太田述正コラム#3652(2009.11.17)
<米国とは何か(続x4)(その1)>(2010.3.7公開)
1 始めに
 学者の手になるものではありませんが、ブルース・フェイラー(Bruce Feiler)という一人の米国人が、新著 ‘AMERICA’S PROPHET Moses and the American Story’ の中で、米国史に対するコロンブスの卵的な新しい見方を打ち出し、米国の草の根のメディアの間で大変な話題になっています。
 さっそく、書評等を手がかりに、彼が主張していることをご紹介しましょう。
A:http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/11/13/AR2009111301385_pf.html
(高く評価しつつ批判も。11月14日アクセス。以下同じ)
B:http://www.huffingtonpost.com/bruce-feiler/moses-vs-jesus-who-is-ame_b_311043.html 
(著者によるコラム)
C:http://blogcritics.org/books/article/book-review-americas-prophet-moses-and/
(高く評価)
D:http://www.livingfaithonline.net/?p=664
(高く評価)
E:http://www.politics-prose.com/book/9780060574888
(高く評価)
F:http://www.religiondispatches.org/archive/rdbook/2017/
(批判的)
G:http://www.usatoday.com/news/religion/2009-10-20-moses-america_N.htm
(高く評価)
2 モーゼと米国史
 (1)総論:自由と法
 「・・・<フェイラーによって指摘されてみれば、>当然の可能性だと言えるが、米国がキリスト教的というより、はるかにヘブライ的(Hebraic)である、ということを指摘した者は今まで誰もいなかった。・・・」(A)
 「・・・モーゼ(Moses)は米国史にとってイエスよりも重要であり続けた。
 もちろん、イエスは米国人の生活において影響力を持っている。
 米国には、キリスト教徒が建国当時は100%で現在では75%<もいるから>だ。
 しかし、イエスは米国人達の私的生活においては重要であるものの、彼が我々の公的生活の大きな変遷に及ぼした影響は、モーゼに比べてはるかに小さい。
 イエスの一生の諸主題であった、愛、慈善、貧困の軽減は、米国人達にとって決定的な諸衝動のリストには登場しない。
 <他方、>モーゼの一生の諸主題であったところの、社会的移動性、権力に対する対峙、自由と法の均衡、約束の地への夢、は、これとは対照的に、米国にとって決定的な諸特性のいかなる短いリストにも登場する。・・・」(B)
 「・・・自由(freedom)の概念は、トマス・ペインのような啓蒙思想家達によって米国人に遺贈されたものだが、それは、聖書の物語である出エジプト紀(Exodus)によってユダヤ人達が担保したところのものを、このユダヤ人から得たキリスト教徒達に、(より根本的には)由来している。
 <すなわち、>米国人達の多くが今日享受している自由は、近代の哲学的議論に由来するのではなく、神によって隷属からの自由を与えられた選民達の古の物語に由来するのだ。
 一つの民族(nation)として、我々は、我々のエジプト(欧州)と我々の約束の地(新世界)とを抱き続けてきた。
 我々は、神によって選民達として選ばれるべく立候補をし、我々の地に関し、神にとっての新しいイスラエル<の地>としての下絵を描いた。・・・
 清教徒達は、出エジプト紀の筋書きを通じて彼等の経験を解釈した。
 <独立戦争当時の北米英領植民地の>愛郷者達は、<当時の英国王の>ジョージ3世をファラオと見たし、奴隷達は<奴隷達で、>南部を<自分達が囚われ人となっている>バビロンと見た・・・
 モーゼは、米国人達に、解放だけでなく法について把握する手がかりも提供した。
 メイフラワー号協約(Mayflower Compact)と憲法の承認は、<シナイ(Sinai)半島の>シナイ山で起こったこと<、すなわち、神による十戒の授与、>になぞらえられた。・・・」(A)
 
 「・・・モーゼの<物語の>筋書きは、解放と責任からの自由と解放と責任への自由、の両方にまたがっていた。・・・」(D)
 「・・・モーゼは、法なき自由は混沌であるということを理解し、<神から>十戒を受領した。
 ピルグリム(Pilgrim)達が<北米大陸に>上陸するにあたって、彼等は自分達の一連の諸法を創造した。・・・
 最後に、フェイラーは、第三の主題であるところの、「アウトサイダーを歓迎し恵まれない人々を高揚させる社会の建設」について語る。
 これは単なる、モーゼの物語の左翼的解釈といったものではない。
 そうではなくて、フェイラーは、出エジプトの物語を通じてずっと神がイスラエルの民に慈悲をかけたことに焦点をあてる。
 人民もまた、<恵まれない人々に>慈悲をかけることが期待されている、というわけだ。・・・」(C)
 「・・・米国人によるモーゼ<の物語>の流用は、<米国にやってきた>清教徒達から始まる。
 彼等は、<当時の英>国王ジェームス<1世>をファラオと見、彼等自身をイスラエルの子供達と見、新世界を約束の地と見た。
 メイフラワー号<での北米への航海>が彼等の出エジプトだとすれば、メイフラワー協約は彼等のシナイ山<で授けられた十戒である、>ということになる。
 モーゼは、単に解放者であっただけでなく、法律を与えた者でもあった。
 モーゼの<物語における>一対の主題であるところの、自由と責任は、米国人達の物語において、何度も何度も出現する。
 例えば、ジョージ・ワシントンは、彼の人民を英国の暴政(tyranny)から脱出させた一方で、彼等を憲法的責任へと導いた。
 マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、アフリカ系米国人達を黒人に対する差別待遇(Jim Crow)であるところの、分離(segregation)から脱出させるとともに、<アフリカ系米国人達を>「愛される(beloved)コミュニティー」へと導いたのだ。・・・」(D)
(続く)