太田述正コラム#4107(2010.7.3)
<皆さんとディスカッション(続x881)>
<ΩΩββ>(「たった一人の反乱」より)
 太田さんはワールドカップ視てた?
 どうでしたか?
<太田>
 日本が出た試合は、いずれもその中継の一部を見たよ。
 だけど、サッカーそれ自体より、それを比較政治の視点から眺めることに関心があるね。
 例えば、快進撃を続けているドイツ・チームについてだが、ドイツの極右が、チームの半分近くが外国系であることから、そっぽを向いているって話↓なんかに興味あるわけ。
 Most of the country may be in the grip of football fever but one group of Germans are resolutely not supporting the national team. The far-right scene rejects the new multicultural squad as un-German and says it can’t identify. For many, it is consistent with their rejection of the entire democratic state.・・・
 This German national team is the most ethnically diverse ever, celebrated widely as finally being representative of the wider German society. But to the far right, a squad where 11 of the 23 have migrant backgrounds is no longer really German. ・・・
http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/0,1518,704362,00.html
<takahashi>
≫アラン・ミレット・・・の研究報告の5~7ページの「戦略」の節に書かれてるんだけど、長谷川等の主張で、アラン・ミレットの歴史認識は改まったと理解していいのかなあ? ≪(コラム#4105。ΒωωΒ)
 アメリカの歴史学というか社会科学?はレベルが高いので、相対的な物の見方をする学者も少しはいるんじゃないのかな。
 昔、ジョン・トーランドの『大日本帝国の興亡』という本を読んだことがあるけど、この本は日本人の側から見た太平洋戦争だったとおもう。
 中身は覚えてないんだが・・・。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%88%88%E4%BA%A1-1-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-NF-101/dp/4150501017
 いずれにせよ、日米決戦はアメリカの外交上の失敗だったとはならないだろうね。
 失敗となれば、偉大なF・ルーズベルトの偶像も原爆の正当性も崩れてしまう。
 太平洋戦争がなければ、朝鮮戦争もヴェトナム戦争もなかったことは確実だ。
 それにしても、アメちゃんは馬鹿だ。エゲレス人なら東アジアのことは日本に任せて最低限の自分の権益だけ確保しようとするだろうね。
 結論  アメちゃんはエゲレスに劣る。
<太田>
 おっしゃるとおりだけど、米国の世界覇権の確立を目指し、それに成功したという意味では、ローズベルトは大成功を収めたと言えるだろう。
 その結果、英国、日本、支那、朝鮮半島、東南アジア、インド亜大陸等は甚大な被害を被ったわけだけどね。
<Fuku:翻訳>
 太田さんが「この記事は、英語のできる人は全部読むことをお奨めします。」と仰っていたので、英語の読めない人も全部読めるよう訳してみました。
コラム#4103より。
 この記事は、英語のできる人は全部読むことをお奨めします。
 涙なしには読めない、ナチスと「戦った」一人の英雄の物語です。↓
http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/0,1518,702938,00.html
 ヨハン・トロルマンは、ナチスが政権を握っていた時代の若きボクシング・スターだった。彼の経歴の頂点は1933年の6月、ライトヘヴィー級のタイトルを勝ち取ったときだっただろう。しかしトロルマンはシンティ(Sinti)だったため、すぐにタイトルを剥奪された。そしてまもなく、彼はナチスの大虐殺の犠牲となるのだった。
 ベルリン、クロイツベルク地区のヴィクトリア・パークの静かな一角に木々の天蓋に囲まれた場所があるのだが、そこはボクシングリングにしては奇妙な場所に見える。そこにある建造物はコンクリートで出来ている。その基部は一方に向かって急傾斜しており、コンクリートでできた球形の、ボクシンググローヴのような物体が12個、ロープに取り付けられている。これは一体なんなのか?
