太田述正コラム#2951(2008.12.3)
<ムンバイでのテロ(続)(その1)>(2009.1.10公開)
1 始めに
 ムンバイのテロをめぐるその後の議論をご紹介しましょう。
2 ムンバイのテロは世界の問題なのかインドの問題なのか
 コラム#2944で、「ムンバイでのテロは、ユダヤ人施設も標的にされたことで、それが近代そのものを標的にしているところの、イスラム過激派によるものであることがはっきりしました。」と記したところです。
 私は、ムンバイのテロは世界共通の問題である、という認識に立っているわけです。
 しかし、このような認識に異議を唱え、ムンバイのテロはインド固有の問題であるとする論者もいないわけではありません。
 例えば、 デンマークの大学の教師をしているインド人女性は、次のようなコラムをガーディアンに寄せています。
 「・・・1947年の独立時の分離から始まる近代インド史の中に暴力は深く根ざしている。この分離以来のインドの60年間は、しばしば「地域内暴力(communal violence)」と呼ばれるところの反イスラム暴力事件の連続だった。
 一番有名なのは、アヨディヤ(Ayodhya)の由緒あるバブリ・モスクの破壊の後に1992年に起こった暴力事件だ。そして2002年には、グジャラート州で、アヨディヤからの帰途の56名のヒンズー教徒の巡礼達が殺されたことへの報復として、反イスラム暴力事件が起こった。
 この両事件において、何千ものイスラム教徒が殺されたが、国の諸機関は効果的な対応をしなかった、というより暴力を加える側と内応していた。この文脈に照らせば、1993年のムンバイでの爆弾事件は、ヒンズーナショナリスト集団の次第により攻撃的になってきた姿勢の下でイスラム教徒が政治的に追い詰められてきていることに対する反応であると受け止められた。・・・
 こういうわけで、<2001年の>9.11同時多発テロは、インドと欧米が共通項で括られたという認識を生んだ。両者は、世俗的民主主義という価値を共有するだけでなく、アルカーイダによって誘発された暴力という脅威もまた共有したというわけだ。
 9.11後のインドにおけるテロ攻撃、例えば2008年において、アハメダバード(Ahmadabad)、ジャイプール(Jaipur)、バンガロール(Bangalore)、ニューデリーと続いた連続爆破事件、そして今回のムンバイでのテロ事件は、常に世界的言辞でもって語られてきた。本当にそうである証拠はほとんど出てきてないというのに・・。・・・
 このような比喩を用いることはインドという国にとって都合の良い計略なのだ。
 第一に、特定の脅威を探知し無力化することに失敗した責任を最小化するために、そして第二に、カシミールに係るパキスタンとの長年の地域的紛争から目を反らさせるために。・・・
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/28/india-mumbai-terror-attacks
(11月30日アクセス。以下同じ。)
  ガーディアンの姉妹紙のオブザーバーは、このような認識を批判する社説を掲げました。
 
 「・・・インドをテロリスト達の陰謀論的説明に巻き込むことは容易だ。
 インドには1億5,000万人ものイスラム教徒がいる。そしてその大部分は数百万人の貧しいヒンズー教徒とともに近年の経済ブームから取り残されている。インドのイスラム教徒は、ヒンズー教徒の超ナショナリスト達によるテロの標的にされており、しかも国家による保護をほとんど受けられない。そもそも、野党のBJPからして、反イスラム殺戮諸事件への関与を批判されてもやむをえないところがある。
 それから、分離独立以来インドとパキスタンとの間で紛争の種になってきたカシミールの問題がある。カシミール州は軍事的統制の下に置かれてきて、歴史的にパキスタンの治安部隊によって唆され、分離主義とイスラムの両イデオロギーの混淆物によって動機づけられたところの、反インド叛乱分子を何世代にもわたって歴史的に育んで来た。・・・
 <しかし、だからと言ってテロが許されて言い訳がない。>連中の標的は民主主義なのであって不正義ではないのだ。・・・」
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/30/mumbai-terror-attacks-comment
3 パキスタン元凶論
 論者の大勢は、ムンバイでのテロを世界共通の問題としつつ、パキスタン元凶論を展開しています。
 
 まず、本コラムに既に(コラム#1769、2272、2701)何度も登場しているダリンプルによるコラムです。
 (実はダリンプルは、コラムの冒頭で、今回のムンバイでのテロで、テロリスト達が外国人がいるわけでもないのに病院を襲ったという事実をあげた上で、だからカシミール問題との関連が疑われる、と指摘していますが、どうして関連が疑われるのかについて、説明らしい説明をしていません。
 私自身、なぜテロリスト達が病院を襲ったのかについて、説明らしい説明を全く目にしていません。
 しかし、それはそれとして先に進みましょう。)
 「インドは・・・カシミールの人々を手荒く扱っていることで問題を一層深刻化させている。・・・<今回のテロリスト達はブランド物を身につけている者が多く、>決して、農村出身の、マドラッサ教育を受け、イスラム学者(mullah)達によって洗脳されたパキスタン人達ではなく、イスラエル、米国、英国、インドがそれぞれパレスティナ、イラク、アフガニスタン、カシミールにおいてやってきた途方もない不正義であると彼らがみなしているところのものに腹を立てている、怒れる教育程度の高い中産階級の若者達なのだ。・・・
 ザルダリ<パキスタン大統領>は、インドとパキスタンの改善された関係の中にカシミール問題が闖入してくることを欲してはいないが、公式には解散せられているはずのラシュカレタイバ(Lashkar-e-Taiba)がジャマタルダワ(Jama’at al-Dawa)という名の下で引き続き活動を続けており、しかも<ラシュカレタイバの指導者である>ハフィズ・ムハマッド・サイード(Hafiz Muhammad Sayeed)もまた、引き続きインドや欧米の目標への攻撃を扇動している。
 最近の集まりで、彼は「キリスト教徒、ユダヤ人、及びヒンズー教徒はイスラムの敵である」と宣言し、更にラシュカレタイバの目的は、「ワシントン、テルアビブ、そしてニューデリーにイスラムの緑の旗を揚げることだ」と付け加えた。
 サイードはまた、以前藩王国であった「ハイデラバード・デカン」もまたパキスタンの一部であると宣言しており、これは、「デッカ・ムジャヒディーン」と称する初耳の集団が今回のテロについて責任があると声明を発していることと符合するとも考えられる。
 ザルダリの政府が、最近サイードによる防弾仕様のランド・クルーザーの購入を認めたことからも、パキスタンの指導層が彼の活動を庇護しているらしいことは明白だ。パキスタンの外相のシャー・メヘムード・クレシ(Shah Mehmood Qureshi)は、昨日、インドのTV局からパキスタンが今度こそサイードを逮捕するかどうか聞かれた時、「われわれはいかなる社会にも勝手に行動する連中がいることを認識する必要がある」と回答を回避した。・・・
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/nov/30/mumbai-terror-attacks-india1
(続く)