太田述正コラム#14981(2025.6.3)
<皆さんとディスカッション(続x6274)/映画評論245:武則天(その42)>
<3P.Brm86>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
太田さんは、情報源としてネット記事以外に、書籍を購入してますか?
⇒呆れてガックリくるわ。太田コラムの「『・・・』を読む」シリーズが目に入らぬか、と、水戸黄門の助さん格さんばりにイキリたくなっちまう。
(もちろん、貰った本や借りた本が、この種シリーズの対象本である場合もあるが・・。)(太田)
<太田>
安倍問題/防衛費増。↓
ウクライナ問題/ガザ戦争。↓
<「偉業」の解説。↓>
How Ukraine carried out daring ‘Spider Web’ attack on Russian bombers・・・
https://www.bbc.com/news/articles/cq69qnvj6nlo
<ウクライナにはあんましいいニュースじゃないね。↓>
「ポーランド大統領選、保守派の野党候補カロル・ナブロツキ氏が勝利・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f96b66494d3b9694e169fcaa7a008cd104872c81
妄想瘋癲老人米国。↓
それでは、その他の国内記事の紹介です。↓
カイロでイギリス系小学校に通ったものだから、米国のものは何でもバカにし関心が薄く、従って、スポーツで言えば、野球もアメフトも敬遠気味の私だが、防衛庁当時、局長が長嶋氏を呼んだことがあり、その時撮った集合写真を同氏と私を中心に切り取り拡大したものが額に入れて私のピアノ部屋に飾ってある。
ご冥福を祈る。↓
「長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた「ミスタープロ野球」・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/5dc25bd3e7cc54f633e359410e1457f7eb21c467
ムフ。↓
「・・・工藤平助・・・が記した『赤蝦夷風説考』はロシアの南下を警告する書物ではありますが、平助は日本とロシアが事を構えることを望んでいた訳ではありません。ロシアは大国であり、仮に戦争となったとしたら日本が勝利できる見込みはない。よってロシア人を追っ払うのではなく、ロシアと交易をすることの重要性を説いたのでした。貿易の利益によって蝦夷地の開発を進めていくことを提言したのです。同書は老中・田沼意次に献上されることになりますが、その執筆のきっかけとなったのが、平助と田沼家の公用人との会話でした(平助の娘・只野真葛の回想記『むかしばなし』)。この公用人は「我が主人(意次)は富にも禄にも官位にも不足はない。この上の願いとしては田沼老中の時の仕置きとして長き世に人の為になることをしたいのだ。何をしたら良いか」と平助に問います。すると平助は「それは良きお心がけ。国を広くする工夫が良いかと思われます」と回答。蝦夷地を拓いて貢物をとる工面をすること、それが日本を広くすることだと平助は主張するのでした。そうすれば人々は、それを田沼様の功績として高く評価するだろうとも言うのです。 公用人は感心して、平助に主張を「一書」にするよう依頼。意次に献上された『赤蝦夷風説考』は『むかしばなし』によると「随分うけもよく」、平助を蝦夷地奉行にとの声もあったようです。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/acbb488faf269da22d51b58a285e9611aad1b78f
日・文カルト問題。↓
<健闘を祈る。↓>
「韓国ご当地グルメを1人前から提供 日本人観光客向けキャンペーン・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250602001000882?section=japan-relationship/index
<日韓交流人士モノ。↓>
「[韓流]BTSのJ-HOPE 大阪公演で8万人動員・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250602000900882?section=entertainment-sports/index
「東京エレクトロン 韓国・漢陽大に研究センター=新技術開発で協力・・・」
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20250602001100882?section=japan-relationship/index
