太田述正コラム#3087(2009.2.10)
<皆さんとディスカッション(続x394)>
<FUKO>
 (コラム#3085の太田氏のレスに対して、)なるほど。おっしゃることは分かります。
 つまり、Nelsonさんとmichisuzuさんのおしゃべりにマジになって議論を持ち込んじゃあいけないよ、ということですね。
 ですが、「天皇無責任論者」の話はおそらくお二人の間の誤解から生じているのでしょうから、そこはつっこみを入れたいところです。
<太田>
 お二人の「会話」は、以下のような背景の下で「理解」すべきでしょう。
 「・・・かつては書き言葉と話し言葉が截然と分かれていた。それを統一し、書き言葉を話し言葉に近づけたのが明治期の言文一致体だったとすれば、平成のデジタル日本語は、「言」のみならならず、当該個人の「感情」と文を一致させた、「“感”文一致体」、あるいは「“情”文一致体」とでも名づけられるのではないか。・・・」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090209/185417/
 (このような文体を用いる人々の性別についての言及は上記典拠には出てきませんが、若い女性に多いのではないかと想像されます。)
 「無責任」の意味をつめようとした瞬間に、「感文一致体」ないし「情文一致体」的であるところの「会話」は成り立たなくなるのです。
<FUKO>
 話は広がりますが、「円天」のL&G
http://ja.wikipedia.org/wiki/L&G
のようなマルチ・詐欺まがいの怪しい商売は、まさに「会話(conversation)」で広がっているのでしょうね。そこでは典拠や合理性は必要ありません。
 世の中の対話がみな「議論」になったら堅苦しくてかないませんが、「会話」ばかりでも弊害が出てしまうようですね。
 となると、女性が悪徳商法にひっかかりやすいのは構造的女性差別によるものであり、女性はその被害者ということになるのでしょうか…?下のURLは男女比です。
http://www.amway.co.jp/business/index.cfm
http://www.pressnet.tv/release/5154
<太田>
 そうじゃないでしょうかね。
 「・・・オレオレ詐欺と還付金等詐欺では約7割が女性であるのに対し、架空請求詐欺と融資保証金詐欺では男女半々の割合となっている。・・・」
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/keizaijikken/nou3-1.pdf
<SF>
 太田さん、コラム#3085におけるご返答、ありがとうございました。
 なるほど、自らと周辺の関与なきことを・・・って、それって今までと特に変わったところがないですね。
 残念、<ムシャラフの>ただのリップサービスでしたか。
 穿ちすぎかもしれませんが、カーンさんが解放されたのは、ムシャラフさんが旧公邸にこもって安全を確保していることと比べると、却って安全ではなくなったりするのでしょうか。
≫米国の大衆が、米国が何百万人もの「土人」の死をもたらしつつも、民主的体制変革を米国が成し遂げた例として、イラクと並んで日本を引き合いに出し続ける、という悪夢が正夢にならないことを祈っています。 確かに、イラクはさておき既に引き合いに出されている私たちは、今悪夢の中を生きているのでしょうね。≪(コラム#3077。太田)
 先日来の天皇の議論を読み返しても、まず私たち自身が歴史と世界に対する認識をただす必要があると痛切に感じているところです。
 私たちは敗戦後、ふてくされて引きこもっているうちに、双方とも常識からずいぶんかけ離れてしまったようです・・・
<雲豊>
 軍隊が国民の生命や財産を護るためにあるのでは無いという話で思い出したのが、チャーチルがイギリスの暗号解読能力をドイツに知られるのを怖れ、そのため町を犠牲にしたという話です。
