太田述正コラム#3162(2009.3.19)
<MBAが世界不況をもたらした?(その2)>(2009.4.27公開)
 (2)ニューリパブリック誌(The New Republic)
 「・・・「ある意味で、<ビジネススクールの>財務(finance)の教授達が今回の<金融危機という>問題の原因をつくったのだ。これは確かに自慢すべき話ではない」とインディアナ大学の・・・ビジネススクールの財務学科長は語った。
 担保付き証券を分割(divvy up)して売る無数の方法から信用・債務不履行・スワップ(credit default swap<。貸付債権の信用リスクを保証してもらうオプション取引で、従来の銀行保証をデリバティブに作り変えたもの。貸付債権に債務不履行が起こった場合、その損害額を補填してもらう。>
http://www.findai.com/kouza/creditderiva.html#2%EF%BC%8E
)の爆発的増加に至るまで、今回の危機において最も大きな役割を果たした財務手法の多くについて、仮に、例えば住宅価格に穴が開いたり、大手たる契約相手方達が破産した場合に、どんなに困ったことになるかについて、しばしば十分な配意をすることなく、ビジネススクールで教えたり開発したりしてきた、と彼は指摘する。・・・
 ・・・<ビジネススクールは、>自由市場に対するナイーブな信仰に基づき、学生達にもっぱら短期的利潤を目指せと教えるとともに、途方もない経営幹部報償制度を正当化した・・・。・・・
 最初のマネージメントの学校が米国で創設された頃・・ウォートンが1881年、ハーバード・ビジネススクールが1908年・・は、これらの学校の金持ちたる創設者達は、多かれ少なかれ、<大企業の>社会的正当性について心配をしていた。
 というのは、当時、大企業が出現し始めていたのだが、無数の血生臭い労働紛争が起きたこともあって、大衆はこれらの巨大な存在に懸念を抱いていたからだ。
 防衛的措置としての意味合いもあって、諸ビジネススクールは、企業は公共の利益に沿った形でマネジメントすることができることを示そうと試みた。
 1930年代には、ハーバードの教授陣は規制の正当な役割を強調する科目を教えるとともに、不況時に労働者達が直面する心理的負担といった問題について研究を行ったものだ。
 このような心情は戦後まで持ち越され、<その頃までは、>ビジネス界のエリート達は、少なくともタテマエとしては、市民社会の諸グループや労働組合や政府と協働して仕事をするところの、経験豊富な政治家たるべく訓練されたものだ。
 「それは愛国的熱情にかられたものだった。・・それを支えた考え方は、米国で過激主義を回避しようと思ったら、よく訓練された、その権力を恣意的にふるうことがなく、建設的に用いるところの、啓蒙された経営者達が必要である、というものだった」とハーバード・ビジネススクール教授でビジネススクールの歴史についての著書・・・があるラケシュ・クラーナは説明する。
 しかし、このような心情は、1970年代に経済が苦境(malaise)に陥るとよろめき始めた。
 不満を抱いた投資家達は、彼らの諸帝国のマネジメントに適切性を欠いたため、株主達に損をさせたとして職務に専念していない(unfocused)経営者達を非難した。
 若い世代の学者達の一部は、敵対的買収や企業の贅肉を削ぎ落とし、節約をさせるために規制緩和をすべきだと主張し始めた。そして、彼らは経営者達は株価だけに関心を集中させるべきであるとするミルトン・フリードマンの考えを推奨した。
 要するに、効率的市場仮説によれば、短期的な株価は当該企業の健康状態についての最も良い指標なのだということになったわけだ。
 また、経営者達は、本来的に信頼できない存在なのであって、彼らの利害を<投資家達の利害と>整合性のとれたものにするためには、ストック・オプションといった適切なインセンティブを与えなければならないということにもなった。
 (乗っ取り屋(corporate raider)のT・ブーン・ピケンズは、1985年に、株主達の利害に「沿って仕事をしない」経営者達が多すぎることに不満を述べたものだ。)・・・
 2001年のアスペン研究所による、MBA達を2年間にわたって追跡した調査は、「優先順位の変更」が見られることを発見した。すなわち、学生達は、彼らの雇用者達や地域社会に対する責任はもちろん、顧客に対する責任までも蔑ろにし始めた。株主達が王様になったのだ。・・・
 ・・・<そもそも、>ほとんどのMBAコースは、企業の世界と親しい紐帯を維持する必要があった。
 というのは、教授達は色んな会社のコンサルタント業務をしばしば行うし、また、ケースメソッドに用いるケースを作成するために、これらの会社と緊密な関係を維持しなければならず、ビジネススクールとしても、大企業に社員を学生として経営幹部教育コースに派遣してもらわなければならなかったからだ。
 これらのすべてが、ビジネス社会とうまくやって行き、余り批判的にならない、という傾向をもたらした。・・・
 <カナダの>モントリオールのマクギル大学のマネージメント研究を行っている教授のヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)・・・は、マネージメントは学校で教えることはできず、それができるというのは、危険なとさえ言える傲慢さであるとする。
 「ハーバードで教えるケース・メソッドを見たまえ」と彼は言う。「学生達は彼らが何も知らない会社のケースを読んで、教室にやってきて、これらの会社がどうすべきかをしゃべるわけだ。学生達は大した知識も持っていないことについて、適当なことをしゃべりまくっているだけなのだ」と。
 ミンツバーグは、MBA達がウォール・ストリートを肩で風を切って徘徊<し無茶苦茶を>したことに全くショックなど受けていない。
 「どうしたらいいかって? ビジネススクールを全部廃止すればよろしい。終わり。」・・・」
http://www.tnr.com/story_print.html?id=c4e9e361-fcdd-4098-afe5-400051102592
(3月18日アクセス)
3 終わりに
 ケース・メソッドの問題点、特にハーバードのように、ケース・メソッドだけによるビジネス教育の問題点については、以前から指摘されていたところです(コラム#507、509)。
 今回の金融危機で、新たにビジネススクールにおける科学的(数理的)教育の問題点、とりわけ財務(finance)における数理的教育の問題点が新たに指摘されるに至ったというわけです。
 この問題点が今回の金融危機の伏線となった面があることは確かではないでしょうか。
 私の見解を問われれば、ケース・メソッドは(もともとシカゴ大学のビジネススクールがそうであったように)全廃してよいし、むしろ全廃すべきだと思います。
 また、専門職教育をするビジネススクールそのものも、全廃すべきだと思います。
 なぜなら、そもそも経営者は、医者や弁護士のような専門職ではないからです。
 もちろん、専門職教育ではなく、専門的教育と研究の場である経営学の大学院は必要です。
 今だに日本にはビジネススクールが無きに等しい状況ですが、これは幸いであった、と言うべきでしょう。
(完)