太田述正コラム#0018
日本のジャーナリズム 
 2月23日付の日本経済新聞(朝刊)一面の「春秋」欄で、話題の鈴木宗男衆議院議員をめぐる疑惑を取り上げ、「風評やうわさでは、不正・疑惑がいくつも指摘されながら、組織や権力の壁が厚くて、内部情報が出てこない。」と言っているのを読んで「よく言うよ」と嘆息しました。
 私は、勤務先の防衛庁を辞めてまでして、M元防衛施設庁長官等を取り上げて防衛庁批判を展開するとともに、鈴木氏と同じ自民党の村上正邦参議院議員が外務省と防衛庁に圧力をかけて政策決定をゆがめた事例を昨年、雑誌(「選択」6月号の「私のAltキー」欄)と本(「防衛庁再生宣言」日本評論社 7月)の中で紹介し、この本では、加藤紘一衆議院議員の疑惑についても書きました。しかし、せっかくのこれら「内部情報」を完全に黙殺したのは、日経を含む日本のジャーナリズムだからです。(正確に言えば、「選択」だけは例外です。前記拙稿を掲載したほか、11月号で拙著が防衛庁関係者の間で反響を呼んでいる旨の記事を掲載しました。)
 黙殺されたのは、当時、私が参議院選挙の候補者だったということもありますが、私の指摘したことが、メーンの防衛庁批判の部分を含め、どこにでもころがっていて大した話ではないとジャーナリストの皆さんが感じたということでしょう。国民も同じように感じるだろうから、こんな話を記事にしても売れないというわけです。
 しかし、外務省や農水省等の退廃ぶりや鈴木議員による利益斡旋ないし行政官庁への介入がこれだけ現在国民受けする話題になっているということだけをとっても、彼らの判断は間違っていたと言わざるを得ないでしょう。
 そもそも一個人が活字にできることには限界があります。当時、M元防衛施設庁長官や村上議員は既に失権しており、加藤議員については、評論家の屋山さんの加藤批判論考が公になっていました。だから書けたのです。当然のことながら、あの時点で活字にすることをはばかった情報を私がまだ抱えているであろうことは想像できたはずです。ところが、本日に至るまで、ただ一人のジャーナリストも、もっと情報を引き出すべく私のところを訪れてはいません。取材をしていれば、私から、例えば、鈴木宗男議員が、在沖縄米海兵隊の本土移転射撃訓練の第一回目が1997年に道東の矢臼別演習場で行われるにあたって、米軍との間に既に合意を見ていたにもかかわらず、演習用物資の陸揚港を釧路港から根室港(根室は今回の北方領土疑惑で話題にのぼっている業者等、鈴木氏の支持者が多いところです)に強引に変更させたとか、某内閣官房副長官(国会議員だが鈴木氏ではない!)が防衛施設庁の幹部を官邸に呼びつけて、特定土建業者の受注を強要したといった話を聞き出すことができていたでしょう。
 このような地道な取材活動をやっておれば、あの田中真紀子さんの外相当時の悲喜劇的蛮勇による鈴木問題のあぶり出し等を待つまでもなく、彼らは加藤議員や鈴木議員等の不祥事について、大スクープをものにできていたはずです。
 日本のジャーナリズムもまた、(商業主義に毒され、)日本の癒着構造、談合構造にからめとられている、というのが私の悲しい診断です。