http://inochi.jpn.org/hitoiki/H05.htm
 最終目的(国家の勝利)のためには、非情な決断も厭わないということでしょう。
「満州事変から日中戦争へ 加藤陽子・著」の冒頭
 一九四五(昭和二十)年八月、それまでの見なれた地面から、人間や建物をきれいに消しさった空襲や原爆の体験を人々に残し、日本の戦争は終わった。牧野伸顕の孫、吉田茂の子息にして英仏の文学に深く通じていた文学者・吉田健一は、ヨーロッパの人間と日本人の戦争観を比較して、かつて、こう述べたことがある(『ヨオロッパの人間』)。
 戦争とは、近親者と別れて戦場に赴くとか、原子爆弾で人間が一時にあるいは漸次に死ぬとかいうことではない。「それは宣戦布告が行われればいつ敵が自分の門前に現れるか解らず、又そのことを当然のこととして覚悟しなければならないということであり、同じく当然のこととして自分の国とその文明が亡びることもその覚悟のうちに含まれることになる」。
 冷戦後世界は平和になり、
http://blog.ohtan.net/archives/50954919.html
「人命は地球よりも重い」と教わってきた私には、この様な話は最初戸惑いを感じます。 やはり戦前とでは徴兵制による意識の違いが大きいでしょうね。
 戦前の議論として軍備費を削減しても、戦争に敗れ賠償を払わされれば高くつくのだから軍備は必要とする意見に対して、資本家の利益のために起こる戦争に反対していた幸徳秋水は『二十世紀の怪物 帝国主義』の中で「普仏戦争以後にドイツはフランスに勝って賠償金を得たけれど、ドイツは不況に陥っていて、敗北したフランスは繁栄しているではないか」「軍備が国家にもたらす利益と徴兵が青年層にもたらす肯定面(綱紀がゆるまない)など巧みに説かれているが、アメリカ独立戦争やフランス革命など、市民革命の歴史を振り返り、軍隊がいかに革命思想の影響を受けやすいか、綱紀の維持など関係なく、むしろ害を及ぼす場所ではないか」と軍国主義を批判します。しかし彼は義和団事件の際「天皇のためでなければこのような苦痛には耐えられなかった」と泣く兵士に対しては同情を示し温かい眼差しを向けていたようで、「人道のため、同胞国民のために耐える」とは言わなかった兵士が遅れた考えの持ち主だと批判することはありませんでした。
(典拠 「戦争の日本近現代史」 加藤陽子・著)
 日本軍が日清・日露戦争で強かったのは、背景に国民の支持(戦争への参加)があったからなのですが、よく言われるように日露戦争以後、民間の理想と政府の現実に乖離が生じ、挙国一致に乱れが出てきたようです。戦前も戦後もマスコミが総動員体制の中で大きな役割を果たしたのは確かでしょうね。
 去年の末に米国の先制攻撃を題材にした「ザ・スクープ」
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/Frameset/main.html
と東條英機が昭和天皇の期待に応えようと開戦回避に努めた姿を描いた「あの戦争は何だったのか」
http://www.tbs.co.jp/anosensou2008/
が放送されたのを見て、太平洋戦争に関して日本の軍部が最初から最後まで全て悪かったという意識はもう変わっているのではないかと感じました。
<kujo>
>最終目的(国家の勝利)のためには、非情な決断も厭わないということでしょう。
 なるほど。
 チャーチルのエピソードについてはトンデモみたいです。
http://www1.accsnet.ne.jp/~hosinots/T&F.html
 「いつ敵が自分の門前に現れるか解らず」は戦争だから仕方ないとしても、味方の戦車に轢き殺されたのでは浮かばれません。
 弾は前からばかりじゃないぞ、という言葉がとても効果的だった、と祖父から聞いたことがあります。
 古参兵も味方に撃たれるのは、よほど恐かったのでしょう。
 いずれにしても愚かな話です。
<ベラドンナ>
 何のために守るか?
