太田述正コラム#4282(2010.9.28)
<映画評論13:エリザベス/エリザベス ゴールデン・エイジ(その3)>(2010.10.28公開)
3 エリザベス ゴールデン・エージ
 (1)序
 この映画は、前作に引き続き主演したケイト・ブランシェット(Cate Blanchett。1969年~。オーストラリアの女優・舞台監督
http://en.wikipedia.org/wiki/Cate_Blanchett
)が、第80回アカデミー賞で最優秀主演女優賞にノミネートされたほか、衣装デザイン賞を受賞します。(a、b)
 『エリザベス』の方の脚本はイギリス人のマイケル・ハースト(Michael Hirst。1952年~)の単独執筆でした(e、A)が、こちらの方の脚本は、ハーストと、やはりイギリス人のウィリアム・ニコルソン(William Nicholson。1948年~)との共同執筆です。
 必要不可欠とは思えないのに共同執筆にしたのは、カトリック教徒で経歴及び家族が華麗な人物・・本人がケンブリッジ卒のカトリック教徒で、彼の作家の奥さんの祖母がヴァネッサ・ベル(Vanessa Bell)で大叔母がヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)で父親が歴史学者のクェンティン・ベル(Quentin Bell)(d)・・を加えることで、前作がカトリック関係者を中心に、歴史歪曲が過ぎるという批判を受けたところ、今度の(やはり歴史歪曲を伴う)作では、このような批判を少しでも緩和することを狙ったのではないかという気がします。
 (2)時代背景
 1565年にスコットランド女王のメアリーは、ヘンリー・スチュアート(Henry Stuart, Lord Darnley。1545~67年
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Stuart,_Lord_Darnley
)と再婚します。
 スチュアートは不人気となり、彼がメアリーのイタリア人秘書の殺害の首謀者となったことで、その不人気は決定的なものになります。
 そのスチュアートは、1567年に、恐らくはジェームス・ヘップバーン(James Hepburn, 4th Earl of Bothwell。1534?~78年)
http://en.wikipedia.org/wiki/James_Hepburn,_4th_Earl_of_Bothwell
)に率いられた一団によって殺害されます。
 ところが、あろうことか、その直後にメアリーはこのヘップバーンと3度目の結婚をしたため、メアリーは自分の前夫の殺害に関与していたのではないかと噂されることになるのです。
 エリザベスは、生涯、メアリーと一度も面会することはありませんでしたが、この時、この結婚を厳しく批判する手紙をメアリーに送っています。
 その後、1567年に叛乱勢力に破れ、メアリーは退位させられ、幽閉されてしまいます。
 そして、スコットランド国王となった(スチュアートとの間に生まれていた)1歳の息子のジェームス(James VI & I。1566~1625年)・・ジェームス6世。エリザベスが死去した1603年からはイギリス王を兼ねる(イギリス王としてはジェームス1世)。・・
http://en.wikipedia.org/wiki/James_I_of_England
は、彼女から引き離されてプロテスタントとして育てられることになります。
 やがて1568年にメアリーは幽閉先を脱出して兵をあげますが、再び叛乱勢力に敗れ、彼女はイギリスに逃亡します。
 エリザベスは、メアリーを投獄し、メアリーはそれから19年間、イギリスで牢獄生活を送ることになります。
 1569年には、ノーフォーク公爵(前出)とメアリーを担ぎ上げる形のカトリック教徒の叛乱がイギリスで起きますが鎮圧されます。
 この叛乱が成功すると信じて1570年に当時の法王ピオ5世(Pius V)が発したRegnans in Excelsisなる教書には、「偽りのイギリス女王にして罪人であるエリザベス」は異端であり、彼女の臣民達は彼女への忠誠義務を負わないものとし、彼女の命令に従った者は破門すると記されていました。
 また、1570年代から、カトリック僧侶達が次々とイギリスに密航してきてイギリスのカトリックへの再改宗を果たそうとしました。
 1571年にノーフォーク自身による政権転覆の陰謀(Ridolfi Plot)が起き、彼はついに処刑されます。
 そして、今度は1586年に、メアリーが関与する政権転覆の陰謀(Babington Plot)が起きるのです。
 エリザベスは、メアリーの処刑には反対し続けますが、メアリー関与を裏付けるメアリー署名の手紙類が確認されたため、ついに1586年、彼女はメアリーの処刑を認め、処刑がなされます。(α)
 以上は、フランス/カトリックの脅威の史実でしたが、今度は、スペイン/カトリックの脅威の史実です。こちらの史実は、ご存じの方も多いことでしょう。
