太田述正コラム#3079(2009.2.6)
<皆さんとディスカッション(続x390)>
<太田>
 誰も本日公開したコラム#2701に関する投稿をしてくれないので、自分でフォロー。
 
 そんなインドでどうして
 ・・・Two years ago, an over-enthusiastic Richard Gere had the riot act read to him when he swooped down and clasped actress Shilpa Shetty and planted several kisses on her. The two, by the way, were at an event to tell lorry drivers about safe sex. News television hyperventilated, serving up titillation and tattle in equal measure on the serial-kissing Hollywood actor. Some protesters burnt effigies of Gere; others shouted slogans demanding the death of the hapless Shetty. It took the Supreme Court to suspend an arrest warrant against Gere, and obscenity charges against Shetty. ・・・
なんてことになるんだってさ。
 様々な「理論」が提示されてくるけど、全然説明になってないんだなあ。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/7871304.stm
<michisuzu>
≫なお、無駄遣いの額と累積赤字、更には今後の財政支出ニーズの額は桁が全く違うんで、それぞれ別個に考えなきゃ仕方ないんだって分かって欲しいな。≪(コラム#3077。太田)
 5日のお昼のニューススクランブルでは長妻議員が官僚の天下り25000人その企業に国から昨年だけで年間12兆円の発注が出ている(ほとんどが随意契約)といってましたが。 これなら額も釣り合うと思いますが。
 相変わらず典拠はありませんが。
<太田>
 ちゃうちゃう。今回のは形の上じゃ典拠ついてると言っていいけど、前回、私が「累積赤字」と「財政ニーズ」に言及してるんだから、少なくとも「累積赤字」がどれくらいあるのかネット等で調べた上で投稿しなきゃダメなの。
<アーサー>
 まずSMさん、コラム#3075において、典拠に関する多くのご紹介を頂き、有難うございます。
 また太田さんの、見事にまとめられたご意見にも、当コラムの質の高さを改めて感じました。
 さて、同コラムにおいて私の提案しましたもう一つの論点、すなわち、「敗戦国悪玉論」について、さらには「アングロサクソンにおける戦争と善悪の関係」、「アングロサクソンは敗戦をいかに乗り越えるのか」、についても、引き続き太田さんと皆さんのご意見をお聞かせください。
<太田>
 「皆さん」どうぞ。
<ドイツゲーマー>
≫<私は>少なくとも証拠はあげています・・・・それに対する左翼の法学者様のご「指摘」の「あった」証拠を答えてくださいと私が申し上げているのに・・・逆に私に「なかった」証拠を答えろってか(笑)!?≪(コラム#3073。Nelson)
「(問題となる一連の意思決定は天皇の意思と関係)あった」証拠を反天皇擁護派は示せ!と息まいてらっしゃいますが,そんなことにこだわっている場合ですか?仮に(私はそうは思いませんが)反天皇擁護派が「あった」証拠を示せなかったとしても,天皇擁護派提出の立論に関し「どちらの側も決定的な証拠が出せない」という状態になるだけです.つまり,あなたの側の証拠が不十分である限り,あなたの立論は通らないのですよ.これは天皇擁護派にとって決定的に不利な状況です.立場の非対称性にちゃんとお気づきなのか心配になってきます…反天皇擁護派は,あなたのそもそもの立論の論理的不備を指摘しているのですから,早く手当てしないと,不戦敗決定です.別の立論で勝負するか,それがいやなら「なかった」証拠を探すしかないでしょう.
≫「五十歩百歩」とおっしゃいますが、私は少なからず微々たる証拠・事実を不足をしていますが挙げており、逆走かもしれないけれど、百歩譲って、1歩以上は進んでいます。それに対し、左翼の法学者様の私の説へのご「指摘」は、「積極的根拠」はありませんので、50歩はおろか1歩も進んでおらず、「スタート地点で準備運動している状態」だということをお忘れなく。≪(同上)
自身の提出された証拠が不十分だという認識はおありのようで,まともな感性をもっていらっしゃることがわかり,ほっとしてしています.実際,お示しのウィキペディアの記述は証拠として不十分です.誰が書いたのか不明な上に,該当部分は書き手の主観だけによっています.唯一「御前会議」の項で天皇の発言が紹介されていましたが,これとて片言だけの引用でしかありません.前後の文脈等を明確にしなければ十分な証拠とはなりえないでしょう.そんなレベルの証拠でよければ,反天皇擁護派の側からもいくらでも出せると思いますよ.