 そのやさしい話し方、人格、人柄を生み出した根源を維持するために、いろいろな悪意から守るために、今自分がどこにいて何者なのかを確認するために、守るんですよ。
 なにもかも、一人の身の内から全てが生まれたんではないんですよ。
<ψψψ>(http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1196337365/l50x
ディスカッションに濃い人が来てるな、学問のすすめのこの一文を思い出したよ。
独立の気力なき者は必ず人に依頼す。人に依頼する者は、必ず人を恐る。
人を恐るる者は、必ず人にへつらふものなり。
常に人を恐れ人にへつらふ者は、次第にこれに慣れ、その面の皮鉄のごとくなりて
恥づべきを恥ぢず、論ずるべきを論ぜず、人をさへ見れば、ただ腰を屈するのみ。
いはゆる習ひ性となるとはこの事にて、慣れたることは容易に改め難きものなり。
(学問のすすめ第三編“日本人民の卑屈”)
ネット上でWGIP世代とかGHQ世代と言われ揶揄されてる人達だな。
婆ちゃんが鉄の暴風雨を生き抜いて戦後内地に来た人、悲惨な話はたくさん聞けたが、平成世代の俺には辛かっただろうねぐらいの感慨しか無いわ。
むしろ今現在、領海侵犯されたり、ガス田吸われても遺憾の意しか出来ないこんな政府に屈辱を味合わされてる訳なんだが、どうすればいいんだろうね本当。
たぶんどこまで行っても平行線ですね、せいぜい彼らが長生きする事を祈りますよ。
それにしても読み返してみたら福沢諭吉は未来予測の如き論じ方してるな。
国の文明は形をもって評すべからず。学校といひ、工業といひ、陸軍といひ、海軍といふもみなこれ文明の形のみ。この形を作るは難きにあらず。
ただ銭をもって買ふべしといへども、ここにまた無形の一物あり。
この物たるや、目見るべからず、耳聞くべからず、“売買すべからず、貸借すべからず。”
あまねく国人の間に位して、その作用はなはだ強く、この物あらざれば、かの学校以下の諸件も実の用をなさず。
真にこれを文明の精神といふべき至大至重のものなり。けだしその物とは何ぞや。
いはく、人民独立の気力、すなわちこれなり。
学問のすすめ第五編“文明の根本は人民独立の気力なり。”
独立の気力がない依頼心が強い、他人任せなそんな利己的な人達に何が出来るんだよな。
<太田>
 軍事力保持の必要性は、このように自立論(ガバナンス論)で説明するか、丸裸だったら第三国が日本国内の第五列に武器を密輸するだけで日本が乗っ取られてしまうだろうとか、国際軍事力がなければ世界が千々に乱れる、といった説明を行うのが定番でしょうね。
 なお、自立論については、何度も持ち出して恐縮ですが、私の立候補時の「主張」
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1196337365/l50x
を参照して下さい。そこで私も福沢諭吉に言及してますよ。
 この関連で、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090209/185533/
が面白いですよ。
 地方の自立や女性の自立、ひいては少子化の解消に成功した村の話です。
<遠江人>
 名誉会員にしていただけるということで、ありがとうございます。評価していただけたことを大変うれしく思っています。
 しかしながら、たいしてコラムを書いているわけでもないのに名誉会員にしていただくことは気が引けるといいますか、そのことを負い目に感じて気軽にコメントの書き込みができなくなってしまうかもしれませんので、次の条件を満たした場合に名誉会員とするということにしていただけないでしょうか。それは、今期(6月まで)のうちに掲載水準を満たしたコラムを2編上奏できれば、という条件です。
 せっかくのご好意ですが、けじめと言いますか、自分が納得した形にしたいと思っていますので、大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。
<太田>
 私のアングロサクソン論を簡易にまとめていただいたり、私に代わって読者とのディスカッションに応じたりしていただくだけで十分名誉会員の「条件」をクリアされていると思いますが、そうおっしゃるのなら、了解しました。
 さて、記事の紹介です。
 200年間にわたって奴隷狩りが行われた西アフリカで、人々の相互の信頼感がなくなってしまい、それが地域の政治的経済的発展を阻害しているという研究成果が出ました。
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-rodriguez9-2009feb09,0,4702825,print.column
 任天堂の成功を称える記事を朝鮮日報が掲げました。
http://www.chosunonline.com/article/20090209000032
http://www.chosunonline.com/article/20090209000033
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太田述正コラム#3088(2009.2.10)
<在イラク米軍の歴史的大回心(その1)>
→非公開