太田述正コラム#3603(2009.10.24)
<つい最近まで超男女差別社会だった米国>(2009.11.24公開)
1 始めに
 1960年代まで、凄まじい有色人種差別国であった米国が、昔から男女平等国であったはずはありません。
 その米国において、有色人種差別のみならず、男女差別が大きく是正されたのは、現代の奇跡といえるかもしれません。
 そのあたりのことを、ゲイル・コリンズ(Gail Collins)が書いた、上梓されたばかりの ‘WHEN EVERYTHING CHANGED The Amazing Journey of American Women From 1960 to the Present’ の書評等から、急ぎ足でさぐってみましょう。
A:http://www.nytimes.com/2009/10/21/books/21change.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print(10月21日アクセス)
B:http://blogbusinessworld.blogspot.com/2009/10/when-everything-changed-by-gail-collins.html
C:http://www.progressivebookclub.com/blog/2009/10/07/gail-collins-on-the-amazing-journey-of-american-women
D:http://www.bookpage.com/books-10012432-When+Everything+Changed
 なお、コリンズは、ニューヨークタイムスの社説欄編集者に女性として初めて2001年に就任した人物です。(D)
2 つい最近まで超男女差別社会だった米国
 (1)1960年における米国の男女差別状況
 「・・・欧米世界では、女性の能力と権利は限定的であるとする観念が、歴史が記録されるようになってから一貫して支配的だったが、これらの観念は、私の生涯中に破却された。・・・」(C)
 「・・・「女性の場所は家庭であり、彼女たちは男性達より弱いし公的生活で伍していくことはできない・・という信条が、何千年にもわたって存続してきたが、この信条が私の生涯において粉砕された<のだ>。・・・」・・・」(D)
 「・・・<米国で>1960年代に女性達はどのような生活を送っていただろうか。・・・ ユナイテッド・エアラインでは、女の乗客は、ニューヨークからシカゴへの「ビジネスクラス」を利用できなかったし、いくつかの州では裁判所で時間を費やすことは「家庭における諸義務において懈怠的パーフォーマンスを助長する」として陪審員になることを禁じられていた。
 医学大学院の学部長は、「確かにそうだ。我々は枠を設けていた。我々は、できる限り、女性を排除しようとしていた」ことを認めた。
 同じ仕事をやっている男性に比べて女性には少ない給与を払うことが認められていただけではなく、当たり前だった。
 妻のクレジットカードは彼女の夫の名前で発行されていた。
 また、女性は、銀行ローンは、家を買うためどころか、車を買うためにすら確保するのが容易ではなかった。
 米全国記者クラブは、1971年までは女性の入会が禁止されていた。
 <そして、>誰もこれらの規則や慣習にさして疑問を抱かなかった。
 ドレスコードは、女性にズボンではなくスカートをはくよう求めていた。
 体重が増えすぎたスチュワーデスはクビになった。・・・
 コリンズは、「1960年には、女性は米国の医者の6%、法律家の3%、そしてエンジニアの1%未満だった」と記す。・・・」(A)
 (2)変化を起こしたもの
 このような米国が変わる契機になったのは一体何だったのでしょうか。
 「・・・雇用に関して女性に対する差別を禁止した法律がまさにすべての引き金になった」とコリンズは言う。
 「それは、(1964年に)市民権法(Civil Rights Act)に、本当はこの法案全体を葬り去りたかった一人の南部の下院議員によって冗談ないし注意をそらせる戦術として付け加えられたものだ。
 それから、女性達は抜け目のないことに、その機会に飛びつき、この法案が通過するよう後押ししたのだ」と。
 この下院議員とは、バージニア州選出のハワード・スミス(Howard Smith)だった。
 当時彼は80歳だったが、<同法案の>第7章(Title)に「性」を付け加えることによって、女性の地位向上というよりは、市民権法の通過を遅らせることができるのではないかと期待したわけだ。・・・」(D)
 もちろん、女性のうちの先覚者達の大変な努力があったことも言を俟ちません。
 「・・・<コリンズ>は、すべての人々の平等を求めて、評判、キャリア、そして、命をさえ危うくした女性達の生き生きした事例を描写する。
 その勇気の物語がこの本に提示されているところの、恐れを知らない多くの女性達は、そのために大きな代償を支払った。・・・
 その極めて個人的な生き様を、<この本の>読者が分かち合うこととなったところの、(この本に登場する、)すべての女性達は、歴史を変えた人々として尊敬されなければならない。
 変化は米国における一つの定数であり、これらのすごい女性達は、この変化の最前線にいた人々なのだ。・・・」(B)
 (3)現状と今後の展望
 「・・・2008年の大統領選挙にヒラリー・ロダム・クリントン<上院議員(当時)>とサラ・ペイリン(Sarah Palin)<アラスカ州知事(当時)が登場した>意義<は瞠目すべきものがある。我々はついにここまで来たのだ。>
 <しかし、まだまだ問題はたくさん残っている。>
 社長や法律事務所のパートナーにおける女性の数の少なさ<等がそうだ>。・・・」(A)
3 終わりに
 日本は、人種差別を含め、米国に比べれば、一貫してはるかに差別の少ない国でした。
 しかし、その日本において、女性差別の現状は、半世紀前の米国よりもひどいのではないでしょうか。
 そもそも、この種の冷厳な事実をつきつけるような本を書く女性ですら、最近の日本ではほとんど存在しないように思います。
 だからこそと言うべきでしょうか、せっかく政権交代がなったというのに、民主党から抜本的に日本の女性の差別解消に取り組む気迫は感じられません。
 何度も申し上げていることですが、日本の属国状況と日本の女性差別状況は、自立の欠如という同根の問題であり、だからこそそのどちらも、解消することは容易ではないのです。