太田述正コラム#3140(2009.3.8)
<人間主義の起源>(2009.9.8公開))
1 始めに
 4月に出版される予定の本の書評がニューヨークタイムスに載り、米国で大いに話題になっています。
 米国の人類学者にして類人猿学者であるサラ・ブラッファー・ハルディ(Sarah Blaffer Hrdy。1946年~) の “Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding,”です。
 さっそく、その内容の一端をご紹介しましょう。
2 ハルディの指摘
 「・・・突出して複雑な我々の脳というより、協力的繁殖者達であるという我々の地位が、我々の気質の多くの側面を説明することを助けてくれる。・・・
 ・・・人類は、過去12,000年くらいにわたって、極めて暴力的で軍国主義的だった・・・。
 これは、狩猟採集者達が定住生活を始めて領域防衛を始め、人口密度が著しく増加し始めたことにともなうものだ。・・・
 他方、最新の推定によれば、新石器時代より前の何十万年にもわたる人類の進化史において、繁殖期にある人類の成人人口は平均2,000人前後であった可能性がある。「こんな時に人類は一体何のために戦ったと思うの」とハルディは問いかける。「彼らは自分達とその子供達を生きながらえさせることにもっぱら追われていたはずでしょ」と。・・・
 我々は最も頭の良い猿になる前に最も良い猿になったのだ。・・・
 ・・・多くの伝統的社会の若い母親達には、彼女達の母親達のほか他の近くにいる女性の親戚達が<い>る。
 最近の研究によれば、閉経期後の女性達が、根っこや塊茎を集め、あるいは、余りばっとしなくて利用しにくくて、みずみずしくないところの、殺害されたばかりのカモシカ(oryx)といったものを調理して、食物の乏しい時期に子供達に食べさせる、という重要な役割を担っていることが明らかになった。
 <こんなことは、チンパンジー等ではありえないことなのだ。>
 他の人類学者達は、子供達が娯楽的価値を持っているという驚くべきことを発見した。
 テレビやインターネットがない数多の伝統的文化において、へまをやらかす赤ん坊は町の最上の見せ物なのだ。
 いずれにせよ、協力的繁殖が始まったことは、人類の進化に甚大なる影響を与えた。
 巣に手助けをする人々がいることで、女性達はより長い少年時代を送る子孫を生むことができるようになったからだ。
 これによって、人類はより大きな脳を形成したり、より強い免疫システムを形成したりすることができるようになった。しかも、逆説的にも、より短い間隔で子孫をつくることができるようになったのだ。
 チンパンジーの母親が出産する間隔は約6年だ。これに対し、人類の母親は2~3年だ。
 その結果、我々の脳の卓越性と多産性の結合により、人類は地球全域の植民が可能となった。競争関係にあるあらゆる生命形態を搾取し、隅へ追いやり、絶滅させ、巨大な軍産複合体を築いたのだ・・・。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/03/03/science/03angi.html?_r=1&pagewanted=print
(3月3日アクセス)
 「・・・赤ん坊達は、彼らの母親達以外の人々に世話をしてもらったり食事を与えてもらうことができればできるほど、その生存率が高くなる。
 赤ん坊達はまた、人の感情を推測することができ、それに応える。
 ハルディは、「諸研究が示すのは、良く面倒を見てくれる母親なんてどうでもよいということではない。もちろんそれは大事なことだ。しかし、複数の世話を見てくれる人によって育てられる幼児は安心して成長できるだけではなく、この世界を複数の観点から見る能力がよりよく発達し、より高くなる、ということなのだ」と言う。
 赤ん坊達は極めて早い段階から、誰かが悲しんでいる時は、その気持ちを分かち合うと共にその人を慰めようとする。
 このような共感能力(empathy)なかりせば、我々ははるか以前に絶滅し、類人猿の系統図の中の単なるもう一つの絶滅種になっていたところだった。・・・」
http://www.thesmartset.com/article/article03110901.aspx
(3月6日アクセス。以下同じ)
3 感想
 何せまだ出版されていない本なので、これ以上のことは分からないのですが、これは極めて画期的な本だと思います。
 人間は、本来的に個人主義的な存在なのではなく、人間(じんかん)主義的な存在なのである、という指摘が、アングロサクソン世界の中で、学問的に打ち出されたからです。
 イギリス人や、特に米国人の物の見方がいかに個人主義イデオロギーによってゆがめられているかは、「・・・人類学者達は、子供達が娯楽的価値を持っているという驚くべきことを発見した。テレビやインターネットがない数多の伝統的文化において、へまをやらかす赤ん坊は町の最上の見せ物なのだ。」というくだりからも明らかです。
 それこそ、人間主義文明たる日本文明の申し子である皆さんは、そんなことに「驚く」アングロサクソンに「驚く」ほかない、という印象を抱かれたことでしょう。(コラム#89で引用した英国アン王女の発言も参照されたい。)
 もう一つ重要なのは、ここでもまた、狩猟採集時代における人類は平和に生きていた、という推測がなされていることです。
 人類は本来的に人間主義的で共感能力が高い存在であるとすれば、互いに相争ったり、いわんや殺戮し合うようなことはしないはずである、ということがその根拠になっているわけです。
 これは、私がかねてから主張しているところの、縄文時代という狩猟採集社会・・ただし定住生活と部分的農業を伴っていた・・の時の縄文モードを基底としている、日本文明の平和・鎖国回帰性、という説を補強する話でもあります。
 ここでも、残念でならないのは、こういう研究成果が、日本ではなく、米国人の手によって米国でなされたことです。しかも、女性の手で。