 近くにある、記念額がすべての疑問を解決してくれる。それにはボクシンググローヴをはめた若いハンサムな男の写真が入っている。この木々に囲まれたボクシングリングは、ヨハン・トロルマンに捧げられた仮の記念碑なのだ。彼は1933年、フィディチン通りのすぐ近くでの試合に勝ったあと、ナチスによってライトヘヴィー級のタイトルを剥奪されたボクサーである。第三帝国下ではトロルマンのようなチャンピオンには居場所がなかった――彼はシンティだったのである。他の50万のロマ(Roma)やシンティと同様に、彼もまたナチスの民族絶滅政策の犠牲となり、1944年に強制収容所で亡くなった。
 彼の記念碑たるボクシング・リングをデザインした芸術家団体、Bewegung Nurrの一員であるアレコス・ホフスタッターが言うには、彫刻の急傾斜は「トロルマンが引きずり込まれた深淵を表現している」。
 ただの動かない記念碑とはまったく違って、トロルマンのタイトル戦勝利77周年を記念して6月9日にベールを取られたこの場所は、この夏、一連の講演やコンサートの舞台となってきた。地域の若者たちのための勉強会は、トロルマンの生涯と第三帝国におけるシンティ、ロマ(ナチスによって「ジプシー」と呼ばれた)への迫害に光を当てた。記念碑の名前は「9841」という簡素なものだが、これはトロルマンの強制収容所での囚人番号だった。
 トロルマンは1907年にハノーヴァー近郊で生まれた。彼の正式なドイツ語名はヨハンだったが、家族や友人にはルーケリ(Rukeli)として知られていた。この名前はロマニー(Romany)語の木という言葉に由来する。彼は幼少の時分8歳からトレーニングを始め、ヘロス・ハノーヴァー・ボクシングクラブで闘うようになった。
 ナチスが政権を掌握する前であっても彼は人種差別の犠牲となった。1928年のオリンピック代表選考委員会は彼を鼻であしらい、彼が倒したばかりの選手を選んだ。それへの対応として、トロルマンはベルリンに移りプロになった。報酬は高く、そこでは皮膚の色ではなく勝利のみが重要なものだった。
 1930年代初頭に入ると彼の名声はすぐに広まり、彼はその「踊るような」スタイルで知られるようになった。容姿のよさが彼をあこがれの的にした。ホフスタッターはトロルマンが「現代ボクシングの発明者の1人」だと主張する。熟達した技術と合わさった機敏でダイナミックなスタイルは、彼をモハメド・アリの先駆者にした。しかしナチスが人気を獲得するにつれて、彼はますます、狂信的な右派メディアにひどくけなされるようになった。メディアは彼を「リングの中のジプシー(gypsy)」と呼んだ。
 ナチスは1933年に政治権力を確実なものにするとすぐに、ヴァイマル共和政下で大変人気になっていたスポーツを統制した。第一次世界大戦後の短時間労働の導入によって生まれた新しい余暇の時間は、大衆娯楽的なスポーツのにわか仕込みの観客を作り出した。そしてボクシングは典型的なプロレタリアの趣味だと思われたにもかかわらず、マックス・シュメーリングなどのボクシングの大スターは、ブルジョア層のファンやベルトルト・ブレヒト、ハンス・アルバース(Hans Albers)といった著名人をもスタンドに引き寄せたのである。
 ナチスの政権獲得はボクシング界にすぐさま影響を与えた。ナチ党員が連邦政府高官の座につき、ユダヤ人は即座にこのスポーツから締め出された。ロマやシンティに対する禁止もすぐに続いた。
 ヒトラーは非常に熱心なボクシングファンだったと、半小説的にトロルマンの生涯を書いた著作『ひれ伏せ、ジプシー』の著者、ロジャー・レプリンガーは言う。「『我が闘争』の中で言及されているスポーツは2つだけです。すなわち、柔術とボクシングです」と彼はスピーゲル・オンラインで述べた。「ヒトラーはこのスポーツを徳であると見なしていて、それはナチスにとって重要なものになったのです」と。親衛隊と兵士たちはボクシングをやって訓練したし、それは学校でも教えられた。英語が語源のBoxenという単語はFaustkampf、つまり拳闘という単語にかえられたのだが。レプリンガーが説明するには、「戦争の準備をしている国家にとって、ボクシングはとても有用なものに思えたのです」。
