太田述正コラム#3632(2009.11.7)
<アイン・ランドの人と思想(その1)>(2009.12.13公開)
1 始めに
 アイン・ランド(AYN RAND)って誰だ、と思われた方が大部分だと思います。
 しかし、2002年に彼女について紹介している日本の方がいます
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20Ayn%20Rand%20Literature.htm
し、日本には彼女のファンサイトまであるんですよ。
http://www.aynrand2001japan.com/index1.html
 最近、彼女についての本が2冊、米国と英国でほとんど時を同じくして上梓されたこともあり、その人と思想について、いつものように書評をもとに、ご紹介することにしました。
 そのことにより、bastardアングロサクソンたる米国のbastard性解明が一層進捗するのではないでしょうか。
 上梓された2冊の本とは、 
a:Anne Heller;Ayn Rand and the World She Made と b:Jennifer Burns;Goddess of the Market です。
A:http://www.slate.com/id/2233966/
(11月3日アクセス。以下同じ)
B:http://www.economist.com/books/displaystory.cfm?story_id=14698215
(以上、ab両著の書評)
C:http://www.nytimes.com/2009/11/01/books/review/Kirsch-t.html?_r=1&ref=review
(11月1日アクセス)
D:http://www.goodreads.com/book/show/3561809.Ayn_Rand_and_the_World_She_Made
(11月3日アクセス。以下同じ)
E:http://www.nypost.com/p/news/opinion/books/ayn_rand_and_the_world_she_made_kaOq1eqjJOFKD7rtpGoSmM
F:http://blogcritics.org/books/article/the-early-word-new-books-for92/
G:http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2009/11/01/RVSR1AART9.DTL&type=printable
(以上、aの書評)
H:http://www.us.oup.com/us/catalog/general/subject/HistoryAmerican/Since1945/~~/dmlldz11c2EmY2k9OTc4MDE5NTMyNDg3Nw==
(以上、bの書評)
2 アイン・ランドの人と思想
 (1)女としてのランド
 ランドは、哲学者でしたが、それ以上に脚本家であり小説家でした。
 そこで、小説仕立てで話を始めましょう。
  「・・・<その時、>ランド<には既に>穏やかで静かなフランク・オコーナー(Frank O’Connor)という夫<がいたが、>・・・」(E)「・・・彼女は、<自分より25歳も年下の>ナサン・ブルメンソール(Nathan Blumenthal)という19歳の<UCLAの>一年生からファンレターをもらうと、彼を自宅に招いた。
 ランドの本には手練れの性的に他人を支配するような英雄達が一杯登場するのだが、彼女はすぐにこの当惑した男の子と恋に落ちた。
 そして、彼女は、この子は自分が待ち望んでいた「知的承継人」であると決め込んだ。・・・
 ブルメンソールは、名前をナサニエル・ブランデン(Nathaniel Branden)・・・<Branden は>ben Rand(ヘブライ語でランドの息子の意味)のつづり換え語(anagram)だ(E)・・・に改め、ニューヨークに引っ越ししたが、ランドは<夫を引き連れて>彼の後を追った。
 そして彼女は、彼女の被保護者との愛の生活に飛び込んだ。
 その一方で彼にそのガールフレンドと結婚するよう促した。
 こうしてランドは、ブランデンと<週2回、>寝るようになった。
 それぞれの配偶者に自分達がやっていることを常に完全に知らしめることにこだわりつつ・・。
 ・・・そのすべては、ブランデンが若い女優と恋に落ちたことで終わった。
 彼は、・・・1968年に(H)・・・ランドの周りから永久に追放されたのだ。・・・」(C)
 「・・・要するに、ランドは自分の独断的見解(dogma)によって破滅したのだ。
 彼女は、・・・ブランデンと10年にも及ぶ情事を続けた。
 彼は、<ランド・>カルトのナンバー2・・・となったが、彼は、<UCLAで一緒だった>23歳の女性と恋に落ちてしまったのだ。
 ・・・ランドの哲学は、「セックスは決して肉体的なものではないのであって、それは常に共有する諸価値についての深い認識・・相手が最高の人間的業績を体現しているという感覚・・によって鼓吹されるのである、と教えていた。」
 だから、ブランデンが彼女との性的関係を拒否したということは、彼女の諸理念、哲学、そして彼女の全人格(person)が拒否されたことを意味したのだ。
 彼女は叫んだ。
 「あんたが私を拒否するだって? よくもまあそんなことができたものね。あんたにとって最高の価値である私に対して・・」と。・・・」(A)
 「・・・利他主義を拒否したナルシストであったもかかわらず、ブランデンに対しては結局のところセックスにおいて利他主義を求めたわけであり、これは自己矛盾だった。・・・」(E)
 「・・・彼女は自分の生涯を集団主義との闘いに捧げた。
 しかし、<この挿話が物語っているように、>彼女は自分に付き従う人々が彼女に異を唱えることを許さなかった。
 彼女は、自分の側近達を冗談半分に「集団(collective)」と呼んでいたほどだ。・・・」(B)
 (2)生い立ち
 「・・・彼女は、もともとの名前をアリサ・ローゼンバウム(Alisa <Zinovievna >Rosenbaum)と言ったが、<ロシアで、ロシア革命以前の>皇帝時代の寒い冬に・・・ユダヤ人の中産階級の一家に(F)(G)・・・生まれた。>
 それは、1905年の失敗した革命によって彼女の生地のサンクト・ペテルブルグが震撼した直後のことだった。
 彼女の父親は自学自習の薬剤師であり、母親は貴族的な文学・芸術の愛好家であり、この母親は、自分の三人の娘達を厭わしく思っていた。・・・
 この頃、中世以来、最悪の反ユダヤ人暴力が<ロシアで>起きつつあり、この一家は、群衆によって殺されるのではないかと怯えた。
 しかし、最初にこの家族を襲ったのはボルシェヴィキだった。
 1917年の2度の革命の後、父親が経営していた薬剤店は「人民の名の下に」没収された。
 召使い達や乳母達に取り巻かれて育ったアリサには、共産主義者達は、ついには、恐ろしい盗賊群たる大衆の顔に見えてきた。
 わずか2年間で500万人が飢えで死んだ国で、ローゼンバウム一家は飢えた。
 父親は別の商売を始めようとしたが、それも暫く経って没収され・・・てしまう。
 ・・・ローゼンバウム家は、・・・アリサを米国の親戚達を頼って脱出させるべく取りはからった。
 <1926年、>21歳の誕生日の直前、彼女は祖国と家族に永久に暇を告げて米国に渡った。・・・」(A)
 「・・・<米国で>名前を<アイン・ランドに>変えた彼女は、<こうして、>ソ連共産主義からニューディールに至る、彼女が「集団主義」としてこき下ろしたところの、あらゆる類のものに対する容赦なき敵となったのだ。・・・」(C)
(続く)