブログ」など、今までに無かった現象ではありませんか?
 また、田母神氏のような意見(賛同できる人ではありませんが)が人々の心、精神に、もうこのままでは日本は駄目になる、との危機感が沸きつつあるのでは、と愚考しています。
 日本の真の独立、真の自主外交、まさに太田氏が云われる通りです。
 簡単に、天皇など要らない。といわれる方、日本の歴史を一度読んでみては、とお勧めします。
 古代の日本と、少なくともこの100年くらいの東アジア、日本の歴史を知を知った上でもう一度天皇の存在について、考えて頂きたいのです。
 なんの価値も無いのではありません。千数百年或いはもっと昔より連綿とつつくのはなぜか? 存在することだけで値打ちがあるのではありません。日本の伝統がそこにあるのです。
 愚生は、田中角栄氏が首相になった時、今太閤などとジャーナリズムは囃子ましたが、首相よりももっと、高貴な方がこの日本には、居られるのだぞと、思いました。また居られなければ、政治の世界で少し権力をもった者が独裁者として勝手気ままに振舞う者が現れるのでは、と危惧します。
 もっと、練ったものを書きたいのですが、なかなか上手く纏められません。
 一概に日本の過去を批判される方に、ときには、この前の戦争に兵士として参加し、生還された人々の本など、或いはその時代を生きた人々の記録などを読んで見てください。
  参考:小泉信三著「海軍大尉小泉信吉」(親子の親愛の情あふれる・・)
     :山本七平著「一下級将校の見た帝国陸軍」(克明に帝国陸軍の無策など・・     ・)
     :森拾三著「雷撃機出動」(もう絶版か?真珠湾の攻撃隊飛行士)
     :佐藤愛子著「加藤大尉夫人」(女性から見た戦争)
      その他沢山あります。
<FUKO>
 –責任の取り方–
≫昭和天皇が自決していたら日本のトップの不祥事に対する姿勢も何かをするときの基準がもっと崇高になったであろうことに対して残念です。≪(コラム#
2997。michisuzu)
 自決って最悪の責任の取り方じゃないでしょうか。
 解決すべき問題を放り出していなくなっちゃうんですから。
 あとに残された者たちは大変ですね。現状で解決すべき問題があるのに、トップの自殺によって生じる混乱も収拾しなければならないですし、新しいトップもたてなければならない。
<遠江人>
≫とくにmichisuzuさんの次の箇所は「そうあって欲しかった」という希望はあります。
 ≫昭和天皇が自決していたら日本のトップの不祥事に対する姿勢も何かをするときの基準がもっと崇高になったであろうことに対して残念です。≪(コラム#2997。michisuzu)≪(コラム#2998。唯我独尊)
 政治権限も無く政治介入も控え続けてきた「お飾り」の天皇を捉まえて、何故「政治介入」して戦争を止めようとしなかったのかと後から都合よく言ってみたり、俺たちが腑抜けになったのは、あんたが(戦争を始めた責任も遂行責任も無いにも関わらず)「責任」を取って死ななかったからだ、お飾りでも何でもあんたが「責任」を取って死んでいれば俺たちは違っていたんだ、と何が何でも「自分」(と「米国」)以外のせいにして何か?という顔をしている人間を目の当たりにしたらどう思いますか?
 そんな人は、何でも他人のせいにして自分の醜さと向き合いたくないだけ、だと思いませんか?
