太田述正コラム#15248(2025.10.13)
<岡本隆司『中国」の形成』を読む(その16)>(2026.1.7公開)
「・・・新開地の<満洲、すなわち、>東三省<(注33)>では、貴金属が乏しかったので、金融には紙幣を用いることが多く、「現地通貨」としての紙幣発行は、県レベルで百種にのぼったともいわれる。
(注33)「清朝は故地である満洲の地を神聖なものと定めており、ムクデン(盛京、現在の遼寧省瀋陽市)・吉林・黒竜江のそれぞれに将軍を配置していた。3将軍の中では、副都格の盛京を預かる盛京将軍が一番の高位だった。これらの将軍の支配域が東三省のそれぞれの起源である。後に、盛京は奉天・瀋陽と時代によって名を変えた。
3将軍制時代は省とは別制度なのに、すでに別称として<漢>語で「東三省」と呼ばれた。1907年、3将軍がそれぞれ奉天巡撫・吉林巡撫・黒竜江巡撫に変わって、<支那>本土と同じ省制[・・黒竜江省・吉林省・奉天省(今の遼寧省)・・]となった。また、3つの省を統括する東三省総督が置かれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B8%89%E7%9C%81
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%B1%E4%B8%89%E7%9C%81-103579 ([]内)
このおびただしい紙幣を奉天票<(注34)>という小額紙幣の発行で整理したのが、1920年代の軍閥・張作霖政権であった。
(注34)「狹義的「奉票」主要是指東三省官銀號在該時期發行並廣泛流通於東北地區的紙幣。 」
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%89%E5%A4%A9%E7%A5%A8
「現地通貨」の奉天票を外界とつないだものが、日本の朝鮮銀行・横浜正金銀行が発行する銀行券で、いわば「地域間決済通貨」にあたる。
これが日本円や英ポンドにリンクして、対外的な決済をおこなう、という構造になっていた。
こうした構造を支えたのが、東三省における在地政権・地方軍閥と列強勢力であり、それがすなわち張作霖と関東軍・満鉄の経済的な存在理由にほかならない。
いわゆる「満州国」はそうした多元的な役割を統合し、一元的な地方政権、さらには独立国家と化そうとしたものである。
このように、日本が関わった「満州」は、見えやすく目立つけれども、同様のことは多かれ少なかれ、いわゆる中国本土(チャイナ・プロパー)の各地で起こっていた。
そのうち1930年代に英米と結びついて最大最強の規模を誇り、「中央」を標榜した政権が長江下流域の南京国民政府、また辛亥革命以来、最も長持ちしたのは、「モンロー主義」をかかげた山西省の閻錫山<(注35)>政権だったと考えることができる。
(注35)1883~1960年。「1909年(明治42)日本の陸軍士官学校歩兵科を卒業。辛亥革命に参加。以後、民国時代を通じて事実上の山西王国を築いた。とくに1917~1927年、1932~1937年には「山西モンロー主義」を唱え、風俗改革、工鉱業振興に努めたが、農民にとって切実な土地問題には反動的政策に終始した。日中戦争で日本軍、八路軍、国民党軍の三者に地盤を崩され、第二戦区司令長官に就任。1949年春、人民解放軍が閻の拠点の太原(たいげん/タイユワン)をおとすと、南京、広州へ逃げ、1949年6月国民政府の行政院長についたが、まもなく台湾へ逃れ、いくつかの名誉職についた。」
https://kotobank.jp/word/%E9%96%BB%E9%8C%AB%E5%B1%B1-38156
⇒このくだりは啓蒙的な指摘がなきにしもあらずです。(太田)
いずれにしても、割拠にはちがいない。・・・
にもかかわらず、知識人エリートの実際の行動は、あくまで郷紳として、社会的・経済的につながりの深い在地勢力を支持することに傾いていた。・・・
したがって、「中国」という国民国家が実現しない理由を、「民族主義」に対立した列強の「帝国主義」ばかりに帰するわけにはいかない。
それはむしろ、「中国」の歴史的な現実とそこから乖離した「民族主義」そのものに求める必要がある。・・・
蒋介石の・・・南京国民政府・・・は英米と深くつながる富裕層と一体化したため、旧来の貧富・上下が乖離した社会構成を克服できない。
対外的にも対内的にも、空間的にも社会的にも、「中国」の統合を果せなかったのである。」(176~177、179~180)
⇒同じく。(太田)
(続く)