 国教会のイギリスとプロテスタントのオランダは、1585年に条約(Treaty of Nonsuch)を結び、現在のベルギーのオランダ語地域にまで及んでいだスペインの脅威に対抗しようとし、エリザベスは、オランダにダドレー(レスター伯爵。前出)を司令官とするイギリス軍を派遣します。
 これが、英西(イギリス-スペイン)戦争の始まりであり、この戦争は1604年(Treaty of London)まで続くことになります。
 他方、海上では、イギリスの私掠船・・いわゆる海賊船・・が、私益とイギリスの国益のために、大西洋上でスペイン船を盛んに襲いました。
 一番有名なのは、1585年から86年にかけてのフランシス・ドレイク(Sir Francis Drake。1540~96年。イギリスの船長・私掠者・航海家・奴隷貿易家・著名な海賊・政治家
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_Drake
)によるものです。
 1587年には、彼は、スペインのハディズ(Cadiz)港に襲撃をかけ、スペイン艦隊の艦船を多数破壊します。
 そこで、ついにスペインのフェリペ2世はイギリス本土に侵攻する決意を固めます。
 1588年7月、大艦隊アルマダがスペインを出発します。
 まずは、オランダ近くに陣取っているスペインのパルマ公爵(Duke of Parma。1545~92年。スペイン領オランダ総督:1578~92年
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Farnese,_Duke_of_Parma
)のところに向かい、パルマ隷下のスペイン陸軍部隊を艦隊に乗船させて、イギリスを目指そうとしたのです。
 しかし、大きく鈍重な艦船で構成されていたアルマダは、機動性に優れた小型の艦船で構成されていたイギリス艦隊(太田)(副司令官はドレイク)に後れを取り、天候も味方しなかったことから、アルマダは予想外の大敗北を喫してしまいます。
 イギリス本土では、レスター伯爵の指揮の下、イギリスの民兵を招集してスペインの侵攻に備えていましたが、イギリス艦隊の勝利がまだ伝わっていなかった8月8日、エリザベスは、エセックスのティルベリー(Tilbury)でこの民兵部隊の観閲を行い、「私は弱くかそけき女性の身体を持っているが国王の心臓と腹を持っている」というくだりを含む、彼女の最も有名な演説を行うのです。
 英西戦争の時もそうですが、エリザベスは、戦争を極力避けようとし、また戦争になった場合でも、深入りを避けようとしたことで、ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh。1552?~1618年。イギリスの貴族・作家・詩人・兵士・廷臣・スパイ・探検家。新世界からタバコをもたらすとともに、北米に最初のイギリスの植民地であるヴァージニアを建設した。エリザベスの寵臣の1人
http://en.wikipedia.org/wiki/Walter_Raleigh
)等の批判を招いていますが、通説はエリザベスに軍配をあげています。
 (以上、特に断っていない限り、(α)による。)
 (3)この映画に対する批判
 この映画は、前作以上に史実を脚色してつくられていますが、具体的な指摘は行わないことにします。
 さて、BBCの映画評番組で、評者は、「この映画は、イギリスの過去の物語をホイッグ的史観に完全に心を寄せて伝えたものであり、かくも愛国的な映画を見るのはびっくりする」と語りました。
 「・・・アルマダの・・・破壊の場面は、<カトリック>教会バッシングのイメージが募るばかりだ。
 燃えている浮き荷の囲まれて漂うロザリオ、逆さになって大洋の底に沈んで行く十字架のキリスト、敗北してこそこそ逃げる不吉な様子の法衣を着た僧侶の一群。
 ・・・こんな教会バッシング映画は見たことがない」と評した評論家もいます。
 あるカトリック系雑誌は、この映画は、『ダヴィンチ・コード』よりもカトリック教会にダメージを与えるとし、「この映画は、聖歌を歌う僧侶達やきらめく十字架のぞっとさせる接写によって、カトリシズムとホラー映画に出てくるようなカルトとを同一視している。」という評を掲げました。
 以上は、イギリス内での批評ですが、欧州を代表するものとして、法王庁に近い立場のイタリアの歴史学者による、この映画は、無神論者と「黙示録的キリスト教徒」の同盟による「カトリシズム、法王庁及び法王主義に対する協調的攻撃」の一環を構成している」と断言した評があげられます。
 この評者は続けて、「イスラム教の、仮定された、ないしは本当の脅威に直面して我々欧米のアイデンティティーの再生が、我々によって懸命に試みられている今日というまさにその時に、こんな倒錯した反カトリック的プロパガンダを提起するのはどうしてなのか」と記しています。
 彼はまた、フェリペ2世が「凶暴な狂信者」として演じられている、とも指摘しています。
 (以上、(a)及び
http://www.list.co.uk/article/5498-queen-elizabeth-i-film-angers-catholic-church/
(9月27日アクセス)による。)
(続く)