 それにしても、なんで私が保守派の代弁のような投稿をせにゃならんのでしょうか。
<秋の空>
 michisuzuさん、遠江人さん 太田さん(コラム#2997&2998)。
≫・・・戦争を身をもって止めなかった責任です≪(コラム#2997。michisuzu)
 私が言っているのは天皇の責任のことよと思われる前にまず・・・・太平洋戦争開戦責任〔開戦阻止の是非〕については、太田さんの共著者、兵頭二十八氏の盟友?であり軍事史研究家である別宮暖朗氏の『誰が太平洋戦争を始めたか』(ちくま文庫2008年8月)をぜひ読んで下さい。
 2~3日前に放送された、偽右翼?愛国雑誌『諸君』の常連、保阪正康監修になるTBSの番組とか信じちゃいけません〔笑〕。
 昭和16年、9月6日の御前会議、〔対米〕戦争準備を主張したのは〔海軍出身の〕永野〔軍令部総長〕と鈴木(企画院総長)の2名のみ。しかし、これで〔暴走〕海軍〔軍官僚〕主導の対英米戦争準備が始動〔同書p.163〕。膨大なデスクワークと兵力の運用を要する動員と集中がいったん始まったならば、これを途中で止めるのは不可能。この動員計画が足枷となって結局、南部仏印からの撤退〔これも大変な仕事〕も事実上不可能となりました。
 昭和帝が9月6日の御前会議白紙撤回を主張しても、当時の日本で唯一、海軍の暴走を食い止められる(とみなされた)陸軍の東條がいかに頑張っても開戦阻止は不可能でした。この時、身を挺して開戦阻止に当たるべき近衛首相が何を考えていたかも同書に書いてあります。
≫・・・死をもって償うべきだった≪(コラム#2997。michisuzu)
 敗戦後、阿南陸相、杉山〔開戦時〕参謀総長、東條元首相〔その他多数〕が自決、もしくは自決を試みています〔東條の自決については諸説あり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F
を参照のこと)
 michisuzuさんは、『天皇のことです、天皇以外の責任のことなど私は言ってません』と思われるでしょうが、それ<=阿南陸相らの自決(太田)>でいいのです。そんな責任のとりかたこそ本物の『民主主義』なのですから。
 独立不羈の自由主義国家の議会制度にあっては、議会で万機公論が決せられ、議会で選ばれた〔従って国民から選ばれた〕指導者が内閣に人材と叡智を結集し、外交戦略と内政の総合判断を行い、その責任をとる・・・が正真正銘の(議会制)民主主義でしょう?
 戦争は外交・政治・情報・インテリジェンス等と密接不可分の『大事』〔孫子兵法〕だからこそ、軍人ではなく戦略の最高位にある指導者が指揮をとる。その叡智を近代社会の政治制度化したのが、(本来の)シビリアン・コントロールでありPolitical Leadership であります。
 国際情勢と戦略〔とその評価〕は常に時代とともに激変します。だから、そのときどきの政策の責任は内閣が負い、国〔国策・国益〕のために命をささげた者(就中、軍人)に対しては、過去・現在・未来の全ての国民と国の歴史を体現する立憲君主〔日本では天皇〕が、その名誉を担保する。そうすることによって無用の政治理念や歴史観の暴走・競合・争いとそれによる国家の混乱をさけ、最も理性的・合理的な国家・社会を維持できる。
 この叡智を政治制度として歴史の試行錯誤のなかで実現したきたのが日本の天皇制であり、英国の立憲君主制であります。女王陛下のスパイを持ってる国のほうがCIAのアメリカより格が上なのです(コラム#1764)。
 昭和帝は太田さんがおっしゃるように昭和期、最高の知識人であり(コラム#2998)同時に〔実は近代日本〕最高の軍事研究家〔これは、上記、別宮さんの言葉、同氏サイト
http://ww1.m78.com/ 
のどこかに書いてあります〕であり、昭和帝は上記、立憲君主制を身を挺しで日本に残し、守り抜いた人物である。それが私のような保守派の判断であります。・・・・