ムフムフ。↓
「・・・ケインズの考え方によると、人間の仕事は序列的に分かれており、クリエイティブな仕事、つまり芸術家が最上位に位置します。次に科学者、たとえばニュートンのような人物がいます。芸術家は直感を通じて善に至るとされます。道徳的な善、つまり良い行いをすることに至るというのです。しかし、自然法則を発見する科学者は、必ずしも良き行いに結びつくわけではありません。・・・
マルクスの時代には経済が下部構造であり、政治や文化を決定していた。ケインズはそれを意識しながら、100年後に経済がこの土台から外れると考え、「心臓外科医ではなく、歯医者のような存在になる」と予言した・・・。歯医者は町の一部として人々の健康を維持し、経済学も人間の生死を左右するような学問であってはならないと、1930年の論文で述べています。・・・100年後にはみんなゼロ金利になるだろう<と>・・・ケインズは予言してい<ます。>・・・1週15時間労働で必要なものが全部供給できるようになると<も>言ってます。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a33de57926d81f1dff3675306e917ae9047286c
全て始皇帝が悪いのよ。
(次のオフ会「講演」で説明する。)↓
「・・・漢武帝においては、晩年の立太子をめぐっての冤罪事件と、後継者の力量不足がもたらす政治の混乱、李世民にあっても、嫡長子を太子に立てたものの、後継の重圧が彼の精神を壊して太子の廃位を招き、最終的に後を継いだ三男(高宗)の気弱な性格が唐王朝の転覆(武則天による武周革命)の原因をつくった・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/3cba4f767d0cdc94bfaefe9690a2a89fec97ce16
「・・・『悪党たちの中華帝国』)では、「中華帝国」の「悪党」<が>王朝ごとに2人、全部で12人取り上げられ<いるが、>その中で、一番の悪党だと思う人物は・・・やはり唐の太宗ではないでしょうか。・・・私はワルは好きですが、偽善者は嫌いです。その意味では、太宗ほどの存在はいないと思うのです。・・・
太宗は自分の名君ぶりをアピールするために、ことさらに煬帝の暴君ぶりをあげつらっているからです。・・・
そのあたりは東洋史の大家だった内藤湖南もいち早く指摘をしているので、さすがだなと思います。・・・
<なお、中共では、>歴史を利用しようとする政治の姿勢が変わっていませんから、いわゆる学問の自由はほとんどないと言っていい。政権が認める範囲のことしか書けません。・・・」
https://www.bookbang.jp/review/article/741627?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&ui_medium=http&ui_source=yahoo&ui_campaign=link_back
<私が見る、順治帝が殺されなかった理由が下掲引用中に出てくる。このことを頭に入れておいて欲しい。↓>
「「誰のおかげで即位できた?」叔父からの圧力に耐えた<「清」の>少年皇帝<順治帝>・・・
当時の女真政権では、中国王朝で長年にわたり継承されてきた皇太子制度はまだ取り入れられていなかった。王朝名や民族名の変更など斬新な政策を遂行したホンタイジであったが、主導者の後継指名は有力部族長の合議によるという、伝統的な慣習を変えることができないままにこの世を去った。さすがのホンタイジも、部族社会を支えてきた有力部族長の権限を奪うことには躊躇せざるをえなかったのである。結果、ホンタイジの後継者を決める際の、有力部族長と皇族による合議は混迷を極めた。すでに長老の立場になっていた兄のタイシェンがホンタイジの第1子の豪格(ごうかく)を推すと、八旗のうちの六旗がこれを支持し、すんなり結着がつくかにみえた。だが、弟のドルゴンがこれに敢然と異を唱え、自ら後継者に立候補したのである。このため会議は紛糾し、結論を出せない状態となった。ここで豪格案は取り下げられ、部族長たちの協議の末、ホンタイジの第9子でわずか6歳の福臨(ふくりん)を後継者とし、そのうえでヌルハチの甥で豪格を支持していた長老格のチルハラン(済爾哈朗)とドルゴンがその後見人になるという妥協がようやくにして成立した。明王朝で始まった、皇帝の在位中は元号(年号)を変えない「一世一元(いっせいいちげん)」に従い、彼は廟号(びょうごう)や諡号(しごう)を持つものの、時の元号から、順治帝と呼ばれる。・・・」
https://news.yahoo.co.jp/articles/559a81514437e4e21574fba9c9cc068f9c878b76
