太田述正コラム#4722(2011.5.2)
<英国人の日本観の変遷(その3)>(2011.7.23公開)
 「『日本の問題』・・・で、・・・ケネディーによれば、・・・日本の中国での目的は、平和と安定を確保し、そこで貿易と産業を発展させることができるようにすることだった。日本は、満州国を、これから中国全体とのあいだに構築しようとしている関係のモデルにしようとしていた。それは「取ってつけたような求愛の類」だったが、うまくいけば、ソ連が中国の不安定につけ込むのを阻止できるはずだった。日本は長城の南に領土的な野心を持っていないが、モンゴリアとトルキスタンを支配する勢力こそが中国を支配するにちがいないと思いこんでいるとケネディーは主張した。ソ連がこれら両地域で勢力を持っている。日本はソ連を何とか追い出そうとしているにちがいないのだ。
 満州国がどの程度日本から独立しているのかという疑いが広がっていることをケネディーも認めていたが、これと同じ問題を、治外法権が今なお広がっている中国についても、英国が支配するエジプトについても、またアメリカ合衆国が支配する中央アメリカについても、取り上げることができると彼は考えていた。・・・
 アメリカ側に英国がついているいないにかかわらず、日米間の戦争が起これば、最初は日本が優位に立つことになろう。英国とアメリカが財力に勝るために、日本は結果的に敗れるだろうが、長期の血なまぐさい戦争は避けられないだろう。このような戦争から利を得る唯一の国はソ連にちがいない。ソ連は資本主義列強がお互いを破壊しあうのを見ながら「形勢を見守る」のである。それから好機を捕らえて、介入するだろう。アジアをソヴィエト化するという、ずっと温めてきた計画を実行に移すのだ。日本はソヴィエト体制の拡大を阻止する能力と意思がある東アジア唯一の列強であるが、おそらく敗戦後に、革命が起こることになろう。・・・
 日本と英国には、中央アジアおよび極東におけるソ連の野望に対抗するという共通の利益があった。共通の利益を考慮して、ロンドンと東京は中国貿易および投資について合意しておくべきだった。北中国を日本の特殊分野とし、通商および工業の利用・搾取の対象とする。南中国を英国の特殊分野とすると認め合うのである。英国と他の列強がソフトな東アジア版モノロー・ドクトリンを認めることができれば、とかく極東の平和と安定を攪乱することの多かった国際的な競争関係はほとんど消滅するだろう。ケネディーは『パンチ』の書評で次のように強く批判された。
 [勇敢な新しい万歳]
 日本国民は悪いいじめっ子中国、ロシア、アメリカそれに英国の乱暴な脅しに対して、守勢に立たされている無垢な子どもだというのは本当かもしれない。だから、われわれは大和民族が博愛の精神を持って勢力を拡大して行くあいだ、共感を持ち、お手伝いをしなければならないのだ。とにかく、これがM・D・ケネディー大尉が『日本の問題』のなかで言い続けている意見である。これは驚くべきプロパガンダである。自分の主張をまことしやかなものにするために、作者は日本が卑劣な行動をとっているのは全世界の国民とその連盟のせいであるとこじつけ、まったく説明のつかない事実を説明しているのである…。・・・
 G・C・アレン<までが、>この親日的議論を批判し<始め>た。」(216~218)
→『パンチ』誌はケネディーを揶揄したわけですが、当時の日本人の大部分は心底そう考えていた(ヒュー・バイアスによる「紹介」(コラム#4683参照))のであり、恐らく、ケネディーはその日本人の考えをそのまま伝えたのでしょう。私の言うところの、人間主義的に行動していると誤解される、あるいは誤解したふりをして攻撃される、という典型的事例です。
 ただし、ケネディーが、日英が支那の北部と南部を対象にソフトな東アジア版モンロー・ドクトリン云々と言っている部分は彼の意見であって、日本が当時追求していた政策とはズレがありますし、ケネディーの、敗戦後の日本で共産主義革命が起こるとの予想は、彼の日本認識が浅い証拠であり、それがはずれたことを我々は知っています。
 しかし、ケネディーのこれ以外の予想は的中しており、(この本が上梓された、同じ1935年にあの有名な報告書を書いて提出した)米国の外交官マクマレーのそれに匹敵する素晴らしいものです。
 違いは、マクマレーの場合は、そのような予想に日本人の助けを借りることなく到達したのに対し、ケネディーの場合は、恐らく、これまた、当時の日本人の大部分が抱いていた懸念をそのまま伝えただけだ、という点でしょう。
 ちなみに、ケネディーは、「日本語の語学担当官(1917~1920年)<(?(太田))>。陸軍省(1921~1922年)では日本のエキスパート。ライジング・サン・ペトロリアム・カンパニー顧問および営業担当(1922~1924年)。ロイター通信社東京特派員(1925~1934年)。極東問題に関するフリーの文筆家、講師(1934~1936年)。」(226)という経歴の人物です。
