太田述正コラム#3421(2009.7.27)
<過激派はどうして生まれるのか(その2)>(2009.8.28公開)
 「サンスティーンが引用する証拠・・その中には彼自身による研究も含まれている・・の一つが、あの評判の悪いスタンフォード大学における監獄実験<(コラム#364)>だ。
 かなりの数の学生達がランダムに「看守」として選ばれたところ、最終的に彼等の「囚人達」に対し、残忍な仕打ちをするに至ったというわけだ。
 サンスティーンは、「多分我々全員が、一定の状況下では残虐行為を犯す」と結論づける。
 実際、我々全員が非合理的になりうるのだと彼は示唆する。
 直接理性に訴えることでさえ時間の無駄ということになりうるのだ。
 サンスティーン自身が言うところの「とりわけ不快な発見」は、「人々の誤った信条はそれが誤っていることを示されると実際には強化されるということがありうる」、ということだ。
 これはぞっとするような話であり、独裁者達がどうしてあれほどもひどい悪しき諸決定を下すのか、どうしてヒステリーと熱中が広がってしまうのか、どうして諸市場が理論通りには実際には機能しないのか、どうして諸企業がつまずくのか、を説明するのを助けてくれる。
 しかし、この本は、サンスティーンの楽観的側面もまた、示している。
 一つには、諸集団の過激な諸見解は常に悪く間違っているというわけではないというのだ。
 「人々が彼等の権利を追求している場合は、集団分極化は極めて望ましいことだ」とサンスティーンは指摘する。
 「それは米国における奴隷制廃止運動を助けた。それはアパルトヘイトと共産主義の瓦解をもたらすことも助けた」と。
 サンスティーンはまた、ねじ曲がった(wrongheaded)諸見解は正されうると信じている。
 そのための方法の一つは、権力の座に、謙遜、好奇心、そしてオープンさを持つ人物をつけることだというのだ。
 もう一つの方法は、費用便益分析(cost-benefit analysis)から導き出される事実に依拠することだというのだ。
 「職場の安全、身体障害者の権利、国家安全保障、アファーマティブアクションに係る厳しい議論は、…一つのアプローチと他のアプローチがそれぞれいかなる結果をもたらすかを理解することでより冷静なものになりうる」と彼は主張する。・・・」
http://www.businessweek.com/print/magazine/content/09_19/b4130069169557.htm
 「反対者が集団を去った場合は、残った者達の単細胞さ(single-mindedness)が増幅される。
 他方、<反対者が集団に残った場合は、>多数派の見解を裏付けるものとして<(=反面教師として)>取り扱われる。・・・
 サンスティーンは、ミルグラム(Milgram)<実験(コラム#1303)>とスタンフォード大学での監獄実験を彼自身の業績の前駆的なものとしてあげる。
 一番目の実験は、仮に十分に権威のある人によって命じられれば、人々は、殺害さえも含むところの、異常な部類に属す行動をとっても決して不思議ではないことを示した。
 二番目の実験は、人々は役割・・この場合は囚人の看守・・を与えられるという単純な方法でほとんど瞬時に残忍になることを示した。
 1970年代から80年代にかけて一世を風靡した、集団的思考(groupthink)なる理論もあった(注1)。
 (注1)スタンフォード・ビジネススクールの必修科目の組織行動論(Organizational Behavior)の授業で、アーヴィング・ジャニス(Irving L. Janis)の’Victims of Groupthink: A psychological study of foreign-policy decisions and fiascoes’
http://www.amazon.com/Victims-Groupthink-psychological-foreign-policy-decisions/dp/0395140447
を読まされたものだ。(太田)
 この理論は、諸集団は、反対意見の孤立化、否定、そして抑圧によって、一見明白にひどい諸決定を下すことがありうることを示した。
 一つの例は、ジョン・F・ケネディ大統領によるキューバ侵攻だ。
 客観的評価を、それがいかなるものであれ行っていたとすれば、そんなことは愚行だという結論が出ていただろうに・・。(注2)
 (注2)やはり、上記の授業で、後に映画化もされた、アーサー・シュレシンジャー(Arthur Meier Schlesinger)の’Thirteen Days: A Memoir of the Cuban Missile Crisis’
http://www.amazon.co.jp/Thirteen-Days-Memoir-Missile-Crisis/dp/0393318346
を読まされたものだ。
    これらの本は、政治学科の課題図書として指定されていても不思議ではない内容の本であり、私は1974~76年にビジネススクールと政治学科に学んだ結果、組織管理や政治における行動科学(behavioral science)的アプローチの重要性を叩き込まれた。(太田)
 サンスティーンは、集団分極化は、極めて集団的思考に近いことを認める。
 しかし、なるほどと言うべきか、彼は、集団分極化は<集団的思考>より強力であると言う。
 なぜなら、彼は、集団分極化は、実験に基づく研究によって支えられていて、統計的証拠に立脚した検証可能な諸予測を行うことができるからだと言う。
 そうだとしてどういうことになるのか?
 お馴染みのことだが、最もナウな話題と言えばインターネットだ。
 <インターネットの世界は、>競い合う様々な声の一見夥しく多様な風景を提供しているようだが、人々は、明らかにそれを彼等の様々な確信を補強するために用いている。
 これが「サイバー・バルカン半島化(cyberbalkanisation)」を生み出す。
 すなわち、インターネット利用者達は、致命的なまでに集団分極化に陥りやすい特別利益集団を形成するのだ。
 これに対して、新聞は、我々の様々な偏見をゆるがすものに容易に出会うことができるところの、サンスティーンが「思わぬものを偶然に発見する能力の構造(architecture of serendipity)」と呼ぶものを提供するのだ。・・・」
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6543005.ece?print=yes&randnum=1248514933671 
3 終わりに
 過激派はどうして生まれるのかというテーマとはちょっとずれますが、行動科学を身につけたサンスティーンのような法律学者が米国の行政府に入って規制行政全般の評価を行う、という事実に注目して下さい。
 このように、最先端の社会科学が行政に適用され、その結果が社会科学にフィードバックされ、こうして社会科学も行政も不断の進化発展を遂げていく、ということが、米国では、というかアングロサクソン世界では日常的に行われているのです。
(完)