太田述正コラム#3270(2009.5.12)
<テロリズムの系譜(その3)>(2009.9.25公開)
 (4)バーレイの提唱
 「・・・<バーレイは、>抑圧的(repressive)な諸国家に入れ込むことを止める、民主主義を推進する、そして、欧米文化とイスラム文化の真なる対話を促進する<ことを提唱している>。・・・」(F)
 「・・・バーレイは、・・・最終的にささやかな処方箋しか提示していない。
 彼は外交と開発援助にもっとカネをかけること、外交諸機関を強化すること、軍事力よりも諜報により依存すべきことを呼びかけている。
 <しかし、>この処方箋は、彼が貶めるリベラルなエリートによる処方箋とさしたる違いはない。・・・」(C)
 (5)バーレイに対する批判
 <バーレイの提唱に対する批判は上述の通りだが、>
 「・・・バーレイが、提示してくれるところの瞠目すべき材料の大部分について、典拠を提供することができていないのは大いなる恥と言わざるを得ない。
 <それどころか彼は、>学者が脚注を「真面目さを示すため」につけていることを嘲笑している。・・・」(C)
 「<バーレイのこの本を読んでいると>テロリスト達は反エスタブリッシュメント・タイプだと思ってしまうかもしれない。
 しかし、バーレイ自身が指摘しているように、連中は自分達なりの形だが官僚制を好んでいるのだ。
 アルカイダがアフガニスタンで志願者を惹き付けるエサとしてして使っているのは普通のビジネス界でも見いだすことができるものだ。
 ・・・詳細な志願書書式、雇用契約内容、及び上級職位に関する職務規程書が定められている。
 <アルカイダの>テロリスト候補者達には、「配偶者の有無に応じた<月>1,000から1,500米ドルの給料、留守宅に帰宅するための往復の航空料金、医療保障、そして<年>一回の1ヶ月間の休暇が与えられる・・・。」(H)
 「・・・私がバーレイのテロリズムの扱い方で問題だと思うのは、彼が軍事史家としてでなく政治史家としてのアプローチをとっている点だ。
 <彼のテロリズムの定義(既述)を思い出せ。>・・・
 爆撃者ハリス(Bomber Harris<。Sir Arthur Travers Harris, 1st Baronet。英空軍元帥。1892~1984>年)は、第二次世界大戦中ドイツの諸都市の絨毯爆撃(area bombing)を行うことによって「恐怖をまき散らそう」とした。
 私は、英国と米国が、ベオグラードとバグダッドの一般住民を標的とした「衝撃と畏怖(shock and awe)」爆撃を合法的であるとみなしていたに違いないと思っている。
 しかし、私ははその犠牲者達が<これらの爆撃を英米と>同様に見ていたとは思わない。
 もしテロリズムをイデオロギーというよりは兵器と見るべきだとすれば、このような<テロの>使い方であっても、<テロを>使った主体のステータスいかんにかかわらず、<これらのテロを>看過することは困難になるはずだ。
 こうして、バーレイは、中南米において20世紀にしばしば見られたところの体制による様々な国家テロリズムは扱わないのだし、対人地雷、クラスター爆弾、及び村落の空爆がテロリズムたりうるかという現在進行形の論議もまた取り扱おうとはしないのだ。
 仮に車載爆弾が「貧者の空軍」だとすれば、人口密集地に爆弾を投下するパイロットは「富者のテロリズム」ということになるはずではないか。・・・
 バーレイは、テロリズムへの対処ぶりについての分析を巧みに行っているが、非国家的暴力に対するこれまでの対処ぶりの大部分は拙劣であったこともまた銘記されるべきだ。
 歴代のロシア皇帝によるロシア人暗殺者達への野蛮な弾圧は、あらゆる少数民族、とりわけユダヤ人の殺戮(pogrom)へと転化した。
 また、英国による反植民地テロに対する不器用な対処ぶりは英帝国の急速な崩壊を不可避なものにした。
 北アイルランドの王党派対共和派、あるいはイスラエル人対パレスティナ人、相互の非効果的なテロリズムは、・・・紛争を長引かせることになった。・・・
 しかし、とりわけ我々全員が途方に暮れるのは以下のことだ。
 かつてのコソボ解放軍の「テロリスト達」は今ではロンドンとワシントンで勇気のある、主権を持った分離主義者達としてもてはやされている。
 米国によってアフガニスタンでソ連と戦うべく武装させられたフェダイーン(Fedayin)の英雄達は今では言語道断なアルカイダになっている。
 恐らく、我々がやるべきことは、テロリズムという言葉を使うのを止めてしまうことだろう。
 その上で、人間の明らかにとどまるところを知らない暴力への渇望についてだけ語ることとすべきだろう。」(H)
 「・・・バーレイは、聖戦主義者達は、将来に向けてのビジョンを持っていないところ、歴史は暴力的熱情を生み出した大義の例に満ちているけれど、それらはすべて弱体化し消え去って行ったと我々に教えてくれる。
 しかし、・・・そうなるまでには時間がかかる。
 冷戦は1947年から1989年まで続いた。
 この傳で行くと、<聖戦主義者達との戦いは、>まだ1953年の段階だということになろう。」(B)
 「・・・バーレイは、テロの戦術は「苛つく以上の効果をもたらしたことはない」と主張するが、それでもそれは、アイルランドと南アフリカで権力の移譲を強いたことはもとより、パレスティナとアルジェリアから植民地勢力を退去させることだって強いたという事実に照らし、ここから先は私は彼の言わんとすることに首肯し得ないのだ。・・・
 <かつてテロリストであった>ベギン(<イスラエルの>Begin<(後に首相)>)、シャミール(<イスラエルの>Shamir<(後に首相)>)、マンデラ(<南アフリカの>Mandela<(後に大統領)>)、タンボ(<南アフリカの>Tambo<(1993年に亡くならなければ、南アの初代黒人大統領になっていた)>)、ブーメディアン(<アルジェリアの>Boumedienne<(後に大統領)>)、アラファト(<パレスティナの>Arafat<(後にパレスティナ当局議長)>)、アダムス(北アイルランドの>Adams<(後に英下院議員)>)<が「偉人」になったことを想起して欲しい。>
 <また、>スペインの現在の政府は、マドリッドの爆弾事件への直接的反応として権力の座についたことも<想起して欲しい>。・・・」(D)
3 終わりに
 私は、バーレイに対する上記批判に全面的に同意します。
 では私は、どうして長々とバーレイの新著の内容をご紹介したのか?
 バーレイは欧州史、就中近現代ドイツ史の専門家ですが、イギリス人のインテリの多くも、欧州及びその外縁たる地域を主として関心の対象としています。
 バーレイは、インド亜大陸より向こうのアジアとか中南米を対象からはずしてこの本を書いたわけで、この書を通じ、我々がイギリス人の普通のインテリが知っている(テロがらみではあるが)近現代の事件や人物がどんなものかを知ることができることが第一点です。
 第二点は、バーレイが、(英国のリベラルも、くさしてはいるものの、)厳しく糾弾しているのは欧州及びその外縁たる地域のテロリストやテロリスト・シンパであり、要は、この本は、私の言うところの、イギリス人のインテリの多くが共有しているところの、欧州蔑視意識の例証ともなっていることです。
(完)