太田述正コラム#4076(2010.6.17)
<悪について(その2)>(2010.10.30公開)
 (2)イーグルトンの主張
 「・・・保守派は、罪深き人間の御しにくい意志や愛情を統御するための諸制度の役割を極めて重視する。・・・
 この保守派が原罪を信じるけれど罪の購いを信じないとすれば、自由主義派は<それとは逆に、>罪の購いを信じるけれど原罪を信じない。・・・
 彼等の真言(マントラ)は、<諸制度等の>外部の障害を除去せよと言う。
 そうすれば、<神の>王国は、自由主義派の想像中の天国にあるがまま地上に現出する、と。
 一方、過激派は、この二つの極端の間で危うげな均衡を維持しようと試みる。・・・
 イーグルトンは、過激派が絶望へと滑降していくのを防ぐものは、彼が呼ぶところの唯物論(materialism)の理解であると信じている。
 ・・・唯物論とは、大部分の暴力と不正は、物質的な諸力の帰結であって、個々人の悪しき性癖(disposition)の帰結でない、という信条のことを意味している。・・・
 彼は、大部分の非道徳的なふるまいは諸構造と諸制度の産物であって、それに関わった諸個人の責めに完全に帰するわけにはいかないと信じているのだ。・・・」(D)
 「・・・私のイーグルトン理解が間違っていないとすれば、それは、悪は、(単に邪悪さであるところの)個々人が善から逸脱した場合に生じるもの、などという単純な話ではなく、死、痛み、そして破壊の恐怖を克服するために、それらを他者に加えることによって生じる、というものだ。・・・」(B)
 「・・・IRAは単に邪悪なだけだが、ホロコーストは悪だ、と彼は言う。
 なぜなら、IRAによる殺害は、<北アイルランドのカトリック系住民に対する英国政府やプロテスタント系住民による>不適切な取り扱いと受け止められたところのものよって拍車をかけられたのであって、議論し対処することが可能であったからだ、と。
 イーグルトンは、今日のイスラム・テロリスト達についても、同様、欧米が彼等の不平不満に対処しておれば暴力を用いないよう説得することができたはずだと言う。
 (もっとも、彼は、イスラム原理主義の悪しき頑迷さ(bigotry)を否定はしない。)
 彼は<また>、ヒットラーの<ユダヤ人問題に係る>最終的解決が目的を持っていたことも認める。
 <その目的とは、>ドイツを劣等とみなされた者達から浄化することから、ユダヤ人を国家の諸問題に係る贖罪の山羊に仕立てることに至るものだった。
 しかし、かれはなお、そんなことは理屈になっていないことを発見する。
 なぜなら、ユダヤ人を贖罪の羊に仕立てるには、何も600万人も彼等を絶滅させる必要などないからだ、と。
 また、ユダヤ人、ジプシー、同性愛者その他、死の収容所で殺害された人々は、民族的純粋性に対する「実際的な(practical)」脅威とは言えないからだ、と。・・・」(C)
 「・・・イーグルトン・・・は「現実に悪の行為も悪の個人も存在する」と明解なる見解を表明する。
 これは、マルクス主義者であることを自認している者としては仰天するような宣言だ。
 というのも、この類の連中は、通常、悪そのものの存在を否定し、すべての悪い行いは社会的諸条件の直接的帰結であると見るものだからだ。・・・
 イーグルトンは、自分の悪の概念は超自然的な現象ではないことを急いで強調する。
 「悪の諸観念は、偶蹄のサタンを措定する必要はない」と。
 それでいて彼は、彼が呼ぶところの「道徳性に関する地域労働者(community-worker)理論」・・どちらかと言うと、がちがちのマルクス主義同様、「悪」を「実は社会的不幸<の産物>以上の何物でもない人々を悪魔視する装置」であると見なす理論・・を頭から拒否する。・・・
 イーグルトンにとっては、悪は究極的な、かつ最も純粋に表明されたところの、虚無主義(nihilism)以上でも以下でもないからだ。・・・
 <それは、>破壊への渇望(rage)<であって、>フロイドの死の本能の理論によって明解に説かれている、と彼は見ているのだ。・・・」(G)
 「・・・悪は、それから何も得るところのない誰か、「邪悪のために邪悪に」携わる誰か、によって遂行されなければならない、とイーグルトンは言う。
 しかし、彼が銘記するように、かかる事柄について多大の考察を行った哲学者のカントは、こんなことが心理学的に「可能である」とは「実際のところ考えなかった」のだ。
 というのも、最もサディスティックな殺人者といえども、もしも彼が、彼の見解からすれば(たとえそれが邪悪な種類の愉楽であろうと)追求に値する一つの目的を追求しているとすれば、かつ、彼が自分の同胞に対して与えている痛みを理解しているとすれば、彼は人類の心理学的境界線の内側にとどまっているからだ。・・・
 それでもなおかつ、イーグルトン氏は、世俗的な悪は存在すると言う。・・・
 ナチス・・・はその「害虫的(verminous)」犠牲者達を非人間として扱うことで、自己の非人間性を示した<ところの、世俗的な悪だというのだ>。・・・」(H)
→分からなかったら、質問して下さいね。(太田)
(続く)