 以上、遠江人さん(コラム#2998)さんへ。
 私は『諸君』やその読者なぞ保守とは何の関係もない偽者と思っておりますので誤解なきよう。塩田某の『諸君』論文、太田さんの言ってること何もわかっちゃいないじゃないですか(コラム#2923)〔笑〕。
 あと、本物の保守なら田母神論文〔のレベルの低さ〕に腰を抜かすはずです。彼の心意気を許したとしても、自衛隊がまともな戦史研究も対米情報収集・情報史研究も行っていないのは一目瞭然でしょう。あんな論文書くヒマがあったらさっさとアメリカから独立しろよ!〔笑〕。
  遠江人さんたちが過去何週間もやっておられた<左>とか<右>なんて議論、一体誰のこと?というのが私の感想です。
 太田さん、前空幕長は賞金を辞退されたってことは、まだお金が残っているということですよね?いっそのこと太田さんがアバ・グループに論文を出したらどうでしょう?ブッシュに靴投げたイラク野郎のような意表をつく戦略であります。 
 『日本独立作戦計画試案』とか『日英共同アメリカ・コントロール作戦試案』とか。防衛白書を書いた元防衛審議官の作戦計画書ということであればインパクトあると思います。
 ペリー来航、『泰平の眠りをさます、上喜撰、たった四杯で、夜も寝られず』
 2009年、『泰平の眠りをさます、論文は、太田述正、吉田〔ドクトリン〕を倒す』
 来年もご活躍を、
 在米・秋の空 
<太田>
 兵頭さんのウィキペディアを前に見たら、確か別宮氏、国際法に形式的にあてはめて先の大戦では、侵略したのは日本だ、と主張されているようで、敬遠をしてましたが、ご紹介いただいた本は面白そうですね。
 日本語で書かれたノンフィクションは読まない、という禁忌を破って読んでみますかね。
 なお、私がしゃべったことを、的確に整理できた人は、これまでの中では塩田さんだけです。
 それ以外の塩田さんの「見解」の部分は、「諸君」ひいては「文藝春秋社」のしばりが効いていて、塩田さんが自由に書けなかったということだと私は考えています。
 実際、発行された「諸君」では、私のコメントは一切反映されていませんでしたよ。
<天気輪>
 「皆さんとディスカッション」が熱いですね。
≫>自民もクソだし、民主だって例の削除されたマニフェスト見たことあれば、とてもじゃないが投票に躊躇するわ。議員個々人をよく見て投票率上げてくしかないわな。( コラム#2982。※)
 こうゆうニヒリストが日本をどんどん悪くするんですよね? 完璧な政党も無ければ完璧な政策もないことを知りもしないし考えも及ばないで批判ばかりしている人ってそれこそ単なる評論家でしょう?そんなの存在価値の無い人間ですよね。結局口ばっかりで何もできない人にこの手の人は多いわね。≪(コラム#2984。michisuzu)
 私は「議員個々人をよく見て投票率上げていくしかないわな」のあたりでポジティブに受け取りました。(自民はダメだから)民主に(自動的に)投票というのは躊躇するのであって、(完璧な政策や政党は無いからこそ)議員個々人をよく見て、ということではないかと。
 最後に投票率上げていくしかないと言っていることも、より多くの民意が政治に反映されるのは望まく、(いやしくも太田コラムに関心がある以上)ご本人が選挙に行かないという前提ではないであろう(多分)と。
≫兵頭二十八さんのミサイル防衛と核保持に関しての意見が私の主張とまったく合致しているのに驚きました。論理的に完璧で納得しました。日本人は片方で核の廃絶を唱え、いざ核攻撃を受けかければ平気で変節してアメリカの核の傘にすがろうとする情けない国民です。自分の身は自分で守らずに独立国とはいえません。早期にアメリカと交渉して核兵器を保持するべきだと思います。≪(コラム#2990。michisuzu)
 私も核武装に賛成です。
 同害報復手段としての核投射能力は必須と考えます。
 また、属国から脱却するということは、より世界に関与することと同義と思います。