「しかし、一部記録には戦争の勝利に対する昭和天皇の強い執着を垣間見せる部分もあるという。
1941年12月、日本軍の真珠湾攻撃の後、昭和天皇は「平和克復後は南洋を見たし、日本の領土となる処(ところ)なれば支障なからむ」と述べたと記されている。
これは当時、昭和天皇が太平洋戦争の勝利を確信していたことを示唆する発言だ。
また、42年12月には「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」と述べた、と朝日新聞は報じた。」
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1211038927?fr=rcmd_chie_detail
 以下のサイトも参考になるのでは?
http://fujihara.cocolog-nifty.com/tanka/2009/01/post-8f02.html
 他に,いまたまたま手元にある「日米開戦の謎(鳥居民)」からも抜粋してみせましょうか?
なお,昭和天皇の形式的責任論については,多忙につき二月末くらいになります.太田さんは国体明徴声明に言及されていましたが,残念ながらはずれです.どうぞお楽しみに.
<太田>
 ドイツゲーマー流形式的責任論が提示されるまでのつなぎとして、実質的責任論の補足をしておきましょう。
 戦後に関しても、
 「<昭和>天皇<は>冷戦下で一貫して日米安保条約や米軍の日本駐留を極めて重視していた・・・。・・・
 ・・・岩波新書の「安保条約の成立」で述べられている「仮説」。戦後の日米同盟関係のレールを敷いたのは、他ならぬ「象徴天皇制」下の天皇ヒロヒトであったという「仮説」は、ますます信憑性を持ち始めています・・・。
 「安保条約の成立」では、もともとはアジア非武装地帯論者だった吉田茂が、天皇にあったあとに日本側から米軍の駐留を要請する「池田ミッション」を持たせて、池田外相をアメリカに送った経緯が、推測も含めて述べられていました。・・・」
http://www.gameou.com/~rendaico/daitoasenso/tennomondai_sengonosyowatennoco.htm
と天皇が政治の根幹的部分を動かしていたのではないかとの指摘があります。
 しかし、上記記述の中にも、「実際に天皇が外交に与えた影響や、天皇の考えや行動の時代による変化などを詳しく検証するには、日米両政府、とくに日本側のさらなる史料公開が必要だ」というくだりがあることもさることながら、戦後の昭和天皇は、日本が主権を回復するまでは、日本の首相同様、政治上の実権などなく、また、主権回復後は、現行憲法の下、形式的国事行為しかできない立場だった・・要するに戦後において一貫して形式的責任がなかった・・のですから、戦後の政治おいて、昭和天皇が(オブザーバーたる一有識者として)実質的に政治に影響を及ぼしたか否かにかかわらず、同天皇に責任を問うわけにはいかない、と考えるべきでしょう。
<SM>
≫縄文モードの江戸時代が幕末から弥生モードに転換し、日本はアングロサクソン化して行き、その頂点が大正期であったと仮定したらどうかということです。・・・そして、昭和期に入ると、日本は内発的に縄文モードに転換し始め、・・・≪(コラム#3077。太田)
大正期は弥生モードの絶頂なのですね。
大正期はすでに縄文モードのように思っていました。
中性化の議論と同じように、大正期が弥生モードであること、また、昭和に入ってから縄文モードに内発的に転換し始めたことを示すような統計データなどがあるとよいですね。
≫「・・・私は最近、日本型経済体制の淵源は江戸時代に求められる、と考えるに至っています。(続く)」となっていますが、<続きのコラム>がありません。続きが非常に気になります。(SM)
 直接「続き」は書かなかったけれど、その後江戸時代論を何度もコラムでとり
あげているところです。(太田)≪(コラム#3077)
調べが足りず、すいません。もう一度過去のコラムをよくみてみます。
≫一言で言えば、「日本の顔をしたアングロサクソン的社会」とは、広く世界に開かれたところの、人間(ジンカン)主義や自然との共生的価値観を体現した社会、でしょうね。 広く世界に開かれているためには、軍事力の保持、人的開国、ルールの明示、経験科学的思考法の確立等、選択的なアングロサクソン化(の徹底)が必要条件であるということです。 なお私が、縄文モードを基底とする日本文明は、もともとアングロサクソン文
明と世界で最も親和性のある文明であると考えていることはご存じの通りです。≪(コラム#3077。太田)
 軍事力の保持、人的開国、ルールの明示、経験科学的思考法、(+軍事に強いこと)が、アングロサクソン文明と日本の差ということですね。
特に、人的開国は、さまざまな雑多な人とのコミュニケーション能力を必要とするので、ルールの明示や経験的科学的思考法の確立にもつながり、さらには世界中の優秀な人材を登用することができるようになるので、科学力、技術力、情報収集能力等の飛躍的向上を通じて、軍事にもおのずと強くなるのではないでしょうか?
