太田述正コラム#3420(2009.7.27)
<アルベール・カミュ(その1)/皆さんとディスカッション(続x551)>
 (本日は、地方から出てきた友人と、都心で10年ぶりに旧交を温めたので、記事の紹介に余り時間がとれないこと、そもそもめぼしい記事も少なかったこと、から昨日大急ぎで書いたコラムを公開し、これに読者とのディスカッションを付け加えることにしました。)
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–アルベール・カミュ(その1)–
1 始めに
 米国の文芸評論家のエリザベス・ホーズ(Elizabeth Hawes)が上梓した’CAMUS, A ROMANCE’ の書評をもとに、アルベール・カミュ(Albert Camus。1913~60年) の生涯を振り返ってみることにしましょう。
 なお、カミュについては、私には、ちょっとした思い出がある、ということを以前(コラム#1257で)記したところです。
2 アルベール・カミュの生涯
 「・・・アルベール・カミュは、1913年11月に<仏領アルジェリアの>アルジェで生まれた。
 彼は、電気も水道もないごみごみしたアパートで育った。
 彼の母親は、第一次世界大戦で亭主をなくし、文盲で耳も悪かった。
 ホーズは、カミュが大志を抱く活動的な人物になったのは、この母親の極端な受動性への反動であると結論づける。
 しかし彼は、この母親への深い愛情を、彼が1942年にフランス本土に移ってからも抱き続ける。
 カミュの才能を初めて見いだしたのは小学校(grammar school)の教師だった。
 この教師の尽力により、カミュはアルジェ中心部の国立中等学校(lycee)に「フランス国の孤児」として奨学金をもらって通った。
 そして、アルジェ大学で哲学を学んだ。
 17歳の時に結核に罹り、そのために彼は残りの生涯を通じて苦しめられることになるのだが、彼は教師になるための学位を得る資格がなくなってしまう。
 彼はまた、軍隊に入ることもできなくなり、結局著述、ジャーナリズム、そして演劇に目を向けることになる。
 ホーズは、カミュの「抑えきれない良心」と「道徳的リーダーシップ」の事例に光をあてる。
 第二次世界大戦中に彼が編集した地下レジスタンス紙「戦闘(Combat)」にその多くが掲載されたところの、死刑、ナチ、スターリン、そして原爆に対する反対論・・。
 彼女は、彼のジャン・ポール・サルトルとの苦渋の争闘や、1957年にノーベル文学賞をもらった前後に、血なまぐさいアルジェリア独立戦争に際して旗幟を明らかにしなかった彼に対して投げかけられた批判について解き明かす。
 (彼はイスラム教徒に対する差別撤廃運動の生涯にわたっての輝かしい闘士だったが、彼は、フランス人を含めた多文化国家たるアルジェリア、という夢を擲つことができなかったのだ。)・・・」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/07/24/AR2009072401422_pf.html
(7月26日アクセス。以下同じ)
 
 「・・・アルベール・カミュは、20世紀のインテリのほとんどあらゆる危機と悪戦苦闘した。
 彼は、1930年代には自分が生まれたアルジェリアにおける反植民地活動家だったし、<第二次世界大戦中には、>占領下のフランスのレジスタンスのメンバーだった。
 彼は、戦争と絶望に苦しめられていた世界の人々の心を1942年に出版した2冊の本によって打った。
 彼の最初の小説である『異邦人』は、不条理の世界において漂流する男を描いたものだ。
 そして彼の哲学的随筆である『シジフォスの神話』は、この不条理は我々の<実存の>意味の創造へと我々を駆り立てるはずだと論じた。
 彼の1947年の『ペスト』は、集団的苦難と闘争の小説であり、『反乱』(1951年)は、反全体主義論だったが、1952年のジャン・ポール・サルトルとの苦渋の決別をもたらした。・・・
 1957年にノーベル賞をとる頃までには、アルジェリア内戦に対する彼の苦悶の両義的スタンスのせいで、カミュは、欧州の左翼の中のつまはじきになっていた。
 もっとも、今日においては、テロリズムがもたらすものへの彼の警告は先見の明があったように思える。
 最初は実存主義の化身のように誤って判断され、次いで現実を知らない反動であるとされたが、エリザベス・ホーズは、その詳細な研究によって、彼が極めて私的な人物であったというのに公共の舞台へと歴史の潮流と彼の責任感によって押し出されてしまったことを明らかにした。・・・
 カミュは、彼の<未完に終わった>最後の小説を、<文盲であるがゆえに>「その本を読むことがありえない母親に捧げた」。
 <ここから分かることは、>典型的なフランス的インテリであると見なされていたカミュが、観念の世界などとは文字通り縁がない人々の間で生まれところ、彼がこのような人々を決して忘れることがなかったということだ、<とホースは指摘する>。
 ホースは、後の方で、彼はいつもこれら労働者階級のダチ(copain)達との方が居心地が良かったと記している。
 彼等と一緒にいる時は、彼はその有名なプドゥール(pudeur)の仮面を脱ぎ捨てた。
 プドゥールとは、英語には翻訳不可能な言葉であって、謙虚とか抑制的といった意味を持つが、その程度と言ったら、彼が20年にわたって彼の愛人であったマリア・カサール(Maria Casares)でさえ、カミュのことは決して理解できなかったと言っているほどだ。
 アルジェリアの地中海沿岸の太陽と海は、カミュに、その最も暗い作品群さえも特徴付けているところの、人生の肉感的快楽についての臆せぬ喜びを与えた。
 彼がアルジェの窮屈で不健康なベルクール(Belcourt)界隈で結核に罹ったことは、世界がよろめきながらファシズムとの血なまぐさい対決へと導かれて行った時代において、余りにも多くの人々を苛んだところの、人間の不条理性の感覚を彼に吹き込んだ。
 カミュの長きにわたった結核との戦い、彼の母親・・(彼自身は逃れることができたけれど何百万もの人々は逃れることができなかった)希望を失わせる貧困を彼にずっと思い起こさせた・・への深い愛情、<カミュにとっての>アルジェリアの中心的な重要性、にホースは光をあてるが、これらはカミュにとって決定的に重要な事柄であるにもかかわらず、これまで顧みられてこなかった。・・・」
