太田述正コラム#3535(2009.9.20)
<よみがえるケインズ(その1)>(2009.10.22公開)
1 始めに
 世界金融不況を契機に、経済学者ケインズに改めて注目が集まっています。
 英ワリック(Warwick)大学名誉教授で経済史家で浩瀚なケインズの伝記の著者として名高いロバート・スキデルスキー(Robert Skidelsky。1939年)の出たばかりの本、 ‘KEYNES The Return of the Master’ の書評をもとに、そのあたりの話をご紹介しましょう。
 (なお、ケンブリッジ大学経済学教授のピーター・クラーク(Peter Clarke)が ‘ Keynes: the 20th Century’s Most Influential Economist’ という本を出したことから、この両著をあわせて対象にした書評も少なくありません。)
A:http://www.ft.com/cms/s/2/6a053a56-8de2-11de-93df-00144feabdc0.html
(8月31日アクセス。両著の書評)
B:http://www.nytimes.com/2009/09/18/books/18book.html?hpw=&pagewanted=print
(9月18日アクセス。書評)
C:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/09/18/AR2009091801142_pf.html
(9月19日アクセス。書評)
D:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/keynes-the-return-of-the-master-by-robert-skidelskybr-keynes-by-peter-clarke-1781177.html
(9月20日アクセス。両著の書評)
E:http://www.nytimes.com/2009/09/18/books/excerpt-keynes.html?pagewanted=print
(9月20日アクセス。スキデルスキーの本からの抜粋)
F:http://www.newstatesman.com/books/2009/09/keynes-economics-economy-crash
(同上。両著の書評)
G:http://living.scotsman.com/books/Book-review-Keynes-The-Return.5619830.jp
(9月20日アクセス。書評)
H:http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/non-fiction/article6829064.ece?print=yes&randnum=1253432242906
(同上)
2 ケインズという人物
 「ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946年)は、・・・恐るべき人物
だった。
 彼は背が高く、濃い色の背広とホンブルク帽(注1)という非の打ち所のない
身だしなみであり、イートンとケンブリッジの産物であり、イギリス銀行総裁
だった。
 (注1)つばがややそり上がり中央がくぼんだフェルト帽。ドイツのザール(Saar)地方のHomburgで最初につくられた。(太田)
http://ejje.weblio.jp/content/homburg
 彼と話すと人は萎縮した。
 哲学者のバートランド・ラッセル<(コラム#3106、3533)>は、「私が彼と議論をした時、私は自分の心臓を自分の両手の上に乗っけているように感じた」
と言った。
 逆説的だが、ケインズは、詩人のごとき繊細な心も持っていた。
 彼は、<文学グループである>ブルームズベリー(Bloomsbury)グループ(注2)の一員でありヴァージニア・ウルフ<(コラム#472、 475、1786、1790、2365)>のファンだった。
 (注2)20世紀前半にロンドンのブルームズベリー地区付近で生活し、仕事をし、勉強をした友人達や親戚達からなるイギリス人の集団。彼等の業績は、文学、美学、評論、経済学、及びフェミニズム、平和主義、そしてセクシャリティーに対する当時のイギリス人の姿勢、に深い影響を及ぼした。その最もよく知られたメンバーは、ヴァージニア・ウルフ、ジョン・メイナード・ケインズ、E.M.フォースター(E. M. Forster)(コラム#84、484)とリットン・ストレイチー(Lytton Strachey)だ。(太田)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bloomsbury_Group
 彼は、近代美術と稀覯本の収集家だった。
 彼は、ロシア人のバレリーナと結婚した。
 彼は先覚的環境保護主義者であり、一度聞くと決して忘れないことを言っている。
 すなわち、彼は1933年に、「これらは配当を支払わないため、我々は太陽と星々を遮断することが可能だ」と警告した。・・・」(B)
 「・・・1936年にジョン・メイナード・ケインズは、「経済学者達や政治哲学者達の考えは、彼等が正しい時も間違っている時も、一般に理解されているよりももっと強力だ。実際、世界はおおむねこれらの考えによって支配されている」
と記した。
 「実務家達は、知的影響など全く受けていないと信じているが、通常何らかの故人たる経済学者の奴隷なのだ。」と。・・・」(C)
→これは、余りにも人口に膾炙しているケインズの言葉ですね。
 「・・・<ケインズは、>社会主義者でも国有化主義者でも積極的規制主義者でもなかった。
 「彼は、資本主義を褒めそやしもくさしもしなかった。」
 彼は、予算は均衡されることが正常だと信じており、赤字予算の使徒ではなかった。
 彼は重税・高支出の狂信者でもなければ、需要不足が失業をもたらすと信じていたわけでもなかった。
 彼はインフレ主義者ではなかった。
 そして、貿易に関しては自由主義者だったが、彼は保護主義に全面的に反対ではなかった。・・・」(G)
 「・・・彼は、金融機関は、株主に対すると同様、公共の利益に対する義務を負っている、という珍しくかつ斬新な考えを抱いていた。
 彼は、他の全てを犠牲にしたカネの追求について憂慮していた。
 「金儲けとブリッジ」の生活を送ることに何の倫理的価値があるのか、と彼は問いかけた。
 ・・・「彼の結論は、カネの追求・・彼が「金銭愛」と呼んだもの・・は、それが「良い生活」へと導く限りにおいてのみ正当化されるのであり、その良い生活とは、人々を富裕にすることではなく、彼等を良い存在たらしめる生活である、というものだった。
 経済的営為(striving)の唯一の正当化されうる目的は、世界を倫理的により良いものにすることだというわけだ。」
 ケインズの利他主義は、時々、カスター将軍<(コラム#3473)>の最後の瞬間のような響きがする。・・・」(B)
→ケインズもまた、人間(じんかん)主義者だったのです。
(続く)