太田述正コラム#15150(2025.8.25)
<丸橋充拓『江南の発展–南宋まで』を読む(その45)>(2025.11.19公開)
「・・・科挙が拡大し、合格を目指す受験生が多くなると、未合格者の数も当然増える・・・
唐以前の儒教は皇帝専制を支えるイデオロギーであり、「科挙未合格の官僚予備軍」などに対して「汝かくあるべし」というような指針を示してはくれない。・・・
北宋末期から南宋にかけて、官僚をめざす士大夫たちの思いに添い、彼らにぴったりの価値観や行動指針を提供する思想集団が登場する。
<「宋学」中の>「道学」である。・・・
<その道学中の>朱子学は、・・・八条目<(注116)>–「格物」「到知」「誠意」「正心」「修身」「斉家(せいか)」「治国」「平天下」–・・・<を>強調<したが、これは、>天下国家の舵取りにいまだ手が届かぬ下っ端の士大夫に、身近な人間関係のなかで行う修養の指針を示すとともに、その延長線上に天下国家を見据える展望を提供することにつながったのである。・・・
(注116)「<支那>の古典[『礼記』の一編である]『大学』に説かれている儒家の学問のプログラム。三綱領は,明明徳 (明徳を明らかにする) ,親民 (民を親しく愛する) ,止於至善 (至善に止まる) 。八条目は,格物,致知,誠意,正心,修身,斉家,治国,平天下。この八条目のおのおのは,それぞれ三綱領に配当される。三綱領と八条目は,宋代になって道学の儒者に重視されるようになった。朱子は「親民」を「新民 (民を新たにする) 」と読み替えて解釈した。最も解釈の分れたところは,八条目の最初に位置する格物で,「物を正す」と読むか「物にいたる」と読むかの違いが,朱子学と陽明学との違いになった。」
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E7%B6%B1%E9%A0%98%E5%85%AB%E6%9D%A1%E7%9B%AE-70658
「朱子は,格物を物の理をきわめ尽すこと,致知をおのれの知をおしきわめることと解して,さらに両者を表裏一体のものとした。・・・
<この>〈格物致知〉<は、>しかし,ヨーロッパ的な認識論とは異なり,一事一物の窮理を積み重ねてゆくと,突如〈豁然貫通(かつぜんかんつう)〉(一種のさとり)が訪れるという。・・・
この解釈は彼の理の主張の端的な表明といえるもので,それゆえ王陽明などのちの朱子批判者は,この格物,致知についても朱子の説を退け,独自の解釈を施すことになる。」
https://kotobank.jp/word/%E6%A0%BC%E7%89%A9%E8%87%B4%E7%9F%A5-43788 ([]内も)
「王陽明は格物致知を「知を致すは物を格す(ただす)にあり」と読みました。
これは「良知を発揮するためには、心を磨いて正しくする必要がある」という意味です。」
https://wearewhatwerepeatedlydo.com/ethics20/
<繰り返しになるが、>中華・・・専制国家が掲げる一君万民論理は「外形的な一元制」にはこだわるものの、人びとの日常には殆ど関心がなく、行政の権能を極小化して、基層社会から遊離していた。
つまり「専制と放任が並存する」社会なのである・・・。」(175、179)
⇒「<漢人文明の>伝統的政治思想において皇帝は民の父母であり,民は皇帝の赤子であるといわれるように,君民の関係が親子の間の慈愛と思慕の間柄であることが理想であった<ところ、>《大学》の修身・斉家・治国・平天下は,家の秩序と国家の秩序とを士大夫の当為の意識の下で連続的にとらえたものである」
https://kotobank.jp/word/%E4%BF%AE%E8%BA%AB%E6%96%89%E5%AE%B6%E6%B2%BB%E5%9B%BD%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E4%B8%8B-526978
が、均分相続制の漢人文明下においては、家の永続性が担保されないことから、「斉家」を行う基盤が欠如しており、修身斉家治国平天下、は、絵に描いたスローガンにしかならなかった、と、私は考えています。(太田)
(続く)