 「結局のところ、ルーケリがタイトルを剥奪されたのは、ナチスがボクシングを高貴なものだと見ていたからです」と彼は主張する。6月9日のタイトル戦はトロルマンの経歴の頂点でもあったし、また転機でもあった。
 彼と対戦相手のアドルフ・ヴィットは、フィディチン通りのボックビール醸造所で12ラウンドを戦った。トロルマンは明らかにまさっており、判定勝ちすると思われた。しかし試合を見ていたナチス当局者が審査員に引き分けにするよう圧力をかけた。観衆はすぐに大騒ぎを始め、手がつけられなくなる気配があった。
 「観客たちはボクシングについてよく知っており、試合が政治的に操作されていることを見抜いたのです」とこの時代のボクシングの歴史研究家、ソフィア・シュミッツは説明する。「観衆は、このような人種差別に基づいた種の操作に加担する気はまったくありませんでした」身の安全を懸念した審査員はついに折れ、勝利を奪い取られた失望で悲嘆にくれていたトロルマンは、意気揚々とタイトルベルトを受け取った。
 しかし彼の勝利は長くは続かなかった。数日後、彼は「パフォーマンスが不十分だったため」タイトルを取り下げる、との通知を受けた。
 その後に起こったことは茶番でもあり、ある意味ではトロルマンの道徳的勝利でもある。彼は7月21日にグスタフ・エーダーとの再戦を強制された。しかしこのときは彼は「ドイツ・スタイル」、つまりじっと動かず打撃を応酬し合うような方式で戦うよう指図された。トロルマンは、フットワークの軽さを奪われては自分は勝てないとわかっていたので、別の方法で目立ってやろうと決めた。彼は小麦粉で身体を白く塗り、髪をブロンドに染めた――アーリア人を戯画化したのである。その夜、リングに入った彼は、試合に勝つためではなく、尊厳を守るために戦っていたのだ。
 「タイトル戦に負けたあと、彼にとって、ナチス政権下では自分のボクサー人生はおしまいだということは決定的に明らかでした」とシュミッツは言う。彼女は、彼の最後の立派な姿をその声明の中に見る。「私は自分がシンティとして不名誉に扱われることを許さない。私は踊るジプシーという人種差別的な表現を笑い飛ばし、アーリア人のボクサーを演ずる」
 ボクシングの世界から追い出され、1930年代のトロルマンはなんとか生計を立てようと奮闘した。そして新しく出来た「ジプシー収容所」に送られないよう、しばしば姿を隠した。ナチスはそこにロマやシンティを集めて、その後強制収容所に送ったのである。彼は非シンティだった妻と娘たちを守るため離婚した。そして戦争が始まりトロルマンは召集され、すべてのロマとシンティが国防軍から除隊された1942年まで戦った。かつては有名だったこのボクサーはすぐに逮捕され、ハンブルク近くのノイエンガンメ強制収容所に送られた。
 彼は目立たないようにしたが、収容所の所長は戦争前はボクシング関係の職員をしており、トロルマンに気づいた。彼は強制労働と食事不足でひどく弱ったトロルマンに、夜には親衛隊員の訓練をするよう強制した。彼の生命はまさしく危機に瀕していた。
 囚人たちは話し合って、行動に出ることを決断した。彼らはトロルマンが死んだように偽装し、彼を偽りの身分のもと近接したヴィッテンベルゲ収容所に移すことにどうにか成功した。しかしそこでもまた、元スターはすぐに気づかれ、囚人たちは彼とエミール・コルネリウスを戦わせた。コルネリウスは元犯罪者で嫌われていたカポ(収容所で責任を負うかわりに特権を与えられた囚人)だった。必然的にトロルマンが勝ち、コルネリウスはすぐに彼に屈辱を与える復讐を画策した。彼はトロルマンを一日中、くたくたになるまで働かせ、それからシャベルで殴って殺したのである。トロルマンはわずか36歳だった。