したがって、まずは軍事力の保持を通じ日本の国家ガバナンスを取り戻したうえで (ここまでは単なる戦前への現状復帰)、すかさず大胆な人的開国を行えるかどうかが、運命の分かれ道な気がします。
逆に人的開国をしない段階で、ルールの明示以下、アングロサクソン化のための他の必要条件を実現するのは、かなり難しい気がします。
(人間主義である日本社会は、内部の人間関係を重視するあまり、たえまない外的刺激がない限り、社会変革をすることは難しい。)
弥生モードの絶頂だった大正期だって、民主主義システムの拡充をはじめ、アングロサクソン化しようと頑張ったけれど、肝心の人的開国が不十分だったため、結局は縄文モードへ回帰してしまったという仮説が成り立ちませんか?
以上のようなことは、
ひょっとして、コラムや送っていただくご著書にすでに書いてあるかもしれませんね。
なんだか私の頭の整理に付き合っていただいてばかりで、申し訳ありません。
<太田>
>弥生モードの絶頂だった大正期だって、民主主義システムの拡充をはじめ、アングロサクソン化しようと頑張ったけれど、肝心の人的開国が不十分だったため、結局は縄文モードへ回帰してしまったという仮説が成り立ちませんか?
 成金の出現や2大政党間の醜い足の引っ張り合いに一般国民が嫌気がさした、という話が教科書に出てきませんでした?
 ご指摘については、お雇い外人をお払い箱にしたということはあったけれど、他方で、台湾や朝鮮半島から異質な人々が内地に流入してきたわけで、現在よりは当時の方が人的開国度は高かったとも言えそうであり、むつかしいところですね。
 ところで、立教大学のアンドリュー・デウィット(Andrew DeWit)教授の以下のようなコラムがアジアタイムスに載っていました。
 ・・・many of the newly anti-market crowd are trumpeting “Edo” (old Tokyo) society and even the Jomon Era (14,000-400 BC) as models for the present, lauding their closeness to nature, stability, and community values. One Jomon booster is a former free-market cheerleader who got his economics PhD from Harvard and has been big in government deliberation councils.
Japan’s public debate still hasn’t cut through the nonsense of idealizing the “free market” or the “unique Japanese” and come to focus on what the public sector of this advanced, industrialized country needs to be doing in the midst of the worst economic crisis since the 1930s.