 「1930年代、親日派の著述家は、親中派のライバルと戦い、敗れ続けた。親中派の著述家とは、ホリントン・K・トン、オーストラリア人のW・H・ドナルドとH・J・ティンバリー、アメリカ人のアグネス・スメドレー(ソ連のスパイだったリヒャルト・ゾルゲと親しい同志)、それに英国人女性のフリーダ・アトリー(ソヴェト市民と結婚していた)のようなジャーナリストである。
 ドナルドは日本が満州を掌握する前、満州軍閥である張学良の顧問を務めていた。1934年には、国民党の指導者、蒋介石の顧問となった。35年、ドナルドはアメリカで訓練を受けたジャーナリストで蒋介石と長いつきあいのあったホリントン・K・トンを新たに雇い、国外に流出する外国新聞のメッセージをすべて検閲する相当のチーフとした。これはドナルド自身が非公式に行っていた仕事だった。37年7月、日中戦争が始まると、トンは国際プロパガンダ戦争の最前線に立った。トンは中国の主張を宣伝するために、上海国際租界に反日委員会を設立した。4人のメンバーのうちの3人が中国人だった。4人目は『マンチェスター・ガーディアン』の中国通信員、ハロルド・ティンバリーだった。37年の終り、上海が日本軍に手に落ちたとき委員会はちりぢりになった。メンバーの一人は上海に留まった(そのあと日本の手先に暗殺された)。一人は香港に向かった。一人はアメリカ合衆国に向かった。ティンバリーはトンの指揮下で海外情報を担当するためにロンドンに行った。同時、トンは国民党政府の情報司の副司長に任命され、漢口で事務所を設立した。スタッフにはフリーダ・アトリーとアグネス・スメドレーを含む外国人ジャーナリスト何名かが入っていた。38年暮れ、漢口が陥落すると、国民政府は重慶に退却した。トンが第二次世界大戦を通じて中国プロパガンダの指揮を執ったのはこの地だった。・・・
 フリーダ・アトリーは・・・1920年代、『マンチェスター・ガーディアン』の日本通信員を務め、30年代には中国で『ニューズ・クロニクル』の仕事をしていた。・・・彼女は日本における女性の地位に憤慨していた。・・・
 ケネディーは、・・・日本の女性は普段は従順であるけれども、意気地なしではない・・・。<しかし、>・・・現在の段階で女性に投票権を与えることは、女性の手に凶器を手渡す結果になる。」(220~221)
→当時の支那には、蒋介石政権の助っ人に自らを任じた(赤露の手先的)英米人がうようよいた、ということが分かります。
 ところで、ケネディーは、日本の女性問題でも予想で失敗していますね。
 (彼の予想で誤った2点も、いずれも彼が当時接触した男性たる日本人指導層がいかにも共通に口にしていた話めいています。)
 ケネディーは、米国人のマクマレーに比べて、日本についての認識でブレこそなかったけれど、マクマレーほど洞察力がある人物ではなかった、と言わざるをえません。(太田)
 「1936年、連合を継承した同盟通信社は、プロパガンダ専門の通信社として、日本のプロパガンダを拡散し始めた。日本政府は・・・国際文化振興会<を>創設<する等、>海外で・・・「文化のプロパガンダ」<を行った。しかし>・・・このような努力が、現実の英国の世論、アメリカの世論に影響を及ぼすことはまったくなかったのである。」(224。<>内は228)
→日本の外務省の、ソフトパワーで勝負するという発想は、現在と違って日本の文化コンテンツとして、基本的に過去のもの・・一部の「通」にしか魅力はない・・しかなかった当時においてはナンセンスでした。(太田)
 「1930年代<に親日派が>・・・英国の世論に向けて行った戦いが敗れた理由は、数が少ないということによるところが大き<く、>・・・必ずしも討論で敗れたというわけではな・・・かった。親日派ロビーは時折出る書籍、「真面目な」新聞の記事を通じて人びとに語りかけたが、一般民衆は映画やニュースを見、「大衆」紙を読んでいたのである。中国における日本の軍事行動によって、体制側、反体制側とも日本に好意的な意見を持つことができなくなり、日英関係が悪化する結果となった。そのために親日派ロビーは不愉快な立場に置かれ、宣伝が徐々にうまくいかなくなった。」(224)
→これは説明になっていませんね。
 日本政府が蒋介石政権にプロパガンダで敗れたのは、日本の外務省が、そもそも無能かつ職務怠慢であり、とりわけ、有能な英米人を直接的間接的に雇用してプロパガンダを推進することが不十分であったため、プロパガンダ部門で赤露かぶれやキリスト教宣教師きどりの有能な英米人を多数抱えた蒋介石政権の外交部や諜報機関に遅れをとったからだ、というのが取りあえずの私の見立てです。(太田)
(続く)