 ハイデルベルクにあるドイツ・シンティ・ロマ資料文化センターのシルヴィオ・ペリトーレが言うには、トロルマンの運命はナチス政権下において彼の同胞たちの非常に多くが典型的に経験したものだったという。「彼がどんな苦しみを受けたかを見ると、職業を奪われ、追放され、市民権を剥奪され、ついには強制収容所に送られ、殺されました。これはシンティ、ロマに対するホロコーストの代表的な例です」と彼はシュピーゲル・オンラインで語った。
 ペリトーレによると、修学旅行で若者たちが資料センターに来ると、彼らは特にトロルマンの伝記に興味を示すという。「彼はスポーツマン精神を体現した、勇敢な人物でした」。彼らはトロルマンがナチスに立ち向かったやり方を尊敬し、「彼に感情移入することもあるでしょう」と。
 トロルマンの記念碑はひとまずのところ、他の都市に移されるまでベルリンにあるが、ベルリンにはまた、この木曜日に彼の常設の記念碑ができる。それは、Stolperstein、すなわち「つまずき石」の形である。この小さな記念碑はブロンズ製の四角形で、ナチスの犠牲になった個人を称えて国中の歩道に設置されている。芸術家ギュンター・デムニングが、タイトル戦が行われたクロイツベルクの醸造所があった場所の外側に、トロルマンのつまずき石を設置するだろう。殺されたヨーロッパのシンティ、ロマに対する常設記念碑は今年後半、ほぼ20年の遅れを経て、ドイツ国会議事堂とブランデンブルク門の間に建設される。
 ペリトーレは、記念碑は地域社会に不可欠なものだと言い、ナチスによる大虐殺がドイツのロマやシンティのアイデンティティにいかに大きな影響を与えたか、ということを物語る。「あらゆる一家で家族が殺されました。私の家では、多くの親戚をアウシュヴィッツで失いました。犠牲者の死を正しく理解することは私たちの自己像、アイデンティティにとても重要なことなのです」と彼は言う。「私たちは人々を、今もある反ロマ・シンティ的な偏見に敏感にしなくてはなりません」と。
 芸術家のホフスタッターは、トロルマンの記念碑は今日の差別との関係にあたって、またロマ、シンティの良いイメージを作るために重要だと言う。「私たちはこれがドイツ文化の一部であると示しているのです。トロルマンはチャンピオンでした。そしてロマやシンティの若者はそれに誇りをもっていいのです」 と。
<太田>
 こいつはすごいや。
 ただ、記事の全文の翻訳なので形式的には著作権違反になりそうです。
 でも、翻訳は、原文に新たな付加価値をつけたわけだし、この記事を掲載したシュピーゲルの英語版の宣伝にもなるわけなので、シュピーゲルは目をつぶってくれるのではないか、と期待します。
 私がMSワードにダウンロードした記事は、約110行でしたので、これだけで、更に半年分コラム名誉読者権が授与されます。
 おめでとうございます。
 それでは、記事の紹介です。
 米国の将官クラスがどれだけ優遇されているか、分かるよ。
 これは、軍人全体がいかに優遇されているかの証左でもある。
 日本「独立」にあたって、自衛官に対する恩給制度的なものの復活など当たり前だと認識して欲しい。↓
 ・・・Under Army regulations, four-star generals must serve three years in that rank before they can keep it in retirement, but the president can waive the rule. General McChrystal was awarded his fourth star only last year, when he was made the top American and NATO commander in Afghanistan. He announced his plans to retire on Monday, five days after being fired.