 自前の核戦略を思考することは、日本が主要プレイヤーとして核保有の諸外国に伍していくわけですから外交上も欠かせない素養ではないでしょうか。
 日本の核制御技術の向上にも資することでしょう。
 そもそも「被爆国」なれば日本こそが国を挙げて、核戦争に備えること(「民間防衛」)や核に関する科学的な知識を国民にもっと普及させねばなりません。
 旧ソ連の「平和攻勢」にやられ過ぎたんじゃないですかね。
 政治家が核に対する議論をもっとおおっぴらにやれないといけませんね。
≫それにしても天皇家が今まで存在してきた意義や意味を問うという根源的な疑問が俎上に上っているにも関わらず、読者の中にもいるはずの保守派や伝統文化を重要視する方々から何のコメントも無いのはどういうことでしょう。やはり「左」>「右」ということなんでしょうか。≪(コラム#2998。遠江人)
 天皇家の意義については権威と権力の分離という点で日本人が持つユニークな知恵でしょう。昭和天皇が敗戦後も在位し続けたことは、外国に対して有意義であったし、また対共産主義という点でも天皇家の存在は一定の効果があったと思います。
 よりマシな民主主義の発展という意味では連合国の占領終了後に(吉田ドクトリンの道は選ばず)日本人による新憲法制定と天皇家の地位の議論、(日本国家内部におけるケジメとして)昭和天皇の退位ということがあり得たかもしれません。※上記はあくまで外国の意思を介在させてはならず日本人自身が選択するものでなくては意味がありません。
 祭祀王としての天皇家の権威とその存続は長期的に日本人にとって引き続き大きくプラスであろうと思います。
 もっとも宮中祭祀が無きに等しくなればその権威が揺らぎかねません。
 個人的にはこれ以上の「世俗化」は危険だと思いますね。
 なんだか上手くまとまりませんがご容赦。
 さて、12月26日放映の太田総理を視ました。
 もう少し長く話させてもらえるかと思いましたが、残念でした。
 ただ出演しないよりは出演したほうが良いことは自明ですし、今後もほとんどワンフレーズであっても属国論で挑発(になってしまうのでしょうね)する機会を逃さないでいただきたいです。
 お題が官僚批判なので仕方がないですが、正直三人一緒であの扱いというのは納得しかねました。マスコミは「元防衛庁キャリア官僚」というレッテル以上の認識ができないのではないか?という疑問が払拭できません。
 私は、実は日本のマスコミこそ(兵頭氏の言うところの)「統制経済マンセー」の最たるものではないかと思うようになりました。
 私見によればマスコミこそが言葉の定義や検証を怠ったまま、「左」は「日本の植民地支配は悪」、「右」はそれに反発という脊髄反射的な言論展開に終始していた(今も)わけです。何しろ「属国」「植民地」という言葉はネガティブですし、上記のような文脈の使い方をしていれば、太田様の「敗戦後、現在に至るまで日本は属国。しかも日本人は自らそれを選択してきた。その挙句がこのザマです。」という主張を今さらどのツラ下げて紹介できるというのか。
 「右」にとっては日本が「属国」でしかも「自らそれを選び続けている」というのは二重に受け入れられない。商業的に冒険に過ぎる。結果相対的に「左」は専ら「政権批判」「官僚批判」という観点から太田様を取り上げる→「右」ますます敬遠、というのでは頭を抱えてしまいます。
「左」も不甲斐ない。「実名告発 防衛省」の解説がまた泣かせます。
 太田様をして<「青臭い議論」をし、政治家にゴマをすることができなかった著者>とは。
 私が「左」の防衛オンチ振りは「右」以上と思うのはこの辺です。今の安全保障体制不備を現実的に攻めるなら「防衛庁再生宣言」という虎の巻!が既にあるではないか。太田様にアップトゥデートを依頼して、防衛省「昇格」に合わせて出版するくらいのことはやって欲しかったです。青臭いのはどっちなんだ?