http://www.latimes.com/entertainment/news/la-ca-albert-camus5-2009jul05,0,3963494,print.story
(続く)
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          – 皆さんとディスカッション(続x551)–
<KT>
≫According to a government survey, more than a quarter of men and women between the ages of 30 and 34 are virgins; 50 percent of men and women in Japan do not have friends of the opposite sex.≪(コラム#3418)
→政府調査によると、30と34歳の間の男女の4分の1以上がバージンです。日本の男女の50パーセントには、異性の友人がいません。(KT仮訳)
 この政府調査20代がないのか気になります。
 高校3年の男女は、非処女・非童貞が5割近いという記事もあります。
http://news.ameba.jp/domestic/2009/06/40732.html
 あ、東京だけの結果でした。
<植田信> (2009.7.25)(http://8706.teacup.com/uedam/bbs
 太田述正氏のサイトに紹介のあった小柳るみ子の「雨」を聞いてみました。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=SFhiJDuNigI&fmt=18
 ついでにこの曲をつくったという中島みゆきの歌も聞いてみました。
http://www.youtube.com/watch?v=9_Hw0StLWwk&feature=related
 小柳るみ子の歌としては、私はやはり加瀬邦彦が作曲した「冬の駅」のほうがいいと感じました。
http://www.youtube.com/watch?v=YUjtVACm0HI&feature=related
 私はどうもグループサウンズのメロディー系が好きです。
 しかし、中島みゆきという人は、不思議な人です。
 昔、「悪女」という歌を聞いたことがあります。
 中島みゆきの歌として私が耳にした最初の歌でした。
 友人のクルマの中で聞きました。
 まあ、悪くはない歌、と思いました。
 しかし当時は、私はすでにビートルズ・マニアだったので、日本の歌は一般に「真面目な」音楽として分類されていませんでした。
 中島みゆきの歌、そのあとは、NHKの「プロジェクトX」の番組曲。
 なんて大げさな歌詞、と感じていました。
 そして吉田拓郎との「つまごい共演」歌の「永遠の嘘をついてくれ」。
 拓郎の歌にしては変わっているなあ、と思っていたところ、なんと、中島みゆきの歌でした。
 あと、「ファイト」とか、その他2、3の歌を耳にしたことがありすが、私の印象では、この人は、可愛らしい外見に似合わず、屈折した歌ばかりを歌う人、という感じです。
 不思議な人です。
<太田>
 中島みゆきは、作詞・作曲して自分で(時にギターで伴奏しながら)歌唱し、そのすべてが他の超一流の作詞家、作曲家、歌手のレベルに達していて、しかもそのレベルを長期にわたって維持し続けている、歌唱力に至っては一層うまくなってきている、という意味では、ルネッサンスの万能人的な希有の天才だと思います。
 直近の彼女の姿こそつまびらかにしませんが、年輪を重ねるにつれて次第に美しさを増してきた、という意味でも、彼女は一種の天才です。
 独断と偏見をもって言わせていただければ、これらは、彼女が独身を通し、自分が天職として与えられたものを極めることを目指して日夜研鑽に励んできたたまものではないでしょうか。
<チャッピー様>
 曲を作る才能とかは別にして、一音楽家であられる太田殿の音楽感性から生み出される曲を聴いてみたいと思いました。<(コラム#3416参照)>
 もし機会があれば宜しくお願いします。
<太田>
 太田がこれまで書き綴ってきたものは一種のクラシック音楽だ、という受け止め方もできるかもしれませんよ。
 世界史論(アングロサクソンvs.欧州)、日本史論(縄文vs.弥生)、米国史論(アングロサクソンvs.スコッチ・アイリッシュ)、なんてそう思いません?
 つまり、歴史に対する対位法(counterpoint)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BD%8D%E6%B3%95
的アプローチだと言えなくもない、ということです。
<たぬき>
 総選挙前なので自民党がやらない2005年の自民党マニュフェストの総括とか、民主党の2005年のマニュフェストの比較をしてみませんか?
自民
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2005_seisaku/120yakusoku/pdf/yakusokuText.pdf#search=%27%E8%87%AA%E6%B0%91%E5%85%9A%20%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%95%27
民主
http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2007/pdf/manifesto_2007.pdf#search=%27%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%20%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%88%20%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%90%EF%BC%95%27
<太田>
 IT支援グループの絶大なるご協力で、逐次、民主党議員のネガティブリストを充実させています。
http://www.ohtan.net/negative.html
 
 これも皆さん、ぜひ時々ご覧いただき、ご意見等をお寄せ下さい。
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太田述正コラム#3421(2009.7.27)
<過激派はどうして生まれるのか(その2)>
→非公開