太田述正コラム#3174(2009.3.25)
<シルヴィア・プラスをめぐって(その1)>(2009.5.9公開)
1 始めに
 既に故人となった、私のかつての上司の池田(久克)さん(コラム#2695(非公開)。『実名告発防衛省』229~233頁)は、役人は退官した時に初めて社会人になるんだ、というのが口癖でした。
 本当にそのとおりだな、と自ら退官してからというもの、時々痛感します。
 例えば、娑婆(一般社会)では精神疾患で苦しんでいる人やその既往症のある人がゴロゴロしているのに、キャリア官僚の世界では、ほとんどそんな人と出会うことはありません。
 キャリア・ノンキャリアを問わず、役人で精神疾患の気(け)があることが判明した人は、地方や付属機関的な所に「隔離」されてしまいますし、地方や付属機関的な所から仕事でキャリア官僚の所にやってくる人にしても、部外の人、例えば企業や団体の関係者にしても、地域の人々の代表者や陳情者やマスコミ関係者にしても、スクリーニングされた「まともな」人ばかりだからです。
 振り返ってみれば、親族にその気のある人がいない人の方がめずらしいでしょうし、家庭にいる場合だってあるでしょう。
 にもかかわらず、自分の仕事場にはそういう人がいないことは不思議には思わないわけです。
 ところが、退官してからは、例えば私のコラムの読者の中にも結構そういった方がいらっしゃる。
 コラム#2805に登場する、私に鮮烈な印象を残した「知人」もそのうちの一人です。
 私の場合、そういう類の人と出会う経験が、退官するまで全くと言ってよいほどなかったものですから、出会うたびにびっくりしないのなんのって・・。
 このような「社会」経験を経て、私はその気のある人がこの社会にはたくさんいらっしゃるという前提で社会評論活動を行わなければならない、と肝に銘じるに至っている次第です。
 前置きが大変長くなりました。
 今回は、「社会」経験を積んでいなかった頃なら、何の関心もなく、見過ごしてしまった話のご紹介をしたいと思います。
 その上で、若干、一般論を展開するつもりです。
2 シルヴィア・プラスをめぐって
 (1)シルヴィア・プラスの息子
 「シルヴィア・プラス(Sylvia Plath)<が自殺してから>・・・46年経つが、彼女の娘のフリーダ・ヒューズ(Frieda Hughes)が、<フリーダの弟で>プラスの47歳になる息子のニコラス・ヒューズ(Nicholas Hughes)<博士>・・アラスカの魚類生物学者・・が・・・鬱病との長い戦いの後、・・・先週自殺したことを発表したことは、世界的なニュースとなった。・・・
 30歳の時に自殺したシルヴィア・プラスは、20世紀の米国の偉大な詩人達の一人だ。
 こんな短い生涯でかくも長期的に評価され続ける詩を英語で書いた詩人と言えば、<英国の>キーツ(Keats)だけであり、米国人では彼女だけだ。・・・」
http://roomfordebate.blogs.nytimes.com/2009/03/24/why-the-plath-legacy-lives/
(3月25日アクセス。以下同じ。)
 「・・・ニコラス・ヒューズは結婚したことがなく子供もいないが、3月16日に首をつって自殺したものだ・・・。
 彼は科学の人であって文学の人ではなく、近親者の中では唯一詩人にはならなかった。
 ・・・彼は10年近くアラスカ大学フェアバンクス校の魚類/海洋科学の教授だったが、・・・2006年12月に辞めている。<研究を続けながら、自宅で趣味の域を超えた陶器作りを始めたのだ。>・・・
 ニコラス・ヒューズは、1984年にオックスフォード大学を卒業し、同大学から修士号を1990年に取得し、米国籍をとり、アラスカ大学で博士号を取得している。・・・
 (2)シルヴィア・プラス本人について
 ・・・<ニコラス・>ヒューズは、彼の両親が離婚した時はまだ9ヶ月の赤ん坊だったし、彼の母親が<30歳の時に>1963年2月にロンドンのマンションで≪1歳のニコラスと2歳のフリーダ≫が<寝室で>寝ている時に<彼らに牛乳入りのコップとバターを塗ったパンを残して、<隣室の>台所に目張りをした上でオーブンに頭を突っ込んで>ガス自殺した時もまだ幼児だった。・・・
 死亡当時はそれほど知られていなかったプラスだったが、彼女は、自殺直前まで書き綴っていた詩の詩集『アリエル(Ariel)』・・・によって一躍超有名人となった。
