太田述正コラム#4743(2011.5.13)
<皆さんとディスカッション(続x1202)>
<太田>(ツイッターより)
 フランスのベルエポックの名画、ドガのカフェの絵 
http://bit.ly/ki1sr3 
も、マネのバーの絵 
http://bit.ly/enJNee 
も、パリの売春街のど真ん中にあった店を描いたものだ。
http://slate.me/jmndhM 
 猥雑さと文化とは切り離せない。
 (コラム#4568に関し)これはコラム#4736(未公開)の補足でもあるが、(唯物論ならぬ)唯性論的に歴史をとらえるべきなのかもしれないね。
 個人主義(打算)と人間主義(思いやり)が激しく交錯するのが性的関係なのだから・・。
 コラム#4176も参照のこと。
<太田>
 太田諸「理論/史観」の「大統一理論」が生まれた歴史的瞬間↑だ・・なーんちゃって。
<πεεπ>(「たった一人の反乱」より)
 <πΕπΕクン(コラム#4741)、>欧米の社会科学ではサンデルのような思考実験は一般的だよ。
 論理的におかしな部分をつくのはOKつーか奨励されている。
 どーせ仮説だからね。
 <πεπεクン(コラム#4741)、>
 「2003年以降の原爆症認定集団訴訟では、国側の証人として出廷し、国の主張に沿った証言を行った。
 特に被爆者の放射線量を評価するシステム、DS86とDS02については妥当性を主張しており、この点で原爆症の認定が不十分であるとする原告の主張と対立している(被爆者約25万人のうち、国が原爆症と認定した者は”約2000人”である)。なお、小佐古が証人として出廷した裁判は、国側が全て敗訴している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E5%8F%A4%E6%95%8F%E8%8D%98
 広島・長崎に落とされた原爆症にして、なお、以上の如し・・・。
<komuro>
 –あたごと清徳丸の衝突事故の判決(コラム#4741に関連して)–
 あたごと清徳丸の衝突事故の判決について、ジャーナリストの江川紹子氏が今朝(5/13)の文化放送の「ソコダイジナコト」で、以下のようなコメントをしていました。
・最近は、このような事故の責任を刑事裁判に求める風潮(世論)がある。
 例として、JR西日本の脱線事故を挙げていました。
・検察側はこの風潮に乗っかって、結論ありきで捜査していたのではないか。
・裁判に証人として出廷した他の漁船乗組員から検察に対し「そんなことは言っていない(証言していない)」というような反応があった。
・最近の検察不祥事もあり、裁判官が検察に不信感を持っている可能性がある。
・あたご側には、刑事裁判以外で責任を取らせる方法もある。
 携帯ラジオで聴いていたので、内容が不正確な点はご容赦ください。
 江川紹子氏はオウム真理教による堤弁護士一家殺害事件の頃から、警察・検察・裁判を見続けている方なので、参考になると思います。
・江川紹子 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%B7%9D%E7%B4%B9%E5%AD%90
<太田>
 それでは、記事の紹介です。
 メルトダウンは怖くない?!↓
 「・・・福島第一原子力発電所1号機で、原子炉内の核燃料の大半が溶融し、高熱で圧力容器底部が損傷した問題で、東電は12日、直径数センチ程度の穴に相当する損傷部から水が漏れていると発表した。
 溶融した燃料は圧力容器の底部にたまっていると見られ、東電は、この状態が、核燃料の「メルトダウン(炉心溶融)」であることを認めた。・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110512-OYT1T01114.htm?from=main2
 フクヤマの新著(コラム#4688、4696)の書評がまたまた出てた。
 国家+法治主義+答責的政府=政治的秩序、というのが彼の説ってわけ。↓
 <家族を超えるためには国家が必要。↓>
 ・・・The way out of the kinship trap was the creation of states (by which Fukuyama means centralised political authorities), which were needed to break the hold of families. States are one of the three pillars Fukuyama identifies as providing the basis for political order. The reason that powerful states aren’t enough on their own is that political power doesn’t necessarily solve the problem of kinship. Instead, it can simply relocate it up the chain, so that all you get are strong rulers who use their power to favour their relatives・・・
 So the rule of states needs to be supplemented by the rule of law, which imposes limits on political power and corruption. However, the rule of law itself can destabilise political order by undermining the ability of states to take decisive action when it is needed, and giving non-state organisations too much of a free hand. Hence the need for the third pillar: accountable government (or what we might now call democracy). This retains a strong state but allows people to change their rulers when they start behaving badly.・・・
 <支那では答責的政府が生まれず。↓>
  ・・・the Chinese state that emerged was too strong: it crushed the warlords but also crushed any incipient civil society or ideas of accountability.・・・
 <ハンガリーでは国家が機能せず。>
