太田述正コラム#3609(2009.10.27)
<「自分」は存在するのか(その3)>(2009.11.27公開)
 そこで、冒頭提起した、アーレントとゴールドヘーゲンのホロコースト解釈の違いですが、前者は人間の(その時その時の状況下における)感情に焦点をあてたのに対し、後者は信条(長期的な内面化された社会規範)に焦点をあてた、ということに由来するのではないか、と思うのです。
 しかし、ホロコーストに関して言えば、アーレントの焦点のあて方は不適切であり、ゴールドヘーゲンの焦点のあて方は適切であったと言わざるをえません。
 しかし、これでめでたしめでたし、ということにはなりそうにもありません。
 第一に、少子化の問題です。
 父親と子供の間はもとより、オキストチンが分泌されるはずの母親と子供の間ですら、子供のいることが親の幸せ度を低下させるのだとすれば、子供をつくり、育てようとするかどうかは、どれだけ強固な信条を親たりうる人や親になった人が注入されているかにかかっている、ということになりそうです。
 先進国では、かつてのように、家の存続とか労働力の確保のために子供を持つ必要がなくなった以上、潜在的な親が子供を持たねばならないという強固な信条を注入されるはずがないのであって、親たりうる人は、子供をつくろうとしないでしょうし、仮につくった場合でも、その幸せ度の低下が著しいとから、2度と子供などつくろうとは思わないことでしょう。
 こうなると、少子化を食い止めるためには、社会規範の形成・注入などといったまどろかしい手段ではダメなのであって、国が財政政策・租税政策・規制政策といったありとあらゆる政策を総動員して子供をつくらせなければならない、ということになりそうです。
 第二に、公序良俗に反するような信条、とりわけ、自由民主主義に反するような信条をどうするかという問題です。
 これは、国内的には、初等中等教育においては公序良俗に反するような信条教育、就中反自由民主主義的教育を禁止しつつ、公序良俗に反する信条を抱くのはもとより、表明するのも自由にしておいて、それを行動に移すことを厳しく罰すれば基本的に足りるけれど、他国や国外の団体が公序良俗に反する信条を自国民や自分の団体の構成員に注入するとともに、それを行動に移している場合・・例えば、独裁下で、国民や組織構成員を洗脳しつつ、組織的かつ広汎な人権抑圧を行っている場合・・にはどうすればよいか、という問題です。
 かかる国や国外の団体に対しては、内政不干渉の原則を乗り越えて、経済的・軍事的に介入すべきだ、と言うのは簡単だけど、これを現実に成功裏に実行するのは容易なことではありません。
 まことに悩ましい問題です。
 第三に、フィクションの世界に耽溺することで、異なった自分が現実の世界で悪いことをしたり破綻したりすることを回避する、という意味でフィクションを鑑賞することのかけがえなさに鑑み、フィクション鑑賞の仕方、心得といったものを初等中等教育の中で十分行うことが望ましいのではないでしょうか。
 第四に、インターネットの世界は、フィクションと現実が不分明な部分があるので、今後インターネットのこのような部分についての実態を明らかにするとともに、かかる実態を踏まえた規範を確立した上で、これらに関し、初等中等教育の中で、子供達に対し、みっちりとインターネットとの適切な関わり方について教える必要があるのではないでしょうか。
 
3 補論
 (1)落ち穂拾い
 本文で生かせなかったけれど、捨てがたいくだりを二つ、ご紹介しておきます。
 「心理学者にして最近のノーベル賞受賞者であるダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)は、大腸内内視鏡検査(colonoscopy)のような痛い出来事についての記憶に関する一連の研究を実施した。
 彼は、我々が、この種の出来事を思い出すとき、その終わりにおける痛さの度合いによって影響されることを発見した。
 つまり、当人は、軽い痛みが同じ分量のひどい痛みに付け加えられた場合ですら、軽い痛みで終わった経験の方がひどい痛みで終わった経験よりもマシな記憶を持つというのだ。・・・」(D)
 「・・・人生においては、どう最もうまくゲームをプレイするかを見きわめることが大変なのではなく、あなたが何のゲームをやっているかを見きわめることが大変なのだ。・・・」(B)
 (2)関連記事の紹介
 最後に、関連すると思われる記事をご紹介しておきます。
 「・・・人々が認知的不協和(cognitive dissonance)(注)を経験すると、脳の活動により、我々は精神的にぐらつかされる。
 (注)「主な定義:・ 認知に不協和が存在すると、人間はその不協和を低減させるために、なんらかの圧力を起こす ・ 不協和を低減させる圧力の強度は、不協和の大きさに影響される
 <例えば、>たいていの喫煙者は、喫煙が身体に悪いことを知っている。身体に悪いことを知って禁煙できれば不協和(不快感)は起きないが、タバコをやめられないために不協和が起こる。人間は矛盾する認知を持ち続けることは難しいので、この不協和をなんとか低減しようと試みる。結果、「タバコを吸うことでストレス解消になっている」「タバコを吸わなくても肺ガンになる人はいる」etc.の認知を持つに至る。“禁煙”という行動を新しく起こすことより、自分の認知を変更することの方が、必要なエネルギー量が小さくてすむからだ。・・・」(太田)
http://health.goo.ne.jp/mental/yougo/021.html
 その結果、我々は自分の信条を変えることによって、信条と我々の行動との整合性を再度確保しようとする。・・・
 ・・・<認知的不協和による不快な気持ちをごまかそうとすると>背面(dorsal)前帯状皮質(anterior cingulate cortex)の活動が活発化するのだが、実験参加者達は後で本当に楽しかったと言い出す。
 認知的不協和が生じた時の脳の活動が彼等のその<不快な>経験についての気持ちを変えるわけだ。・・・」
http://www.newsweek.com/id/218637?from=rss
(10月22日アクセス)
(完)