http://www.atimes.com/atimes/Japan/KB06Dh02.html
 どうやら縄文モードを推奨する人が(私以外にも)日本に出現しているらしいですね。
 このあたりのこと、ご存じの方はご教示ください。
<遠江人>
Anglo-Saxons – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxons
Anglo-Saxon Chronicle – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Anglo-Saxon_Chronicle
 英語のWikipediaのアングロサクソンの項を見る限り、バスクとベルガエについての言及は無いようですね。
Basque people – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Basque_people
Belgae – Wikipedia, the free encyclopedia
http://en.wikipedia.org/wiki/Belgae
 ただしバスクの項にはアングロサクソンへの言及がありました。ベルガエのほうには無いようです。
 日本語Wikipediaの「改善」についてはちょっと考えてみたいと思います。
<太田>
 英米の項目については、日本語ウィキペディアは、英語ウィキペディアの要約翻訳版的なものばかりなので、そんなことだろうと思っていました。
 改めて、インターネットで調べてみたのですが、アングロサクソン・バスク人論の学術的根拠を簡明に記述した
http://jgg-online.blogspot.com/2005/03/anglo-saxon-norman-viking-or-celt.html
や、一般向けに説明した
http://www.prospect-magazine.co.uk/article_details.php?id=7817
など、十分説得力があります。
 なお、イギリス人は、自らのことを余り語りたがらない、という私の指摘が、本件についての英語ウィキペディアの記述にもあてはまりそうですね。
 そこのところを代弁してあげるのは、日本人の役割だと私は思います。
<雅(商人です)>
 –かんぽの宿の報道のヨミカタ–
日経 かんぽの宿、全70施設の簿価判明 最高15億円・最低500万円
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090206AT3S0501V05022009.html
毎日 かんぽの宿:譲渡問題 最高額、ラフレさいたまの15億円
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090206ddm002020074000c.html
というニュースが飛び交っていますが、注目すべきは「簿価」と書いてあることです。
 簿価というのは、会社の((帳簿上))の価格であり、私自身会計実務者としては大幅な操作は容易に可能です。
 本来マスコミは、宿泊費(主な収益)は適正であるか、簿価とは何か、簿価は操作可能なこと、近隣の不動産の価格、それぐらいは、最低記述して欲しいですが…。
 不動産への投資というのは、本来は、不動産鑑定士、近隣不動産の評価ばかりに頼るのでなく、その物件が毎月毎年いくらの収益を生み出しその物件の対応年数が何年か、だからいくら投資しようと判定するのが現実的な考えだと思います。
 これはあからさまな、マスコミの偏向報道でしょうね、、、、
 まだこっちの報道の方が具体的で、解りやすいというのが何よりの論証かもしれません、、、
 日刊スポーツですけど、、、
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20090205-457718.html
 結局ここに行き着くのですが、ひとまず政界の大掃除(自民党を落とし)をする他ないでしょうね。
<太田>
 日刊スポーツの記事を引用された趣旨がイマイチよく分かりません。
 かんぽの宿一括売却問題でのマスコミ報道に偏向がある、というご指摘をもう少し詳しくご説明いただけないでしょうか。
<moshika>
 唐突ですが、質問させてください。
 私は、太田さんが常々仰っている「日本の成文憲法に規範性は無い」という意見に、目から鱗が落ちる思いでありました。
 そこで、「その洞察に示唆を与えた人物や書籍などはあるのか?それとも独自の発想か?」と言うのが私の質問です。
 よろしければ、ご教示ください。
<太田>
 独自の発想というか、当たり前の発想です。
 明治憲法も現行憲法も一度も改正されていないけれど、どちらも憲法の変遷(公定解釈の変化)があった。
 他方、憲法を持つ先進国で、第二次世界大戦後だけをとっても、一度も憲法が改正されていないのは日本くらい(典拠省略)です。
 これらの事実から出てくる結論はただ一つ。日本では憲法に規範性がない、ということです。
 では記事の紹介です。
 「・・・1審判決は、個人がネット上に掲載した情報について、「信頼性は低いと受け止められており、被害者の反論も容易」として、
(1)わざとウソの情報を発信した
(2)個人でもできる調査も行わずにウソの情報を発信した
場合にのみ名誉棄損が成立するという新たな基準を提示。・・・被告が書き込んだ内容について、「事実ではないが、ネットの個人利用者に要求される程度の調査は行っている」と述べ、名誉棄損には当たらないと認定して無罪の判決を出した。
 これに対し、控訴審判決は、「ネット上のすべての情報を知ることはできず、書かれた側が反論できるとは限らない。見る側も、個人の発信する情報が一律に信用性が低いという前提で閲覧するわけではない」と指摘。個人のネット利用者に限って名誉棄損罪が成立するハードルを高くすることは認められないとして逆転有罪とした。・・・」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090203/184791/
(2月5日アクセス)
 私が経験した名誉毀損訴訟に鑑み、第1審判決を評価していましたが、残念な控訴審判決でしたね。
 人民網に、日本の血液型ブームを揶揄されました。
http://j.peopledaily.com.cn/94475/6586646.html
(2月6日アクセス。以下同じ。)
 朝鮮日報にも血液型本が日本でブームだと紹介されていますが、『女性の品格』(コラム#2455)が300万部以上売れた話も合わせて出てきます。
http://www.chosunonline.com/article/20090202000037
 日本は、何ちゅうくだらない本ばかりが売れる社会なんだろう。
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太田述正コラム#3080(2009.2.6)
<日進月歩の人間科学(続x3)>
→非公開