The White House decision means that General McChrystal, 55, will receive 85 percent of the base pay of a four-star general with 34 years of active service, amounted to an annual pre-tax retirement income for life of $181,416, according to Pentagon calculations. Had he retired as a three-star, the Pentagon said, General McChrystal would have received an annual pre-tax retirement income of $160,068.・・・
http://www.nytimes.com/2010/07/03/us/politics/03mcchrystal.html?ref=world&pagewanted=print
 19世紀前半の米国人、既に鼻持ちのならない連中だったんだね。↓
 ・・・Tocqueville couldn’t decide what to make of his hosts. “The people here seem to be stinking with national conceit,” he wrote his mother. “They harass you continually to force you to praise them, and if you resist all their attempts, they praise themselves.” Americans rejected the idea that wealth, education or attainment might lift certain groups above others. “The entire society seems to have merged into the middle class.”・・・
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/25/AR2010062502263_pf.html
 前段の中共の現在はオーウェルではなくハックスレーの世界だっての前にも一度出てきたような気がするね。
 後段のトウ小平の挿話、ちょっと面白い。↓
 ・・・it is more helpful to think of China in terms of Aldous Huxley’s Brave New World than George Orwell’s 1984. “Orwell emphasises the role of fear in keeping people in line, while Huxley pays more attention to how needs and desires are created, manipulated and satisfied.” Higher living standards, mass consumerism and an explosion in public access to media (so long as it does not cross certain political lines) are more reminiscent of the former novel than the latter・・・
 ・・・the actress Shirley MacLaine, who was seated near Deng Xiaoping at a 1979 banquet. She explained to Deng how impressed she had been during a trip to China when she had met a Chinese scientist. He had told her how grateful he was to Mao for banishing him from his ivory tower and sending him to the countryside to learn about ordinary people and grow cabbages. “Deng, ever the polite listener, looked her squarely in the eye and said earnestly, ‘He was lying.’”・・・
http://www.ft.com/cms/s/2/8b95460e-8560-11df-aa2e-00144feabdc0.html
 我々は、合理的意思決定の主体であるなどとうぬぼれてはいけないようだ。↓
 ・・・People often act in order to realize desired outcomes, and they assume that consciousness drives that behavior. But the field now challenges the idea that there is only a conscious will. Our actions are very often initiated even though we are unaware of what we are seeking or why,・・・
 It is not only that people’s actions can be influenced by unconscious stimuli; our desires can be too.・・・
  ・・・unconscious processes can even be influenced by stimuli within the realms of consciousness, often in unexpected ways. For instance, ・・・people sitting in hard chairs are more likely to be more rigid in negotiating the sales price of a new car, they tend to judge others as more generous and caring after they hold a warm cup of coffee rather than a cold drink, and they evaluate job candidates as more serious when they review their resumes on a heavy clipboard rather than a light one.・・・
http://www.time.com/time/health/article/0,8599,2000994,00.html
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 一人題名のない音楽会です。
 どクラシックの中間的総集篇をお送りするのはまだ早すぎるという結論に達しました。
 そうです、バッハですら取り上げていなかったのですから。
 よって、今回はバッハ小特集です。
バッハ(グノー編曲)アベマリア キリテカナワ
http://www.youtube.com/watch?v=R93biXI1Mxg&feature=related
同上 G線上のアリア 東京フィルハーモー交響楽団/千住真理子
http://www.youtube.com/watch?v=tFb6qwYWxeg
同上 ピアノ協奏曲第1番 グレン・グールド
http://www.youtube.com/watch?v=J6uqD_D07PU&feature=related&fmt=18
同上 ピアノ協奏曲第7番 グレン・グールド
http://www.youtube.com/watch?v=wyOf_L4cNHc&feature=related
同上 小フーガ
http://www.youtube.com/watch?v=qnq0Hwye4Is
同上 プレリュード ヨーヨーマ
http://www.youtube.com/watch?v=dZn_VBgkPNY&feature=related 以下
同上 トッカータとフーガ・ニ短調 Karl Richter
http://www.youtube.com/watch?v=Zd_oIFy1mxM&feature=related
同上 二重協奏曲より パールマン+スターン
http://www.youtube.com/watch?v=vesrqFeq9rU&feature=related 以下
同上 バイオリン協奏曲 イ短調 第一楽章 オイストラフ
http://www.youtube.com/watch?v=wbHVIwSMJrw&feature=related
同上 パルティータ パールマン
http://www.youtube.com/watch?v=5bVRTtcWmXI&feature=related 以下