太田述正コラム#4810(2011.6.15)
<映画評論25:わが命つきるとも(その1)>(2011.9.5公開)
1 始めに
 『わが命つきるとも(A Man for All Seasons)』は、イギリス国王のヘンリー8世の時代に信念を貫き通し死罪となったトマス・モアの姿を描くイギリス映画(1966)であり、第39回アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞(脚色部門)、撮影賞(カラー部門)、衣装デザイン賞(カラー部門)の6部門を受賞しています。(A、C)
 この映画については、5月9日にMixiの太田コミュに「今、『わが命つきるとも』を見終わった。こいつはまいった。英国の友人がこの映画を僕にに見せた理由がわかるようでわからない。評論するとして、実に簡単なようで考えようによっては実にむつかしい。」と記したところですが、その時、評論の腹案が既にあるにはあったものの、いささかふっきれない思いがあったのです。
 ところが、13日に読んだある米哲学助教のコラム(E)が、その腹案のラインでとにかく評論を書くよう、私の背中を押してくれました。
A:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%91%BD%E3%81%A4%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%82%82
B:http://en.wikipedia.org/wiki/A_Man_for_All_Seasons
C:http://en.wikipedia.org/wiki/A_Man_for_All_Seasons_(1966_film)
D:http://en.wikipedia.org/wiki/Sir_Thomas_More
E:http://opinionator.blogs.nytimes.com/2011/06/12/philosophy-as-an-art-of-dying/?hp
(2011.6.13アクセス)
2 ある米哲学助教のコラム
 米テキサス工科大学(Texas Tech University)助教のコスティカ・ブラダタン(Costica Bradatan)による上記ニューヨーク・タイムス掲載コラムで、私が注目したくだりは以下のとおりです。
 「自分の思想のために死ぬ可能性があるということが、欧米における哲学の定義の根幹に横たわっている。・・・
 <まさに>そのことが、ソクラテス、ヒュパティア(Hypatia)<(注1)>、トマス・モア(この映画の主人公)、ジョルダノ・ブルーノ(Giordano Bruno)<(注2)>、ヤン・パトチュカ(Jan Patočka)<(注3)>その他の少数の哲学者に起こったのだ。」
 (注1)=ハイパティア=ヒパティア。350-370年~415年。「古代エジプト<のアレキサンドリア>の著名な<ギリシャ人>女性の数学者・天文学者・新プラトン主義哲学者で・・・プラトンやアリストテレスらについて講義を行ったという。・・・「考えるあなたの権利を保有してください。・・・」とか「真実として迷信を教えることは、とても恐ろしいことです」という彼女のものであると考えられている言動は、当時のキリスト教徒を激怒させた。・・・412年、アレクサンドリアの総司教<に>、強硬派のキュリロス(<Cyril=>英語読みはサイリル)<が就任した>。・・・<415年>のある日、総司教キュリロスの部下である修道士たちは、馬車で学園に向かっていたヒュパティアを馬車から引きずりおろし、教会に連れ込んだあと、彼女を裸にして、カキの貝殻で、生きたまま彼女の肉を骨から削ぎ落として殺害した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%91%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2 (「」内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hypatia
 (注2)1548~1600年。「イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。それまで有限と考えられていた宇宙が無限であると主張し、コペルニクスの地動説を擁護したことで有名。異端であるとの判決を受けても決して自説を撤回しなかったため、火刑に処せられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8E
 (注3)1907~77年。フッサールとハイデッガーの高弟たるチェコの哲学者(現象学者)。1977年に憲章77運動の首謀者の一人として、秘密警察の尋問を11時間受けたところで脳卒中で急死した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Pato%C4%8Dka
 「・・・<後世に>最大の影響を与えたところの<哲学>殉教者メーカーがプラトンだ。
 彼は、ソクラテスを哲学者たる殉教者の原型に仕立て上げただけではない。彼は事実上このジャンルを創造したのだ。
 プラトンによるソクラテスの脚色には、徳と智慧を追求する人生への献身のゆえに、ある主唱者が、自分の属するコミュニティーの反感を買う、過てる群衆の指示を受け入れることなく自分の哲学のために死ぬ用意がある、非寛容と狭量によって特徴づけられる敵対的な政治環境、という、出来の良い殉教物語におけるほとんどすべての要素が備わっている。・・・
 トマス・モアが、例えば、首を切り落とされる直前に、「私は国王の忠実な(good)僕(servant)として、ただし、神の第一の僕として死ぬ」と述べたが、彼が、『ソクラテスの弁明(Apology)』に出てくる、<その著者プラトンによって>脚色されたところの、ソクラテスが自分の裁判の間に語った文句、「紳士諸君、私は、君達に大いに感謝の念を抱いている、君達に献身的な僕だが、君達に対してよりも神に対してより忠順であるべき(owe a greater obedience to)なのだ」に拠ったことは明白だ。」
 ここでは、この助教が挙げる哲学者たる殉教者が抱懐する哲学が、それぞれ、プラトン哲学、新プラトン主義、カトリシズム、カトリシズムの異端、欧州の観念論哲学、であったことと、これらの哲学者の殺害に責めを負うべきは、最初のものは別にして、2番目から最後の5番目まで、ことごとくキリスト教ないしその変形物であること、を頭に入れておいてください。
(続く)