時事コラム

2001年12月18日 
<太田述正コラム#0006>
民主主義とキリスト教 
            
 米国人がナイーブだなと思うのは、キリスト教なくして民主主義は成立し得ないと思いこんでいるだけでなく、そう公言する人が相当のインテリの中にも多数見受けられることです。英国人は、大人ですから、仮にそう思っているとしても、そんな得にもならないことは決して口にはしません。
 ちなみに、米国人がキリスト教と言う場合、ギリシャ正教は含まれません。もっとも、WASP(白人でアングロサクソンでプロテスタント=かつての米国の多数派)系米国人にしてみれば、カトリックも含まれないと言いたいところなのですが、それではカトリック教徒の米国人や大部分がカトリック教徒であり、米国の裏庭たる中南米の人々がおさまらないので、さすがにそこは口を濁します。
 このナイーブな米国人インテリの典型が占領期日本の連合国軍最高司令官マッカーサーです。
 マッカーサーは、日本がキリスト教化されるまでは日本における民主化は成功しないと信じており、日本がキリスト教化されるだろうという希望と信念を持ち、その目的に向かってできるかぎりの努力をしていることを隠そうとはしませんでした。(ウィリアム・P・ウッダード「天皇と神道?GHQの宗教政策」サイマル出版会1988年(原著は1972年)283頁)
 このマッカーサーの思いこみが二重に誤りであること・・日本は戦前において既に民主化されていた(拙著「防衛庁再生宣言」第5章参照)し、いずれにせよ日本の民主化はキリスト教抜きでなしとげられたこと・・は、あえて申し上げるまでもありますまい。
 時代が下がり、著書「文明の衝突」(1997年)の中で同時多発テロ等を予言したとして、現在改めて注目を浴びているハンチントン教授もまた、ナイーブな米国人インテリの典型にほかなりません。
 というのは彼が、「文明の衝突」の中で、韓国の総人口に占めるキリスト教徒の割合は1950年には恐らく1-3%に過ぎなかったのに、それが1980年代までには30%に増大したし、中国でもキリスト教徒が著しく増加しつつある(原著ペーパーバッグ版98-99頁)とうれしげに記述した上で、フィリピンではカトリックと米国の強い影響の下で1980年代に民主主義への復帰を果たし、キリスト教徒たるリーダー達が韓国と台湾の民主化運動を推進した(同192-193頁。同238頁)と述べているからです。
 ハンチントンが、日本とインドの民主化の説明に窮して、日本では天皇が神であって欧米のような政教分離の伝統はなかったが封建制があったからだと言い、インドでは非西欧で唯一、政教分離の伝統があり、かつカースト制があったからだと言っている(同70、77頁)のはご愛敬です。
 日本が、かくの如き「キリスト教原理主義者」を多数抱える米国と「世界で最も重要な二国関係」にあるという現実を、忘れないようにしたいものです。