 「左」舷!弾幕薄いぞ!!何やってんの!!(わかる人だけ笑ってください)。
 「右」は商業的リスクから逃がれられず、「左」は長年の教条主義の呪縛から逃れられず。
 しかし「右」も「左」も読者・視聴者あってマスメディアです。
 電凸でもしますかスポンサーに(笑)。
 「太田氏の属国論や安全保障論を取り上げぬとは怪しからん」と。
 いや「左」はスポンサーこそが難物なんでしょうね。
 以上は私のマスコミ認識です。
(逃げてないよ、という方が他にいらしたらぜひコラムでご紹介ください)。
※ここから雑談。つまり以前<蜃気楼>名義で取り上げていただいた「保守雑誌に太田コーナーが無いのは怪しからん」というのは実は謎でもなんでもなかったというオチでした。
 (ずけずけと言うようですが「論壇」が逃げてるくせに、ましてやわかりやすさが身上のTVなんぞに属国論の料理ができるわけがない)。
 太田コーナーもなく、過去コラムを読むに太田×兵頭対談も実現しなかった。
 つくづく私のニーズにどんぴしゃりな企画は通らない。
 私の立ち位置はポリティカルコンパスで<蜃気楼>名義でお知らせしたとおりですが
 自分でも保守・右なんだかわけがわからなくなってきました。
 単なる太田ファン・兵頭ファンか。
 太田様は「右」でも「左」でもなく淡々とやっていけますが、読者はアイデンティティを保つのに苦労しますよ。「右」「左」のどちらもわかりやすい言辞に慣れてきた私のような身には特に。読者とのディスカッションも皆さん色々ですし。
 太田版ポリティカルコンパスがないと「右」と「左」の間の細い波打ち際を歩いていくにはいささか辛い。
 まあ属国論で「右」「左」を一度干上がらせていただければ楽に脱出できるわけですなんですが、ああ「出エジプト記」の世界ですな。Exodus。モーセ。
 太田様はエジプトとは浅からぬ縁。何たる暗号でしょうか!!
 「出・属国記」。これはまさに天命。太田版「十戒」も必要な勢いですよ。
 (ここまで書いてて私は本当にこじつけの天才なんではないかと思えてきました)
 <天気輪>と<蜃気楼>がごちゃごちゃになりましたが元々同一人物ですし、
今日は夜も更けて段々壊れてきました。悪ノリが過ぎました。お許しください。
 長々と駄文にお付き合いくださりありがとうございました。
 2008年最大の収穫は太田コラムでした。
 ご家族ともどもどうぞ良いお年をお迎えください。失礼いたします。
 
<太田>
 「右」の総合雑誌が私を敬遠している理由は、ご指摘のとおりだと思います。
 私は、要するに、戦後「右」が「左」を攻撃してきたのは、(「左」となれあいつつ、)「右」主導による日本属国路線を隠蔽するためだったと主張しているわけですから、私を正面からとりあげる、ということは、自分達がやってきたことの全否定につながるからです。
 しかも現在、日本の活字媒体は、IT化と人口減少の下、生き残りをかけて必死であり、幸か不幸か、「左」の活字媒体が、朝日や毎日の例を持ち出すまでもなく、一足先に急速に地盤沈下しつつあるところ、私を正面からとりあげる、といった冒険はとにかく避けたい、と思うのは無理からぬものがあります。
 それにしても、michisuzuちゃん、ご本人は年末年始のお休み中だというのに、話題の中心になってますね。
 さて、私が出演した「桜」TV、下掲で全部視聴できるようになったようですよ。
http://jp.youtube.com/watch?v=6eg59rYz14k
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5667519
 記事ですが、南オセチアのあきれた現状にロシアが頭を抱えている、というのは面白い。
http://www.spiegel.de/international/world/0,1518,598311,00.html
(12月27日アクセス)
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太田述正コラム#3000(2008.12.28)
<イスラエルのガザ攻撃(その1)>
→非公開