 Another country, perhaps more surprisingly, that got it right but got it wrong was Hungary. In the 13th century, just seven years after Runnymede, Hungary arrived at its own Magna Carta moment (“the Golden Bull”), which enabled the nobles to impose legal limits on the arbitrary power of the monarch. ・・・
  ・・・the nobles got too much: they so weakened the king that they ended up being free to do whatever they liked, which basically meant exploiting their peasants and enriching their own families. ・・・
 <イギリスが人類史上初めて3拍子が揃い、政治的秩序が確立した。↓>
 ・・・this too often ends up as a kind of chicken-and-egg history. Britain achieved its Glorious Revolution in 1688 because it had become a relatively ordered society; and we are also told that having a Glorious Revolution was what made it an ordered society.・・・
http://www.guardian.co.uk/books/2011/may/12/origins-political-order-francis-fukuyama-review
 イギリス(象徴的には1215年のジョン王のマグナカルタ調印)より日本の方が政治的秩序の確立は早いんじゃないか。
 私は、日本おいては、国家の成立と機能(大和王権の確立)、法治主義の導入(律令政治)を経て、摂関政治が確立し始めた9世紀後期から10世紀初頭にかけて、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E9%96%A2%E6%94%BF%E6%B2%BB
答責政府が確立した、と見ている。(コラム#4168、4170参照。)
 ただし、それは日本が政治経済体制の原型の成立の一環として確立したものだ。
 「<その頃、>権力の分散化も顕著となっていき、例えば、地方官の辞令を受けた者から現地の有力者へその地方の統治権が委任されるといった動きも見られた。この動きが、ひいては鎌倉幕府・武家政治の成立へつながっていく。」(ウィキペディア上掲)
 問題は、(明治維新以前の)日本において、イギリスとは違って、手続き的正義が確立しなかった・・訴訟法や議会が発達せず・・ことだった。
 書評だけで断定はできないが、フクヤマは、このことの重要性を訴えるべきだったのでは?
 民主主義独裁の中共と民主主義独裁的なロシアが、それぞれの首脳がペアで善玉(温家宝、メドヴェージェフ)、悪玉(胡錦濤、プーチン)を演じ分けているのは、最新の国民たぶらかし手法であって偶然の一致ではない、という指摘は面白い。↓
 ・・・Both Medvedev and Wen are relatively unique, in that they represent half of a ruling tandem. The division of labor between themselves and other, more senior figure (Vladimir Putin and Hu Jintao, respectively) allows them to play their own version of good cop, bad cop.・・・
 Whether satisfied or disgruntled, Russians and Chinese can look up at the pinnacle of the regime and say, “Well, at least, one of them gets it.” Because dictators understand that it’s important for people to feel represented, even if they’re not. ・・・
http://www.washingtonpost.com/blogs/post-partisan/post/in-dictatorships-are-two-heads-better-than-one/2011/05/12/AFeWJg0G_blog.html
 現在のタイの王室批判が許されぬ雰囲気は、昭和天皇の晩年を彷彿とさせるだと?
 冗談きついぜ。↓
 ・・・The mood in Thailand these days is in some ways akin to the final days of the reign of Emperor Hirohito of Japan, who died in 1989.
Norma Field, author of “In the Realm of a Dying Emperor,” described news media in Japan that conducted “a spectacular exercise in self-censorship.” She wrote about a “chrysanthemum taboo” that “effectively eliminated nonsanctioned, that is to say noncelebratory, discussion of the imperial family.”・・・
http://www.nytimes.com/2011/05/12/world/asia/12iht-thailand.html?_r=1&ref=world&pagewanted=print
 支那に美人なしとの私の説、あやうし?
 いんにゃ、と言いたいところだが、いかが?↓
 「絵の中から抜け出してきたような伝統衣装の美女」10選
http://j.people.com.cn/94638/94659/7377187.html
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太田述正コラム#4744(2011.5.13)
<戦間期の日英経済関係史(続)(その2)>
→非公開