太田述正コラム#4278(2010.9.26)
<映画評論13:エリザベス/エリザベス ゴールデン・エイジ(その1)>(2010.10.26公開)
1 始めに
 今回は、タイトルこそ映画評論ですが、評論とは言えないかもしれません。
 英国映画である、『エリザベス(Elizabeth)』(1998年)とその続きである『エリザベス ゴールデン・エージ(Elizabeth:_The_Golden_Age)』(2007年)を、私のアングロサクソン文明・欧州文明対峙論のイメージをつかみたい方に好適であることから、鑑賞することを勧める論、といったところです。
 以下、下掲に拠りました。
A:http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_(film)
(9月25日アクセス。以下同じ)
B:http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_I_of_England
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_of_Guise
D:http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Howard,_4th_Duke_of_Norfolk
E:http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Dudley,_Earl_of_Leicester
F:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
(9月26日アクセス。以下じ)
a:http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth:_The_Golden_Age
b:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9:%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8
c:http://en.wikipedia.org/wiki/Shekhar_Kapur
d:http://en.wikipedia.org/wiki/William_Nicholson_(writer)
e:http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Hirst_(writer)
α:http://en.wikipedia.org/wiki/Elizabeth_I_of_England
2 エリザベス
 (1)序
 この映画は、第71回アカデミー賞で、作品賞を始めとする7部門にノミネートされ、メイクアップ賞を受賞しました。(F)
 
 (2)時代背景
 イギリス国王のエリザベス1世(1533~1603年)は、異母姉のメアリー1世(1516~58年)から王位を継承します。
 このメアリーの母方の祖父母は、アラゴンのフェルディアンド2世とカスティリアのイザベラ1世・・この二人はスペインの初代の(共同)国王となった・・であり、彼女の従兄弟は神聖ローマ皇帝のカール5世です。
 父親のヘンリー8世がカトリック教会と断絶したわけですが、1547年にその後を襲ったメアリーの異母弟の青年エドワード6世(1537~53年)(の摂政団)もその方針を受け継いでいたところ、メアリーはカトリック教徒であり続け、私的にカトリック教徒として祈祷をする許可を得ようとしますが、摂政団に拒否され、カール5世の助けを借りてようやくその許可を得ます。
 このエドワード6世の病死に伴い、1553年に王位をイギリス最初の女性国王として(α)継承したメアリーは、イギリスをカトリック国に復帰させるべく努力するのですが、その過程で、それに反対する者284人を、多くは焚刑により処刑し、「血腥いメアリー(Bloody Mary)」と呼ばれます。
 また、メアリーは、1554年、彼女が37歳の時に、非カトリック教徒たるエリザベスに王位を継承させないよう、カール5世のたった一人の嫡男であるフェリペ(1556年からスペインのフェリペ2世となる)と結婚します。
 しかし、結局子供をさずかることなく、メアリーは1533年に死亡し、エリザベスが王位に就くのです。(以上、特に断っていない限り、Bによる。)
 なお、1554年3月に、エリザベスが、非カトリックによる叛乱に荷担した廉でロンドン塔に幽閉されるのですが、メアリーとしては彼女を処刑したかったところ、廷臣達から反対されて翻意し、その2ヶ月後にエリザベスを解放するも、1年間弱、ある邸宅に軟禁させています。(α)
 つまり、すんでのところで、イギリスは、ヘンリー8世によって名実ともに実現したカトリック/欧州からの「独立」が水泡に帰するところだったということです。
 しかし、その後もカトリック/欧州勢力はイギリスを「征服」すべく画策を続けます。
 (『エリザベス ゴールデン・エージ』で描かれる画策の中心は、スペインによるものですが、)『エリザベス』で描かれる画策の中心は、スコットランドを通じたフランスがらみのものです。
 エリザベスの治世の初期、スコットランドは、完全にカトリック/欧州勢力にからめとられようとしていました。
 エリザベスの即位の翌年、スコットランド国王のジェームス5世が死亡し、その未亡人のマリー・ド・ギーズ(Marie de Guise=Mary of Guise。1515~1560年。スコットランド摂政:1554~60年)が、彼女の、王位を継承した幼少の娘、メアリーの摂政(regent)になります。
 マリーは、フランスの名門貴族の家に生まれ、2度目の結婚で、同じく2度目の結婚のジェームス5世に嫁いだのですが、1548年には、メアリーを、フランス国王のアンリ2世の皇太子とともに、その許嫁として育てるべく、フランスに送ります。
 また、マリーは、フランス人を財務大臣や国璽詔書(Great Seal)に就け、フランスの大使を時々枢密院(Privy Council)の会議に参加させました。
 そして、1558年に、いよいよこの皇太子とメアリーは結婚します。
 スコットランドの貴族達は、これではスコットランドがフランスの支配下に入ってしまうと反発し、叛乱を起こします。
 エリザベスはイギリス軍を派遣してこの叛乱に与し、在スコットランドのフランス軍と戦わせます。
 その最中、マリーが病死し、その遺体はフランスに送られて埋葬されます。
 その後、休戦がなり、フランス軍とイギリス軍はそれぞれ母国に引き揚げるのです。(C)
(続く)