太田述正コラム#3998(2010.5.9)
<中共の「資本主義」(その3)>(2010.6.12公開)
 「・・・1989年<の天安門事件>後の指導部の変容は、田舎地域で経験を積んだ実際的で忍耐強い改革者達が、上海のテクノクラート達とリスク回避的な共産党官僚達の一団で取って代わられたものだ。
 その結果は、より規制的な政府の法令と、信用への私的アクセスを制限する、より引き締め傾向のマクロ経済政策による企業家達の着実な締め上げだった。
 田舎における機会を次第に規制する政策の結果、田舎の人々は、潜在的な企業家達ではなく安価な出稼ぎ労働者のたまり場となった。
 その収入を補填するため、資産価値増大とは無縁であることから非熟練労働力に依存することを強いられ、都市家庭の人々に比べて絶対的にも相対的にも、田舎の住民達の純所得増加率は急下降した。・・・」(D)
 「・・・大部分が国有企業 (state-owned enterprise=SOE)によって実行された投資によって、1990年代に経済は押し上げられたが、長期的にはそれほどのリターンが得られそうもない上、機会費用が甚だ大きいものになると思われる。・・・」(H)
 「・・・しかし、世界という舞台でふんぞり返って歩き始めた中共の企業群の次第に増大しつつある強者達をどう考えるべきか?
 これこそ、健康で拡大しつつある私的経済の証拠だろうって?
 しかし、黄氏が提示する証拠は、より詳細に検討すると、これらの企業は本物の中共企業ではないか本物の私的企業ではない、ということを示している。
 コンピューター<製造企業>であるレノボ(Lenovo=聯想)集団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%9C (太田)
が成功したのは、中共の本土ではなく香港からコントロールされ、資金手当がなされ、経営されていたからだ。
 (これは、創立者一家が香港とコネがあったという幸せな遺産を有していたからだ。しかし、このような境遇は、大部分の中共の経営者にとっては無縁だ。)
 白物<家電>メーカーであるハイアール(Haier=海爾)<集団>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97 (太田)
の子会社群も早い時期から中共本土の官僚達の手の届かないように仕組まれた。
 食品製造企業であるワハハ(Wahaha=娃哈哈)<合資>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A8%83%E5%93%88%E5%93%88 (太田)
、電子レンジメーカーのガランツ(Galanz=格蘭仕)<集団>
http://en.wikipedia.org/wiki/Galanz (太田)
、及びその他の企業は、すべて、成長、及び国による弾劾を逃れるため、外国の保護と外国の資本に頼ってきた。・・・」(B)
 「・・・黄は、「国家主導のGDP成長率は今後とも上海で高く維持される可能性がある」と認めるけれど、それは、「巨大な政府投資によって私的インセンティブ抜きで、ソ連の一定の時期で」そうであったのと同じことだというのだ。
 OECDは・・・<中共における>私的部門の工業生産に占める割合は71.2%であると結論づける。
 しかし、黄は、実際の私的部門の占有率は工業付加価値の39.8%であると主張する。
 彼は、中共の法的な株式会社のことごとくが、実際には国家によって所有されていることを示す。・・・」(G)
 「・・・彼は、上海の変貌は企業家達ではなく、巨大な国家の介入によってもたらされたことを証明する。
 それは、中共の縁故(crony)資本主義の至上例であり、土着の私的企業に対する差別でもって特徴付けられる。
 <中共の>GDP成長率は素晴らしかったけれど、平均家計所得の伸びはそれをはるかに下回ってきた。
 換言すれば、国が、増大した税収と大きな政府が優遇したところの企業群によって、貧者の犠牲の下に裨益したのだ。
 都市はまた、異常なまでに腐敗している。・・・
 上海の現代における地位向上は、元市長で共産党書記であった江沢民と朱鎔基が、それぞれ中共の主席と首相になった1990年代に始まる。・・・」(I)
 
(続く)