太田述正コラム#3904(2010.3.23)
<世紀の追っかけとその生涯>(2010.7.12公開)
1 始めに
 歴史家(としか分からない)ジョン・フォックス(John Fox)が、イギリス内戦時代の王党派の追っかけ(royalist groupie)としてだけこれまで知られてきた17世紀の女性、ジェーン・ウォーウッド(Jane Whorwood。1612~84年)(B)の生涯を描いた ‘The King’s Smuggler: Jane Whorwood, Secret Agent to Charles I’ が上梓されたので、ささやかながら、追っかけとまんざら無縁ではない私としては、これは紹介しなければ、と色めき立った次第です。
A:http://www.ft.com/cms/s/2/9e707870-2d4f-11df-9c5b-00144feabdc0.html
(3月16日アクセス)
http://www.historytoday.com/MainArticle.aspx?m=33850&amid=30304683
(3月21日アクセス)
2 世紀の追っかけとその生涯
 (1)ジェーンの活躍
 「・・・イギリス内戦における最も毅然とした秘密エージェントの一人<がジェーン・ウォーウッドだ。>・・・(A)
 「・・・<彼女は、>チャールス1世を助け、守るために生命の危険を何度も繰り返し冒した、活発極まりないスコットランド人たる女性<だった。>・・・」(B)
 「・・・フォックスは、・・・1643年から44年にかけて(B)・・・ジェーンがロンドンのシティーから8万5,000英ポンド相当・・・少なくとも775キロ(B)・・・の金を密搬出する手はずを整えた、と説得力ある形で示唆する。
 <それは>・・・、石鹸の大樽に入れられ王室洗濯女達によって運ばれた。
 彼女達は、<本来国王が居住すべき>ロンドンと<国王が仮に居住していた>オックスフォードとの間を自由に行き来できる数少ない集団のうちの一つだった。
 それは、大胆な違法行為であり、おかげでジェーンは、<チャールス(1世)>国王の不朽の信任を得た。
 彼が最終的に<議会派によって>捕らわれた時、彼女には更に重要な役割が委ねられた。国王の逃亡を組織するという・・。・・・」(A)
 
 「・・・彼女は、オックスフォードにいた国王に金を密搬出するとともに、チャールスと、各地方及び<イギリスの>ロンドンと<スコットランドの>エジンバラの王党派との間のネットワークを確立した。・・・ 
 共和制の時代においては、王党派の<国王に対する>献金者リストはカネのなる木だった。
 というのは、金欠病に陥っていた英議会は、露見した献金と同額を罰金として徴収したからだ。・・・」(B)
 (2)ジェーンの生涯
 「・・・ジェーンは、<廷臣の父のもとに生まれたが、>1634年に家を出て<結婚した。>・・・
 ジェーンは、1635年から39年の間に4人の子供を産み、うち2人・・・は幼児のうちに死に、一人の男児・・・と一人の女児・・・が残された。・・・
 <彼女の亭主は、イギリス内戦にあたって、>中立的立場をとることとし、フランスに逐電した。
 ジェーンは、・・・彼女の義理の母と二人の子供達とともに置いてけぼりにされた。・・・
 <その後、>フランスから戻ってきた<亭主>は、召使いが気に入ってジェーンの代わりに彼女を実質的な妻の座にすえた。
 ジェーンの方も、騎兵士官の・・・とねんごろになったと噂された。
 そのためか、ジェーンの義理の母は、1647年に書いた遺言書で、ジェーンには全く言及せず、あたかもジェーンがもう亡くなっていたかのように扱っている。・・・」(B)
 「ずっと後に、ジェーンは、<亭主のところに>戻ってくるのだが、そこで彼女は、暴力的な亭主と彼の情婦とにあいまみえることになる。
 1857年4月に亭主によって重傷を負わされたジェーンは、逃げだし、離婚するための証人を何人も揃え<、離婚し>た。
 それからの25年間、<この元亭主は、>離婚した妻に支払うべき扶助料の大部分を滞納し続け、下院で議員立法(Private Member’s Bill)を何度も行って彼女を攻撃し続けた。
 他方、彼女の方でも、<議会の各種機能を駆使して>反撃した。
 1660年<に王政復古がなったが、>彼女が王室に対して行った尽力に対して何らの顕彰もなされなかったし、彼女自身もスチュアート王家に対する自分の奉仕について公に何も語らない<まま、彼女はその72年の生涯を閉じることになる>。・・・」(B)
 (3)チャールスと結ばれたジェーン
 「・・・彼女は、同時代人達から「赤毛の」とか「背が高くて服装のセンスが良くて言葉遣いが良い淑女(gentlewoman)で丸顔で顔にあばたがあった」と描写されている。
 <残念ながら、その>肖像画は残されていない・・・。」(B)
 「・・・<彼女とチャールス1世>は、チャールスが牢獄に入れられていた時に結ばれるに至る。・・・」(A)
 
 「・・・チャールスの方から、関係を持つことを仄めかしつつ、彼女に、自分が・・・捕らわれている部屋に密かにやってくるよう求めたのだ。・・・
 衛兵が非番となる24時間の間に、ジェーンは彼の求めに応え、彼<が捕らわれていた>城の宿舎を夜、訪問した。・・・」(B)
 
 「・・・<翌年の1月30日に48歳で処刑されることとなるチャールスの>1648年10月の証言は明確だ。
 「私が彼女以上に信頼している者はいない」と。・・・」(B)
 
3 終わりに
 自身の家庭生活は惨憺たるものでしたが、チャールスと結ばれ、チャールスにそうまで言わせたジェーンは、心豊かな追憶の余生を送った、と思いたいところです。
 男女の純愛ってどんな時代のどんな地位の人にもありうる