 <また、1971年には、プラスが、自分の大学時代の鬱病の発症について書いた<自伝的>小説『The Bell Jar』が米国で出版され大人気を博した。>
 彼女が<夫のテッド(Ted)>ヒューズと分かれた直接的な原因は、<もう一人の詩人の妻であったところの、>アッシア・ウェヴィル(Assia Wevill)<という女性>とテッドのダブル不倫だった。
 プラスのことは、彼女の夫につきまとうことになった。<彼は、プラスを自殺に追いやった張本人だという非難を世の女性達から浴び続けたのだ。>
 ≪(このような夫妻の悲劇的顛末は、)2003年の映画「シルヴィア」で・・・描かれることとなる。≫
 <それだけではない。>テッド・ヒューズは、彼の2番目の妻となったウェヴィルの自殺という目にも遭ったのだ。ウェヴィルは、1969年3月に彼らの間にできた4歳の娘を道連れにして自殺した。・・・」
http://www.iht.com/bin/printfriendly.php?id=20998879
(<>内は、
http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,980566,00.html
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5956380.ece
、また≪≫内は
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/03/23/AR2009032301892_pf.html
による。)
 (3)シルヴィア・プラスの夫だった男
 「・・・プラスのヒューズとの結婚は現代の神話となった。
 二人が初めてケンブリッジで会った時、米国からフルブライト奨学生として同大学に留学していたプラスの口をヒューズがぶん殴り、お返しに彼女は彼の頬に噛みついて出血させた。そしてあっという間に二人は結婚したかと思ったら、悲劇的な結末を迎えたからだ。・・・
 ヒューズは否応なしにかきたてられた子供達二人の母親への関心からこの二人を守るためにできるあらゆることをやった。母親が自殺したことは二人が10台になるまで話さなかった。・・・
 ≪彼は、英国の最も著名な詩人の一人となり、桂冠詩人に任命される。
 しかし、プラスの自殺は彼の1998年の死に至るまで、彼に暗い影を落とすことになる。≫・・・
 <その年、>彼はついに自分のプラスとの生活と彼女の死に対する思いを綴った88篇の詩からなる『Birthday Lettersa』シリーズを書く。
 このシリーズはロンドン・タイムスで連載され、自分の妻の運命についてのはっきりした告開(contrition)を行ったことのない男という評判が、いやそうではなく彼はもっと複雑な人間だったのだ、という評判に変わった。
 ヒューズはこの『Birthday Lettersa』を自分の子供達に捧げた。
 詩集としてはめずらしいことだが、この本はベストセラーになり、背表紙付きのこの本が英国内だけで15万部以上売れた。
 しかし彼は、この本が1999年のホイットブレッド賞(1999 Whitbread Book of the Year award)を授与される前の年の10月に癌で亡くなってしまった。
 そこで、ニコラスではなく、フリーダが彼に代わってこの賞を受け取った。・・・」
 (以上、
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5956380.ece
 ただし、<>内は、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/03/23/AR2009032301892_pf.html
上掲による。)
 (4)シルビア・プラスの娘
 「・・・フリーダ・ヒューズは、彼女が20台の時に再び世間の注目を浴びることになった。
 彼女の最初の児童向けの本が出版されたからだ。
 彼女は、アーチスト、詩人、新聞のコラムニストとしても成功を収め、彼女の両親のことや彼女自身の鬱病、慢性疲労症候群(ME=myalgic encephalomyelitis=Chronic fatigue syndrome=CFS)、及び拒食症のことについて語ったり書いたりしてきた。・・・」
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article5956380.ece上掲
(続く)