<「直接支配へのこだわり」じゃあなくって「独裁へのこだわり」なんであり、いずれにせよ、それが何に由来するのかが問題なんだよね。↓>
「・・・遠方に限るとはいえ周の封建制度の復活を構想しても、それほど奇異なことではないともいえる。それを秦王政は拒否し、あくまでも秦の国内支配で成果をあげていた領域支配を全域にわたり貫徹する意志を曲げなかった。ここに、中央政府による直接支配へのこだわりと、何事にせよダブルスタンダードは認めず、一度立てた方針は徹底して行うという、秦王政の姿勢が確認できる。これは始皇帝となってからも引き継がれることはいうまでもない。
このような始皇帝の直接支配へのこだわりが、同族血縁者への権力移譲を妨げ、皇太子の選定という帝国継承における最重要の課題を先延ばしにすることにつながった・・・」
https://www.dailyshincho.jp/article/2025/05160610/?utm_source=yahoo&utm_medium=http&utm_campaign=link_back&ui_medium=http&ui_source=yahoo&ui_campaign=link_back&all=1
中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
<中央日報より。
健闘を祈る。↓>
「敷居の高い日本軽自動車市場…中国BYDが挑戦状・・・」
https://japanese.joins.com/JArticle/334510
<ここからは、レコードチャイナより。
総体継受、継続中。↓>
「中国のSNS・小紅書(RED)に・・・、「なんてこと!赤の他人の日本人が1500円をくれた!」との投稿があり、反響を呼んでいる。・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b954038-s25-c30-d0052.html
「中国のインフルエンサーの女性「川川的一畝田」さんが・・・、小紅書(RED)の自身のアカウントに「なぜ日本旅行に行くのが好きなのか」との動画を投稿した。・・・」
https://www.recordchina.co.jp/b954073-s25-c30-d0052.html
–映画評論245:武則天(その42)–
80~81話では、唐の高宗の死の直前までが描かれるが、高宗死後22年も生きる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%89%87%E5%A4%A9
というのに、残りが82話(最終回)の1話だけというのは余りにもひどい。
このTVシリーズは、武則天が頂点に上り詰めるすごろく物語を、公室内不和の連続とそれにつけこむ外野の権力争いに殆ど絞って描き、彼女の高宗皇后時代における高宗との共同統治の業績や武周時代の彼女単独での統治の業績など、前者は殆ど後者は完全にスルーしてしまっているのだから・・。
前にも書いた習近平家の妻や女子を通じての「天皇家」化への制作陣の反感の可能性以前に、家父長制文化に由来する支那における女性差別・・纏足の時代はまだつい最近のことだ・・意識がいまだに濃厚に残っているということなのではなかろうか。
現在ですらそうだとすると、なおさら、支那史上唯一の女帝となった武則天の空前絶後の偉大さに思いを致さざるを得ない。
(身体的営みに関してはむろんのこと、知的営みに関しても、いかなる分野でも女性は超一流たりえないが、統治(政治)は、それが単なる知的営みではないだけに、上澄みの女性が上澄みの男性に伍しうる数少ない分野の一つだ。
但し、武則天の当時の政治家には戦士としての卓越さも通常求められたことも考慮されるべきだろう。)
それに加えて、若き日の武則天の美貌はスゴかった・・「少女期の武照は漆黒の髪、特徴的な切れ長で大きな目、雪のような肌、桃色の唇、薔薇色の頬、大きな胸、見る者を魅了する媚笑、そして聡明な頭脳を備えていた」(上掲)・・わけだから、まさに、天は図抜けた二物を彼女に与えたわけだ。
もとより、そんな化け物クラスの武則天と添い遂げ切った高宗にも深甚なる敬意を表したい。
おっと、間違って参院議長にまでなった扇千景が大間違いでなんと首相になっちまった、それでも、坂田藤十郎は添い遂げ切った、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%87%E5%8D%83%E6%99%AF ←基本的事実
という程度のことかもしれない、と、武則天と高宗を持ち上げ過ぎたかもしれないので、ここで一挙にこの2人を引きずり落としておこうか。
(続く)
—————————————–
太田述正コラム#14982(2025.6.3)
<渡辺信一郎『中華の成立–唐代まで』を読む(その34)>
→非公開