太田述正コラム#3335(2009.6.14)
<米国の世紀末前後(その2)>(2009.10.31公開)
 「<セオドア・ローズベルト>は、彼の荒馬に乗るようなキューバ行きの直後に、「我々が野蛮人の諸徳を維持していなければ、文明人の諸徳を身につけたとて意味はないだろう」と記した。
 諸徳を身につけた野蛮人は、禁欲的(stoic)であり、恐れも疲れも知らないというのだ。
 ローズベルトとは何と猛々しい男であることよ、と思われるかもしれないが、彼はオリヴァー・ウェンデル・ホームズ・Jr.(Oliver Wendell Holmes Jr<。1841~1935年>)・・彼が後に最高裁判事に任命する・・に比べれば羊のようなものだった。
 ホームズは、南北戦争で三度負傷したが、彼言うところの「いかなる形態であれ、痛みに対する叛乱」を忌み嫌った。<痛みに対する叛乱とは、>彼の頭の中では社会主義から動物虐待防止のための諸団体に至るあらゆるものを含んでいた。
 彼は、ハーバードの1895年卒業組に対し、「自分がほとんど理解していない大義の下で、作戦計画の中身について何も知らない会戦に、何のためかが見えない戦術でもって、盲目的に受容された義務に服する生活に兵士が身を捧げることにつながる信条は、真実であり尊敬すべきだ」と語ったものだ。・・・
 セオドア・ローズベルトとその他の数多の拡張主義者(expansionist)達は、プロテスタント的な再生(regeneration)なるレトリックに賛同していた。・・・
 再生という観念は、米国の力を拡大し、世界のすべてを米国の商品の市場へと変じることによって米国を富ませ、アングロサクソン流の文明を永続的なものにし、軍事介入を正当化するために用いられたのだ。・・・」
http://www.theamericanscholar.org/barbarian-virtues/
(6月13日アクセス)
 「<この本>は、リアーズにとってこれまでで最も野心的な仕事だが、彼のこれまでの仕事を基盤にして見事に構築したものだ。
 このラトガース大学教授は、<1865年4月の>アボマトックス<会戦>(The Battle of Appomattox<。南北戦争最後の会戦>)の長い影から欧州のおぞましい曳航弾に照らされた諸塹壕に至るところの、半世紀にわたる長旅の間に米国に起こった変容は、米国人達が自分達について理解したり、ことを為したりする際、現在でも引き続き最も重要なことである、ということを説得力ある形で訴えている。・・・
 初期の19世紀的な「男らしさ(manliness)」の観念は、道徳観念のない軍国主義に取って代わり、それらが今度は、たくましい新プロテスタンティズムと人種的至上性の進化しつつあった諸理論と融合した。そして、それらが更に、資本が資本主義に道をあけたところの新しい経済秩序と合体した。
 それぞれが南北戦争後の「再生」への飢えから始まったがゆえに、これらすべてが結合することができたのだ。
 その結果は、断定的で攻撃的でしばしば不寛容な国家的(national)アイデンティティーだった。・・・
 ウッドロー・ウィルソンの側近の一人であったエドワード・ハウス(Edward House)は、テキサスのいんちき大佐であり、独占資本家達に対する第二次南北戦争で米陸軍士官学校出のフィリップ・ドリュ(Philip Dru)が進歩的軍隊側の軍事的指揮をとるという、逆ユートピア的未来小説を書いた。
 ドリュと彼の進歩的軍隊は、最終的な黙示録的戦闘で独占資本家達を粉砕し、彼は自分自身を独裁者に任じ、憲法的かつ効率的に運営された民主主義への復帰を監督し、メキシコの「革命家達と山賊達」を鎮圧し、米国の支配を赤道から北極までの全北米にまで拡大し、その後、下野し<麻薬の>ヘロインとともに海原の彼方に去っていく。・・・
 <ウィルソン>は、大統領として、南北戦争におけるゲティスバーグの会戦50周年を記念すべく参集した退役軍人達を前に演説した時、黒人、奴隷制あるいは奴隷解放に一切言及しなかった。
 リアーズは、「ウィルソン政権は、ジム・クロウ(注)をワシントンの連邦政府の公式の政策としたが、これにより、アフリカ系米国人の米国の公共生活への参加<の程度>は、南北戦争の戦後において最も低調(nadir)なものとなった。・・・」と記している。
http://www.latimes.com/entertainment/news/arts/la-et-rutten10-2009jun10,0,7732385,print.story
(6月12日アクセス)
 (注)ジム・クロウ法(Jim Crow law)とは、1876年から1965年の間存在した、米国南部における、公共施設利用の際の白人と黒人の分離を制限した州法以下の法律の総称。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jim_Crow_laws
3 終わりに
 思うに、アングロサクソンの至上性を信じるところの、有色人種差別意識に凝り固まり、拡張主義的衝動に取り憑かれた米国、というのは、世紀末から20世紀初頭にかけてだけのことではありません。
 建国以来、というより英領北米植民地時代から、一貫して米国はそうだったのです。
 世紀末から20世紀初頭、更に私に言わせれば朝鮮戦争の頃までの米国の特異性は、このような米国が、一層凶暴化した形で、世界を舞台に暴れ回り、全世界の人々を甚だしく苦しめたことです。
 この期間は、二つに分けることができるのであって、第一期は、世紀末から20世紀の変わり目にかけての米国の海外領土拡張時代、すなわち在来型帝国主義時代であり、第二期は、領土拡張はせず、軍事基地網を海外にめぐらし、覇権を確保維持するという米国型帝国主義時代である、と私は考えています。
 この米国における帝国主義の変異とコインの裏表の関係にあるのが、ロシアにおける、在来型帝国主義からロシア型帝国主義ないしコミンテルン型帝国主義への変異であり、ファシズムは、変異した米ロ両者のせめぎあいの中から生まれた鬼子である、と見るわけです。
 この三つはすべて狂気の産物であり、この狂気の背後にあるのは、冒頭で触れたように、人間が時代について行けなくなったという、人間の内的自然と人間の環境の根源的ミスマッチの深刻化、顕在化である、というのが私の現時点での現代史解釈に係る仮説です。
(完)